防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2009年10月1日号
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寄せ書き

挨拶推進運動
第4施設団本部第1科長(大久保)3陸佐 松田篤彦
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 大久保駐屯地では、平成21年6月から挨拶推進運動を始めました。駐屯地部隊長会議のメンバー25名を委員とした「挨拶運動推進委員会」(以下「委員会」)を立ち上げ、組織作りをし、「挨拶」の実行状況を把握・評価します。委員会は毎週1回開催しました。委員には毎回「駐屯地で挨拶が徹底できたか」を無記名で評価してもらい、全委員が「挨拶が徹底できた」と認識するレベルになるまで運動を続けました。
 具体的な運動としては、(1)各級指揮官の「挨拶」の意義・重要性の教育、(2)隊員間の討議、(3)出勤時に正門・北門による部隊代表者による挨拶運動、(4)昼休み、食堂付近での声かけ、等を実施しました。さらには、「挨拶リーダー」と書かれた肩章を装着し、隊員自らの自覚を促し、自らの発意で挨拶する環境作りにも着意しました。「挨拶リーダー」は、当初は駐屯地保有人員の30%を指定し、次は50%と増やしていき、週ごとに指定者を変えることにより、全隊員が装着するようにしました。委員会では、4回目あたりから、「もう挨拶はできている」と約2割の委員が評価し、第5回には5割、第6回は7割、第7回は9割、そして第8回で、目標としていた「全委員が『挨拶できている』と認識する」レベルに達し、約2か月に及んだ「挨拶推進運動」を終えました。
 この運動推進期間中、隊員自身の中にも「気持ちがいい」「声をかけたり、かけられたりして親近感が高まった」などの意見が増え、他駐屯地の来隊者からは、一様に「ここは挨拶をよくしますね」「活気がありますね」といった意見をよく耳にするようになりました。そのような話を聞けば、さらにがんばりも出てきてレベルアップが進み、全隊員が気持ちよく挨拶できる駐屯地になった気がしています。
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週末の過ごし方
東北方面管制気象隊(八戸)3陸曹 高坂浩和
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 3月の定期異動に伴い、八戸勤務となり4か月たった。訳ありで単身赴任をしているが、そうそう毎週家へ帰れるわけでもなく、当然一人で過ごす週末もある。そこでお金のかからない趣味をもつことにした。
 まずは駆け足。日焼けもできて、さらには汗もかけて体力練成にもなる。走ったあとの筋トレで体を痛めつけるのがまた心地よく、天気のよい日はちょくちょく走っている。
 次に洗濯。営内の最上階ということもあり、シーツや布団カバー等を洗い、屋上に干している。その日の夜に心地よく眠るのを楽しみにしながら階段を駆け上がるのがまた心地よい。
 そして最後に私が今はまりにはまっているダーツ<CODE NUM=0235>
最近ではインターネットカフェで投げ放題でダーツを楽しむことができるので、経済的にも安心である(本当は酒を飲みながらやりたいが……)。ただひたすらうまくなりたい一心で矢を投げまくり、週末のストレス解消をしている。
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出 産
第113教育大隊(国分)3陸曹 大久保圭介
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 平成20年11月21日、午前6時13分、第2子が無事誕生しました。長男のときには経験できなかった出産に運良く長男とともに立ち会うことができました。子どもの泣き声を聞いたときは自然と涙が溢れてきました。そして妻に感謝の気持ちを伝えました。家族が増え、さらに家庭が賑やかになりますます楽しみが増えました。
 3ヶ月がたったある日、国分駐屯地の第113教育大隊への異動が決まり、小さな子どもを抱えての引っ越し等とてもたいへんでしたが、妻の協力のおかげてなんとか無事に着隊することができました。しかし、すぐに新隊員の班長として勤務することになり、最初の1週間ほど家をあけることになり、妻も慣れない土地での生活や育児にもかかわらず、自衛官の職務を理解してくれ、安心して勤務することができました。ふだんはなかなか口に出して言えませんが、感謝の気持ちでいっぱいです。子どももすくすく成長し、現在8ヶ月になり、「はいはい」や「つかまり立ち」などができるようになり、これからの成長が楽しみです。仕事が終わり、家に帰り子どもの顔を見ると一日の疲れも一瞬にしてなくなります。
 これから先、いろんなことがあると思いますが、妻、そして2人の子どものためにさまざまな困難も乗り越えていこうと思います。
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陸曹への道
第304施設隊(出雲)陸士長 山影 亮
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 私が陸曹への道を決意したきっかけは、大きく三つあります。一つ目は、同じ小隊の先輩や仲の良かった同期が次々と陸曹になり、今までと変わり逞しい姿に憧れを抱いたことです。二つ目は、私の特技であるスキーで部隊のために役立ちたいと思ったことです。そして、陸曹になり、後輩隊員の育成をしていきたいという気持ちが、私の陸曹への道の決意を強くさせました。
 一般隊員で入隊した私は、試験資格を得てからも、当初はただ陸曹になりたいと漠然とした思いしかなく、なかなか合格できませんでした。そんな中、なぜ陸曹になりたいのかよく考え、なりたい理由が明確になり、試験に挑む心構えも必死となり合格することができました。
