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自衛隊ニュース   2012年10月1日号
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撤収準備が近づく現地の状況などを報告
ハイチ派遣国際救援隊長(6次要員)野村1佐が来省

 ハイチ派遣国際救援隊長(6次要員)の野村悟1陸佐(第25普通科連隊長=遠軽)が9月13、14の両日、防衛省で帰国報告などを行った。13日は関係各所へ挨拶・報告ののち取材に応じ、「8月下旬まで約6ヵ月間、ハイチで活動して参りました。達成感と充実感で一杯です。与えられた任務について、現地の方々、MUNUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)司令部の満足度をしっかり満たして完了できたことが、達成感と充実感の大きな原因になっています」などとコメントした。
 翌14日は副大臣室で渡辺周副大臣に帰国報告を行い、続けて、副大臣からハイチ派遣国際救援隊6次要員に第1級賞状が授与された。その後、臨席した金澤事務次官、岩崎統幕長らを交え懇談。7月の閣議でハイチ国際平和協力業務の終了が決定し、現在活動中の7次隊が10月中旬を目途に撤収準備に入る状況下のハイチにおいて推進されている、ハイチへ譲渡される施設器材の操作を現地の若者に教育する「絆プロジェクト」の進捗状況などについて、野村1佐から報告があり、渡辺副大臣から、「次の世代に貴重な経験を引き継いでいってもらいたい。ご苦労様でした」など労いの言葉があった。


片岡空幕長も楽しむ
第24回「市ヶ谷基地美術展」賑わう

 航空自衛隊退職者団体「つばさ会」共催、自衛隊遺族会航空部会「ともしび会」協賛で、第24回「市ヶ谷基地美術展」が9月4日から7日まで防衛省厚生棟多目的ホールで開催され、約800人が鑑賞に訪れた。
 つばさ会60名、ともしび会6名、隊員および家族20名から絵画52点、写真52点、工芸67点、書17点の計188点が出展された。初日に片岡晴彦空幕長が来場、作品1点1点を興味深く鑑賞していた。
 この催しは「つばさ会」からの要望に基づき昭和56年から行われており、平成4年以降は檜町(現・市ヶ谷)、府中、入間の3基地ほか1基地で毎年、実施されている。
 昨年は東日本大震災のため、中止の予定だったが「こんなときだからこそ開催すべきだ」との声があり『訪れる人に明るい気持ちを』をテーマとして行われた。


海外から便り
南スーダン、ゴラン、ジブチ

音楽活動でも尽したい
第11後方支援隊 1陸尉 小山岸裕司

 入隊して19年目にあたる平成24年、私は今、褐色の大地が広がるアフリカ大陸、南スーダンの地で国際平和協力活動に従事しています。私にとって初のPKO活動への参加であり、昨年12月から約半年にわたる準備訓練で培った識能を十二分に発揮して日々の職務に邁進しています。
 私の職務は「本部付隊運用訓練幹部」であり、指揮官意図の具現・徹底を補佐するとともに、隷下各班の運用及び必要な調整・統制を行っています。職務を遂行するに当たり私が着意している事は、「積極性」であり、与えられた任務に積極的に取り組むことが、派遣施設隊の活動を最良のものにすると信じています。
 派遣施設隊の中には有志による同好会があり、私はその中の「音楽部」に所属し、部長をしております。音楽部のメンバーは、現在もバンド活動をしている「現役組」の他、何年も前に楽器演奏をしていたという「ブランク組」、南スーダンに来てから楽器を始めたという「初心者組」など、経験やレベルに差のある13名が、トランペット、フルート、アルトサクソホン、ベース、ギター、ドラム、パーカッション、ハーモニカ、ボーカルに分かれ、課業時間外に練習を重ねています。音楽部の活動の主体は派遣施設隊が企画する月間イベントでの演奏ですが、今後はボランティア活動の一環として教会等の宿営地外における演奏も計画しています。
 音楽は、演奏する本人はもとより聴く人に対しても心に安らぎを与え、ストレス発散にも効果があります。任務はいうまでもなく、この音楽活動を通じても南スーダン共和国の国造りの力になりたいと思います。

