防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2012年7月1日号
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海外からの便り 南スーダン
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「和魂の疾風」吹かせる
中央即応連隊 2陸曹 山中大樹

 輸送班の操縦手として勤務している私の任務の一つにルートチェックがあります。これは、その日に使用する経路の異状の有無を実際にその経路を通り確認するものです。毎朝のルートチェックのため市内を走っていると、満面の笑顔で「ジャパーン! ジャパーン!」と大きな声で手を振ってくる人たちがいます。それは私たちが活動している南スーダンの首都ジュバの子供たちです。
 ジュバに来て間もなく3ヵ月になろうとしていますが、当初はよく「バンガラ!バンガラ!」とバングラディシュ軍に間違われたり「ニーハオ! チャイニーズ!」と中国人に間違われたりと、まだまだ日本隊の認知度は低いものでした。しかし、私たちも間違われるたびに「ジャパーン!ジャパニーズ!」と声をからしながら日本隊をアピールしてきました。その甲斐もあり最近では「ジャパーン!」と声をかけられるようになりました。
 ジュバの人たちはとても陽気で、こちらから手を振って挨拶をすると必ず笑顔で手を振り返してくれます。特に子供たちの笑顔は最高で、任務で疲れていても、その笑顔を見るとこちらも自然と笑顔になってしまいます。私自身も妻と三人の子供たちがいますが、家族の笑顔が一番好きですし、一番癒されます。この子供たちの笑顔こそが南スーダンの未来の希望なのだと思います。
 最後になりますが、このジュバの地において「南スーダンの国造り」に微力ながらも携われていることを誇りに思うととともに、いつか一人で歩けるようになった南スーダンへ家族で旅行に行くことができる日を夢見つつ、帰国までの残された日を全力で駆け抜け、「和魂の疾風」を南スーダンの地に吹かせたいと思います。

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真の独立国になる日
中央即応連隊 2陸曹 入江理浩

 南スーダン派遣施設隊の一員として参加させて頂いたことを多くの方々に感謝しています。私を日本から送り出してくれた中央即応連隊の仲間、三人の子供を世話しながらも私に追送品を送ってくれる妻、そして今ここにいる私を産んで育ててくれた両親、これらすべての人たちに対する感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。日本から遠く離れることで、日頃から私を支えてくれる人たちのありがたさを痛感し、また任務に専念させてもらえるありがたさを噛みしめています。
 南スーダンは各種報道で皆さんもご存じのとおり、北部国境沿いにおけるスーダンとの小規模の衝突、国内における部族間の争いや過去の内戦におけるインフラの破壊、あるいはこれに起因するインフラ整備の遅れなど、今後の発展のために障害となる要因があり、国連を含む諸外国の支援を必要としている国の一つです。私たちも国連の一員として南スーダンを良くしたい一心で活動させていただいており、その中で多くの外国人と触れ合い、文化や価値観の違いに毎日驚きながらも任務を遂行しています。
 本派遣間における私の任務は主として宿営地の警備や施設活動等における安全の確保ですが、日々の活動の中で特に気をつけていることが二つあります。一つは衛生面です。蚊を媒介とするマラリア、高温多湿や急激な気温の変化に起因する体調不良、砂埃によるのどの炎症など、自分たちの健康を阻害する要因が本邦に比べ非常に多くあります。そのため常に衛生面には細心の注意を払っています。もう一つは車両の運行です。南スーダンには信号がなく、すべての交差点はロータリーとなっております。当然、日本の交通ルールはほとんど通用しないため、まずは現地の交通ルールを十分理解し、安全確認に細心の注意を払うことが事故防止のためには必要であり、私が特に気をつけていることの一つです。
 南スーダンは昨年誕生したばかりの世界で最も新しい国であり、国民一人一人が自分たちの国を心から愛し、自分たちの力で良い国にしていこうという意識を持つこと、自らそれを行動に起こすことが必要だと思います。
 私は少しでも早く、南スーダンが諸外国の支援に依存しない真の独立国として、自らの足で歩き始める日が来ることを心から願っています。

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憧れだった父のように
北方施設隊 3陸曹 山内 亮

 平成5年3月、カンボディアPKOに派遣される父を見送った自分は7歳でした。あれから19年…父に憧れて自衛官になり、今こうして南スーダン共和国におけるPKO活動に自分が派遣されていることを本当に誇りに思います。
 そんな父と自分の影響を受けてか妹も今年入隊し、兄そして自衛隊の先輩として良い手本を見せなければと思い、今回の派遣に臨んでいます。
 見送ってくれた家族を思い出すと「父もこういう気持ちだったのか…」と見送られる寂しさを感じました。
 こうして厳寒の地、北海道から酷暑の地南スーダン共和国に派遣されて早くも2ヵ月が経ちました。毎日が本当に貴重な経験ばかりで、気温が40℃を超えるアフリカ特有の気候やバングラデシュ、インド、カンボディアなどの他国隊との協力・交流、そして日本と異なった地域での施設活動等、生活・活動のすべてが新鮮です。
 また現地での施設活動は、日本とは全く異なる気候・資材・土質のため、なかなか思うようには進まず、今も試行錯誤を続けています。
 そんな過酷な状況下においても日本人ならではの、ていねいかつ心のこもった活動で、南スーダン共和国の人々の国づくりに貢献したいと思います。
 今回の派遣で得られる経験や知識を今後の生き方、考え方に活かせるよう、一日一日を大切に過ごし、南スーダン国民と日本のために任務を遂行していきたいと思います。

