防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2009年2月1日号
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徳島教育航空群、初訓練飛行を実施
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 徳島教育航空群(群司令・山本克彦1佐)は、平成21年初訓練飛行を1月5日に実施した。
 午前8時、初訓練飛行に先立ち、山本群司令が第2格納庫内に整列した隊員を前に年頭の訓示を行った。訓示では、昨年の海上自衛隊新体制への移行及び基地開隊50周年を振り返り、次に徳島教育航空群の主要任務(操縦士の教育、飛行場の管理・運営、地域の防災)について方針を述べ、防衛力を支える人的基盤、すなわち精強かつ質の高い人材の確保・育成の重要性は増大する趨勢にあり、諸官には精強な部隊を目指して、平素から自己を「鍛え」、「基本を徹底」し、なお一層の努力を傾注することを切に希望する」と結んだ。
 初訓練飛行には、徳島航空分遣隊も参加、その実施に関し同参加機を統制した。第202教育航空隊司令及び徳島航空分遣隊長から初訓練飛行の準備完了報告が群司令に行われた。群司令の「平成21年初訓練飛行を開始する。各編隊かかれ」の指示で搭乗員らは、第1編隊・TC―90型練習機・3機、第2編隊・UH―60J型救難機・2機に乗り組み徳島航空基地を後にした。
 この日は、訓練開始当初はやや雲が多かったものの、その後新春の快晴に恵まれた。第1編隊は離陸後、徳島航空基地上空、小松島航空基地上空、大鳴門橋などを巡る経路を、第2編隊は、徳島航空基地上空、小松島航空基地上空、眉山などを巡りそれぞれ約1時間30分かけて飛行し帰投した。なお、小松島航空基地の上空では、無線で「第24航空隊の一層の御発展と航空安全を心から祈念いたします」と新年のあいさつを交換した。

22空群も初飛行
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 第22航空群(群司令・中田芳基海将補)は1月6日午前、地元報道関係者等を招き、平成21年初訓練飛行を行った。
 この日は小寒を迎えたとは思えない絶好の気象状況の中、午前9時から基地エプロンでの初訓練飛行関連行事が始まった。第22航空群司令による「初訓練飛行かかれ」の号令に、エプロンに整列した第22航空隊司令(矢儀1海佐)、第72航空隊司令(横野1海佐)以下第22・第72航空隊関係搭乗員・整備員は、一斉に各機へ向かった。
 初訓練飛行は、「年頭に編隊飛行訓練を行うことにより、部隊の団結心と士気の高揚を図る」ことを主目的に、毎年実施している。
 訓練機12機(SH―60K、SH―60J、UH―60J各4機編隊)及び取材機2機は、午前9時半、一斉に大村航空基地を離陸し、島原半島、長崎市上空、九十九島、佐世保市上空を経由し、午前11時大村航空基地へ帰投した。なおこの間、長崎市(諏訪神社)上空で今年の飛行安全を上空から祈願、また、佐世保市上空では、佐世保地方総監、佐世保在籍艦艇部隊指揮官との新年賀詞交換を実施した。
 第22航空群は、今年も「使命を自覚し、国民の負託に応えるべく、基本の遵守と任務遂行」を誓い、平成21年初訓練飛行を完遂した。