感謝の気持ち忘れずに
第376会計隊(遠軽) 2陸曹 生出昌輝

 現地に来てから早いもので約5ヵ月が経ちました。ゴラン高原に来た当初は雪が降っていて、原隊の所在する北海道の景色とあまり変わらないという印象でしたが、6月に入り連日気温約40℃の猛暑が続き、北海道とは違うということを思い知りました。
 輸送隊本部班における私の業務は、会計業務及び給養業務です。
 会計業務の内容は、部隊の調達要望物品の取りまとめ、会計書類の作成、資金請求の提出及び関係諸帳簿の記帳です。調達に関する業務では、シリア情勢が不安定なためシリア側での調達がなかなか思うようにいかず、分遣班の調達要望物品の調達に苦労しました。
 また派遣当初は、道も業者もわからず、交通マナー(逆走、無理な追い越し等)の違いにも困惑する日々が続きました。しかし、1ヵ月程経つと、業務も把握し日本との違いにも慣れ、スムーズに業務が出来るようになってきました。
 次に給養業務の内容ですが、UNDOF司令部への糧食の請求、食事支給台帳の作成、UNDOF司令部への各種報告文書の作成・送付及び追送品の仕分・配布を実施しています。給養業務は初めての経験だったため、わからないことが多々ありましたが、業務経験のある他の隊員に教えてもらいなんとか業務を進めることが出来ました。
 帰国まであと1ヵ月余りとなりましたが、油断することなく、笑顔で任務を遂行し、感謝の気持ちを日々忘れず、無事に日本に帰国するその日までしっかり頑張りたいと思います。 

大きなやり甲斐感じる
中央即応連隊 3陸曹 塚本博一

 8月初旬、ジブチ共和国は連日50℃を超える日々が続いています。この季節は、断食月であるラマダンにあたり、ジブチは厳粛な雰囲気に包まれますが、我々も日本の自衛官として恥ずかしくないよう淡々と任務を遂行していこうと思っています。
 ここでは、私は警衛隊員として、主に警護任務に就いています。ジブチ共和国において1日任務を行えば、日本では経験出来ないことをたくさん経験することが出来ます。また、環境・言語・宗教・風習の違う現地の役務の方々と仕事をすることは、その違いから苦労も多いのですが大きなやり甲斐を感じることができます。このように、現地の人々と仕事や行事を通じて交流することにより、相手のことを理解できるのみならず、日本人に対する良いイメージを付与するきっかけにもなると思います。日本人として恥ずかしくない行動を常に心掛けて、ジブチの方々に少しでも日本のことを好きになってもらえればと思います。
 最後になりますが、日本からの電話やメールにいつも励まされ、癒されて、毎日を乗り切ることが出来ています。日本に残っている人達に誇りに思っていただけるように、引き続き一日一日を全力で頑張っていきます。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
三井住友海上保険  藤本弘光
毎日やりがい感じながら前進
藤本氏は平成24年2月、第9後方支援連隊衛生隊を3陸佐で定年退職。55歳

 私は、第9後方支援連隊衛生隊のOBです。
 就職は特技を生かし看護・介護の方向を考えましたが、実経験のないことに大きな不安を感じ、就職に踏み切ることができませんでした。そんなわがままな私に対し、最後まで就職援護をしていただいた青森地区援護センターの皆様には本当に感謝しております。年明けの1月下旬に「三井住友海上青森保険金お支払いセンター」の面接を受け、採用されました。長い名前でありますが、末永く付き合っていけるよう思っています。退職日の翌日から勤務をし、すでに数か月がたちました。
 入社前に仕事は9時〜17時までと聞いて早く帰って何をしようかと思っていましたが、仕事の準備と整理は別物でした。先ほど述べたとおり、私は、車の事故に対する補償をする会社の専門職員です。簡単に説明すると交通事故の加害者の立場で、被害者に対する賠償をする仕事です。顔を見た事もない被害者に対し、怪我の症状を掌握して、加害者へ報告し、保険金を支払う、沢山の仕事が毎日待っていました。まったく土台のない分、積み重ねていく日々が大変でありますが、毎日やりがいを感じ、一歩一歩前進しています。
 就職して今反省している事は、もっとパソコンの技術を高めておけばよかったと思うことです。 また、逆に自衛官でよかったと思うことは、業務が忙しく昼食抜きがたびたびありますが、演習中と考えれば、「特に問題なし」と胃袋が納得してくれることです。
 引き続き厳しい雇用状況だと思いますが、私なりに就職する後輩へ参考になればと、次の2つ述べたいと思います。
 第1に、第二の人生で「何をしたいか」早く見つける事。第2に、「何のために働くか」を考える事。以上であります。
 私の使命は後輩のために定年までしっかり会社の戦力になることです。
 最後に、自衛隊退職後、自分の第二の人生をこの様な形で述べるチャンスを与えてくださった方々に深く感謝いたします。


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