寄せ書き
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妻が司会の行事で
合瀬教弘(東北補給処総務部=仙台 合瀬奈保子2陸曹の夫)

 私は1歳3ヵ月になる息子の壮介と義母と一緒に4月22日、初めて東北補給処の「桜まつり」に参加しました。
 当日、妻はイベントの司会を担当しており、一緒に食事はできませんでしたが「働くお母さん」の姿を眺めながらのお花見を息子も楽しんでいるようでした。
 最近歩き始めたばかりの息子にとっては満開の桜、広い場所など見るもの触れるもの聞くもの、すべてが新鮮でとても喜んでおり、私はそんな息子の姿を見ているだけで幸せでした。よっぽど楽しかったのか、お昼寝の時間も忘れ、たっぷり桜まつりを楽しんだ息子と私は家に戻ったら二人でぐっすり寝てしまいました。
 その日の夜は家族みんなで楽しかった出来事を話しながら、来年の桜まつりを楽しみにしている合瀬家なのでした。

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念願の自衛官だ!
空自第1教育群(防府南) 2空士 藤井健人(熊本地本投稿)

 念願の自衛官になることができ非常に嬉しく思っています。きついことは沢山ありますが充実しており、時間が経つのがとても早く感じられます。
 私は高校1年生の時、自衛官の兄の影響で「自分も自衛官になりたい」と思っていました。特に飛行機に興味があったので航空自衛隊に入りたいと思い、その日から曹候補生の試験に向けて勉強を始め、その甲斐あって見事合格し入隊することができました。
 入隊して少し後悔したことは、合格してからまったく運動をしなかったことです。最初の訓練でとてもきつい思いをしたからです。合格した時の私の考えは甘く、現実はとても厳しく毎日、分刻みで行動し、また自分のミスが連帯責任となってしまうので、自分の行動に責任を持たなければならないことを痛感しています。
 初めての体力検定では良い結果を残すことができなかったので、今は体力をつけるため自主トレに励んでいます。最後になりますが、立派な航空自衛官になれる様に一日一日を大切に精進し頑張りたいと思います。

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自衛官の妻として
福原直美(第37普通科連隊=信太山、福原勤3陸曹夫人)

 付き合い始めたのは大学1年生のときで将来のことなんて、まったく考えていませんでした。
 4年生になり就職活動も本格化し、将来のことを真剣に考え始めた頃、彼が突然「陸上自衛官になる」と言って、そのときはびっくりしました。
 それまで自衛隊とは縁がなくテレビで見るくらいでしかなかったので、どのようなものか想像もできずにいました。実際に彼が入隊すると何日も連絡が取れなかったり、何週間も会えなかったり、そんなに忙しいなんて思ってもいませんでした。本人だけでなく私も我慢しなければいけない日々が続きました。そのため結婚のことを考える余裕もなかったのですが、疲れた顔をして帰ってくる彼の姿を見て「支えていきたい」と強く思うようになりました。
 これからもいろいろ困難なことがあると思いますが、どんなに辛い思いをしても彼が「早く家に帰って癒されたい」と思える居心地の良い家庭にしていきたいです。

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技能を活かした広報
岐阜地本高山出張所 3陸曹 山下真弘

 私は第7普通科連隊本部管理中隊音楽小隊から自衛隊岐阜地方協力本部高山出張所に広報官として3月に転属して、早2ヵ月が経過しました。
 6月2日に行われた「全自父」の定期総会に音楽演奏のトランペット奏者として参加し、国歌斉唱時の演奏をしました。音楽小隊にいたときに国歌の演奏を行ったことはありますが、一人での演奏は初めてでした。大変緊張しましたが、父兄会の皆様方には大変喜んでいただき、とてもやりがいを感じました。
 総会後の懇親会では自衛隊ラッパで「日課譜」、トランペットで「夜空のトランペット」などを演奏しました。来賓には航空自衛隊岐阜基地司令、第35普通科連隊副連隊長、岐阜地方協力本部長がおられ、むしろ総会よりも懇親会での演奏が何より緊張しました。
 今回のように父兄会、防衛協会、隊友会など協力団体の総会や、市町村や学校などから依頼があれば積極的に参加し、自分だからできる独自の技能を活かした広報を行っていきたいと考えています。


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