「防衛ホーム」が演出してくれためぐり合い
防衛大臣官房秘書課長 深山延暁
「人間万事塞翁が馬」「一隅を照らす」
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 さる1月8日、私は、全く予期していなかったお客様を市ヶ谷の大臣官房秘書課長室にお迎えしました。その方は渡辺清次さん。長野県でりんごの生産に従事されながら、予備自衛官や長野地本の募集相談員、そして隊友会の役員を永年にわたって務められている方です。
 私と渡辺さんが、お知り合いになったのは、5年半前のことです。平成15年当時、私は内局の防衛政策局計画課長を務めていました。そのとき、「防衛ホーム」から、「『座右の銘』について寄稿してほしい。」という依頼を受けました。そこで、私は自分自身にいつも言い聞かせていた「人間万事塞翁が馬」という言葉を選び、この言葉について一文をしたため、同年の9月15日号の「防衛ホーム」に掲載していただきました。今、振り返りますと、そのころは、私自身の実力不足に加え、「弾道ミサイル防衛」の着手の是非など大きな問題を抱えており、またこの年の4月には不覚にも体調を崩して10日ほど入院するなど、精神的、肉体的に苦しい時期でした。そうした背景もあり、拙稿においては「大体、人間のやることで、完全な『順風満帆』などありえない。外から見ると『幸せ』に見えても、皆、問題と悩みを抱えている。しかし、大きな視点で見れば、厳しい環境の中でも光明はあるし、今日の苦労は明日の幸せにつながっているのではないだろうか。」等と書きました。これは自分自身を奮い立たせるためでもありました。
 ところが、この年の秋、渡辺さんから突然お手紙と、渡辺さんが丹精されたりんごを頂戴いたしました。お手紙によれば、渡辺さんご自身が、りんご農家を経営されていく日々の中で、「人間万事塞翁が馬」を「座右の銘」にされているということで、拙稿が渡辺さんの気持ちにぴったりと合い、大変感動していただいたとのことでした。私自身、驚くとともに、大変うれしく、遠く長野県に友人が出来たように思いました。その後も年賀状のやり取り、またりんごをいただくなどしておりました。
 ところが、1月8日午前中、「長野県の渡辺さんがこれから秘書課長室に来るそうです。」と突然部下から言われたのです。「長野県の渡辺さん」だけで私は、一発で分かりました。しかし、びっくりでした。しばらくお待ちしていると、日頃、会議などで顔を合わせている私の仕事のカウンターパートの一人、川口統幕総務課長の案内で、渡辺さん、奥様そしてお嬢さんがお見えになりました。渡辺さんは、東部方面総監の招待による優秀隊員行事に参加されるため上京されたとのことでした。また、川口課長は元長野地連部長(当時)で渡辺さんとは知り合いと聞き、「世界は狭い」と改めて感じました。
 それから、渡辺さんご一家と楽しく懇談させていただきました。渡辺さんご一家とは初対面でしたが、本当に打ち解けて楽しい時間を過ごすことが出来ました。また、私の書いた5年半前の記事をお嬢さんまで覚えておられることには本当に驚きました。渡辺さんは私が想像していたとおり、多弁ではないものの、誠実さにあふれた方でした。すっかり親しくなり、ご家族と、また渡辺さんとも写真も撮らせていただきました。しかし考えてみれば、全く不思議な出会いです。「人間万事塞翁が馬」という言葉をきっかけに、私と渡辺さんという、防衛省・自衛隊関係者ではあっても、一生出会うことがなかったかもしれない二人が親しく語り合うことが出来たのです。こうした出会いを与えてくれた「防衛ホーム」に本当に感謝しています。
 最後に私が最近、第二の「座右の銘」としている言葉をご紹介して本稿を閉じたいと思います。それは「一隅を照らす」という言葉です。人それぞれ立場や地位は違います。しかし、自分自身が置かれたその場所で精一杯努力して自分の回りを明るくできる人こそ「宝」である、また現代に生きる一人の社会人としては、たとえ不本意な職場や境遇に置かれても、くさらず、その場での務めを果たすことがなにより重要だということだと解釈しています。今回の渡辺さんとの出会いは、全国各地で予備自衛官として、あるいは募集相談員として、一隅を照らしている方との出会いでもあったわけです。東京、ましてや市ヶ谷で働いていると、どうしても中央で決まる予算や法律、新聞をにぎわせる政策論議に目を奪われてしまいます。しかし、防衛省・自衛隊を本当に支えているのは全国各地で黙々と任務を果たし、「一隅を照らしている」方々である、ということを今回の出会いは改めて思い起こさせてくれました。 (了)

米製機雷を水中爆破
《下関基地隊》
再開発続く関門海峡で即応態勢堅持
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 下関基地隊(司令・原田哲郎1佐)所属の第43掃海隊(司令・中矢潤3佐)「なおしま」(艇長・下窪剣3佐)は、門司海上保安部からの要請により、1月2日、北九州市新門司防波堤灯台北東約2・3キロの海域で、米軍が先の大戦中に投下・敷設した機雷1発を水中爆破処分した。
 この機雷は10月9日、同海域において民間の潜水士(航路浚渫工事のため潜水探査作業中)が発見したもので、関門海峡東口で爆発性危険物の処理作業中の「まえじま」が処分後に発見現場に急行して、水中処分員により水深13メートルの海底に潜水して調査。その結果、米軍製機雷(MK―25)であることが確認された。
 その後、福岡県、北九州市、国土交通省、門司海上保安部、北九州空港、海上自衛隊等で数度にわたって処分時期などについて協議し、発見現場で爆破処分することが決定された。
 1月2日、掃海艇「なおしま」は午前10時18分、現場に進出。巡視艇等3隻が警戒する中で、「なおしま」処分士・仁谷直人2尉以下第43掃海隊所属の12名の水中処分員が、ゴムボート3隻で作業を開始した。
 処分員は小雨の中、気温6度、水中視界不良にもかかわらず手際よく作業を行い、爆薬や導爆線などを機雷に取り付け、爆破準備は30分ほどで完了した。
 近傍に北九州空港があり、旅客機の発着時間を避ける必要もあり、12時30分に爆破。脚下から突き上げるような振動、轟音とともに高さ100メートルを超える水柱が上がり、爆破処分は見事に成功した(写真)。
 関門海峡及びその周辺海域では、航路拡張工事・港湾浚渫工事などが継続中であり、今後も爆発性危険物の発見が予想されることから、下関基地隊では、常に即応態勢を堅持するとしている。


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