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2010年6月1日号 |
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《入間基地》 |
ランウェイウォーク2010 |
今年も盛況! 5年ぶりの晴天!! |
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「さあ歩くぞ!」中空音の演奏に先導され歩き始める |
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4月24日、入間基地(司令・國分雅宏空将補)において恒例の入間基地ランウェイウォークが開催された。今年で6回目のこのイベントは大人気で応募総数は2474人。当日は応募当選者及び招待者1341名が約4kmを歩いた。
「RWはいつも雨」という伝説を覆すピカピカの晴天の中、中部航空音楽隊の演奏で幕を開けた。基地所属の航空機や車両が展示されており近寄って隊員に説明を聞く人や写真撮影に余念がない人、入間基地の修武太鼓や佐渡分屯基地の鬼太鼓のパフォーマンスに魅了されている人etc・・・待ち時間が足りない程だ。
中部航空音楽隊に先導されてランウェイウォークはスタート。「あれは何?これは何?」でジグザクに歩く人も多く、大半が4km以上歩いているのではないか・・・。歩き終えた後はお楽しみ、野外炊飯訓練展示のカレーライスを試食。「今日は隊員食堂もカレーです」と聞くと「隊員と同じ物を食べているんだと思うと感動」しながら、あっという間にお皿を空にする人々。
「思ったより距離は長くなかった」「滑走路って幅が広いね」「黄色のベストを着た人隊員さんなんだね、優しかった」など色々な思いを胸に今日を終わらせていた。
(吉田佳子)
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水戸市"ちびっ子"広場に協力 |
《勝田駐屯地》 |
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勝田駐屯地(司令・小川祥一陸将補)は5月16日、水戸青年会議所主催「第35回水戸市ちびっ子広場」で音楽演奏及び装備品展示を実施した。会場内では、茨城地本と共に広報ブースを開設し、自衛隊や駐屯地の活動状況を紹介するとともに、7月に実施する勝田自衛隊キャンプ教室への参加を呼びかけた。また、施設学校音楽クラブ(通称・施設学校音楽隊)は、オープニング及びエンディングのファンファーレをはじめ、会場内の特設ステージにおいてハイホーなど4曲を演奏し会場に集まった約一万人の聴衆を魅了した。 |
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東部方面曹友会15周年を祝う |
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東部方面曹友会の15周年記念行事が5月20日、朝霞駐屯地で開催された。この日は志方俊之帝京大学教授を講師に招き記念講話が行われたほか、発足15年を祝う祝賀会が盛大に催された。
志方教授による記念講話は体育学校講堂で行われ、各駐屯地の最先任上級曹長及び曹友会長や朝霞駐屯地に所在する隊員ら約250名が聴講した。志方教授は「国際情勢と自衛隊における陸曹の役割」を演題に、北朝鮮、中国、ロシアなど日本を取り巻く国際環境を講義するとともに、近代戦における陸曹の任務・役割の重要性を話した。
その後行われた祝賀会では、関口泰一東方総監や中川義章1師団長をはじめ、木野村謙一東方幕僚長、冨樫勝行・角南良児両東方副長、各方面曹友会長、空自連合准曹会、海自横須賀上級海曹会、在日米陸軍最先任上級曹長、東方管内各駐屯地最先任上級曹長及び駐屯地曹友会長など約170名が参加した。はじめに主催者代表として道田東方曹友会長が挨拶に立ち、初代東方曹友会事務局長から聞いた「たった1畳分のスペースで東部方面曹友会を立ち上げ、陸曹の活性化や在るべき姿、強靭な自衛隊を創造するための陸曹の役割を真剣に討論した」という話を紹介、先輩の地道な努力があってこそ15年の節目を迎えられたと感謝の意を表した。また、これからの曹友会の活動について「関心を持つ」「感動する」「感謝する」という、この3つの“かん"を隊員に浸透させ、素晴らしい隊員を育てていくことで、より一層組織を発展させていくと述べた。
続いて来賓紹介、来賓祝辞、祝電披露、鏡開き、歴代の方面曹友会長による乾杯が順次行われ、歓談へと移った。参加者はこれまでの活動を振り返ったり、意見交換を行い、積極的に交流を図っていた。 |
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雪月花 |
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電波塔では世界一の高さになる「東京スカイツリー」は東京・墨田区の押上駅と業平橋駅の間で建設が進んでいる。中国・広州市の「広州タワー」610メートルを上回るために昨年秋に当初計画の610メートルに24メートル継ぎ足して634メートルの高さに計画変更したものだ。武蔵の国634(ムサシ)の語呂合わせも意識したそうだ。しかし、「広州」はほぼ完成しているものの「東京」を上回るためのアンテナ設置は容易なことらしいから「東京」が世界一を名乗れるのはほんの一瞬かもしれない(東京新聞)。333メートルの東京タワーを追い越した数日後、現地は人波でごった返していた。駅をでると覆いかぶさるように目の前に368メートル現在のツリーが迫ってくる、急角度なので写真も難しいがみんな反り返ってデジカメや携帯をかざしている。完成したものではなく建設途中のものが歴史の証明になるとの思いらしい。昭和30年代、初めて東京に来たとき東京タワーが建設中だった。六本木交差点からもタワーの足元まで見え、姿の変わっていく様子を毎日まいにち眺めていた。田舎では想像もできない事が進行していた。映画「ALWAYS三丁目の夕日」のあれだった。カメラなど持ち合わせていなかったが胸の中にはっきり記録している、だからいつでも取り出すことができる。見学に来たこどもたちの前で50年前と同じ風景が繰り返されていた、強烈な思い出になるだろう。
(所谷) |
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