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2012年5月15日号 |
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雪月花 |
昭和58年に入社、「防衛ホーム」の編集に携わり3代目の編集長として活躍していた金澤修治さんが退社した。今後は大分の実家に帰り90歳近いご両親と一緒に畑仕事をするということだ。まだ60歳なのにと言ってはみたがご両親のお年を考えると引き止めることも躊躇された。市谷ではもちろん全国の自衛官のみなさんとの交流はおどろくほどだった、筆者が初対面の人と名刺交換するとまず「金澤さんはお元気ですか」と言われるのが常だった。数年前にゴラン高原に行ったときも、対馬に行ったときも隊長から金澤さんの名前が出た。金澤さんがよく話すのが六本木時代、アフター5には毎晩どこかの部屋で酒盛りに参加したこと。ある時「クサヤ」を持ち込んで焼いた時には陸幕長からおれの部屋にまで匂う仕事が手につかないからそれだけは止めてくれと言われた。よき時代だった、新庁舎の市谷に移ってからはそんなバンカラができなくなったと嘆いていた。仕事でもフットワークはよかった、PKOの急遽出動にも即対応した。ハリケーンのホンジュラスや海賊対処のインド洋、内戦後の西チモールなどでは金澤さん独特の視点で派遣隊員の人間性を書き撮影していた。3月30日には陸幕の部長さんや課長さんら大勢の人たちに正門前で見送りをしていただいた、超感激の一ページだったようだ。今号の高級幹部名簿も金澤さんの企画で弊紙の目玉となって20年続いている。 |
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ロンドン五輪 期待の星
オリンピックへカウントダウン
陸上山崎、水泳高桑も内定
体校から五輪出場12名に
シリーズ28 |
自衛隊体育学校所属選手のロンドン五輪内定者が4月18日現在、とうとう二桁12人となった。
1992年のバルセロナ五輪以降、レスリング等の種目で国別での出場枠、すなわち全日本王者なら自動的に代表になれたものが、世界選手権やアジア選手権等のオリンピック予選を勝ち抜かないと出場権を獲得できない時代になり、バルセロナ以降は一桁の代表隊員数に甘んじなければならなかった。そういう意味で、ロンドン五輪代表12人は快挙といえるだろう。しかも、まだ8人の隊員が代表を目指している。
第96回日本陸上競技選手権大会50km競歩兼第30回オリンピック競技大会代表選考競技会が4月15日石川県輪島市で開催され、山崎勇喜2陸曹が今期世界ランキング2位にあたる3時間41分47秒で優勝、ロンドン五輪派遣標準(3時間51分)を上回り、アテネ、北京に続く3大会連続代表に内定した。この記録は昨年の世界陸上では銀メダル以上のタイムであり、オリンピックでのメダル獲得が現実味を帯びた。
4月7日、東京辰巳国際水泳場で開催された第88回日本選手権水泳競技大会において、高桑健3海尉が200m個人メドレーで1分58秒20の記録を出し、ロンドンオリンピック派遣標準記録(1分59秒65)を突破し、ロンドンオリンピック内定の座を獲得。順位は残念ながら準優勝に終わったが、北京オリンピックに続く2大会連続代表の座を勝ち取った。このタイムも入賞ラインのタイムであり、オリンピックまで57秒台を切れればメダルラインに達する。
また、4月4〜12日の間、カザフスタン共和国の首都アスタナで開催されたアジア選手権兼ロンドンオリンピック最終予選において、フライ級に出場した須佐勝明3陸尉及びバンタム級に出場した清水聡3陸尉がそれぞれ3位銅メダルを獲得しオリンピック代表に内定した。須佐は日本アマチュアボクシングを代表する選手と言われながらも、北京では出場権を獲得できず、一度は競技を引退したが、オリンピックへの熱い思いから復活、見事出場権を獲得した。課題である減量に伴うコンディション調整が上手く行けば、実力的には世界のトップクラス、メダルが狙える選手だ。また、清水は昨年の全日本選手権で3位敗退し、夢を断たれたかに思えたところから、巻き返し北京に続く2大会連続の代表となり、ただ者ではないしぶとさを見せた。相手が強いとより実力を発揮する。北京でも世界3位の選手をノックアウト寸前まで追い込む破壊力を見せた。今大会でも難敵を撃破しての3位。オリンピックでも期待したい。
(体校渉外広報室・佐野伸寿3陸佐) |
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