 陸曹となるための教育が始まる中で、自分の思い描いた陸曹にどうやったら近づけるかを考えながら、初級陸曹としての知識、技術を身につける日々が始まりました。今までと一転した日々の中で、学ぶことは多くあり、苦しいときは同期と励まし助け合い、同期の絆の大切さを身にしみて感じました。教官、助教からの熱い指導、厳しい訓練で妥協しそうになったとき、頭に浮かんだのは部隊の方々の顔や家族の顔でした。ここで辞めたら絶対に後悔するだろう、そう思ったら後に引くことはなく、また一歩前に進むことができました。
 陸士から陸曹へ昇任する中で自分の置かれている立場や現状をよく把握して思い描いた理想、目標の達成のための努力を惜しむことなく、私の陸曹への道をしっかりと踏みしめていきたいと思います。
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ボーリングチーム
第25普通科連隊(遠軽)2陸曹 石垣和文
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 われわれ業務隊ボーリングチームはキャプテン麻植准尉を中心に週1〜2回の練習を実施し、遠軽ボウルで月1回実施される職場対抗ボーリング大会に1〜2チームで参加しています。
 人数については常時練習に参加している者は8名程度ですが、多いときは12名ほどになります。まだまだ練度不足で他の大会には参加していませんが、後々はいろいろな大会に参加したいと考えています。厚生クラブ活動とは違ったところで活動してますので、もし業務隊以外の部隊の方でわれわれとボーリングを楽しみたい方がいましたら連絡していただけたらと思います。業務隊のおじさん(?)たちと一緒にナイスゲームを連発してみませんか? 突然「今日いくか?」みたいな感じで練習していますので、もし遠軽ボウルで見かけましたら、一声かけて下さい。もしくは、業務隊総務科に連絡下されば幸いです。
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連隊検閲を終えて
第7普通科連隊(福知山)陸士長 古家光浩
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 私は連隊検閲を終えて、大きく感じたのは、着眼をもって行動することの大切さです。
 着眼をもって行動することの大切さを感じたのは、徒歩行進の時です。私は、今回の徒歩行進において、一つの着眼をもって行動しました。それは、徒歩行進でいかに疲労を少なくするかということです。単純なことですが、疲労を少なくすることができれば、その後の行動を迅速に行うことができます。そこで私は、具体的に歩き方に着眼をおきました。野外衛生の教範にある、上りでは、両足先をやや外に、下りでは、両足先をやや内に向けて歩くと、疲労が少ないという内容を参考にしました。結果的には、これまで何も考えずに歩いていた時よりも疲労は少なかったと思います。着眼をもって行動してみて、効果を実感することができて嬉しかったです。
 私は、この連隊検閲で、多くのことを学ぶことができました。何事も着眼をもって行動して、常に物心両面の準備を整えておきたいと思います。

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新隊員前期教育
普通科教導連隊(滝ヶ原)2陸士 倉本謙太郎
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 私が自衛隊に入隊した理由は、精神力の向上、そして身体を鍛えるためです。滝ヶ原駐屯地に着隊したとき、集団生活する人数の多さに驚きました。また、出身地や年齢等がそれぞれ異なる人間同士との集団生活に果たして自分はついていけるのかと不安になりました。しかし、いろいろな訓練を同期たちと一緒に過ごすことでそんな不安もいつのまにか消えていきました。
 3ヶ月の営内生活において、団体行動の難しさも知りました。時間に厳しい自衛隊での生活の中で、皆で協力し、少しでも早く行動し、時間をうまく利用することは今後も自分の課題です。また、入隊当初心配だった体力も確実についてきました。最初は1回しかできなかった懸垂も今では7回までできるようになり、体力検定も2級まで上がりました。25km行進も最後まで完歩できたことは自分の自信になりました。今では、入隊前の漠然としていた目標もより現実的に見据えることができるようになりました。後期教育では前期で得た経験を活かし、何事にも妥協することなく、立派な普通科隊員になれるよう頑張っていきたいと思います。
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天闘武士会
第33普通科連隊(久居)陸曹候 川上強志
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 本年の1月7日から同年6月24日までの間、陸曹候補生課程及び初級陸曹特技課程に入校させていただき、多くのことを学びました。迫撃砲のみならず、多くの人と出会い、人間らしさや集団生活の大切さを学びました。毎日が時間のない中で、同期と助け合い、支えながらの6ヵ月でした。そのような生活の中で、強い絆を育むことができ、陸教で出会った仲間は一生の宝です。陸教の半年間ではアルバム係、写真係として勤務させていただき、多くの同期の思い出係として、よいアルバムを作ることができました。汗と涙で一杯の半年間でした。
 第114期は、その数字の呼び方をまねて、天闘武士会と名づけました。この名前はテントウ虫をかけてつけた名前で、テントウ虫はどのような状況でも上へ上へと登っていくような性質をもち、さらに頂上においては空に飛び立つ特性をもっています。われわれ114期生も、どのような苦しい環境においても、上へ上へ行こうと、強い思いを持って多くのことにチャレンジしていこうと思いました。これから原隊で多くの辛いことがあると思いますが、この半年間を思い出して、長い自衛隊生活を陸曹として乗り切りたいと思います。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
安全・迅速・確実をモットーに
つばめ自動車(株) 樫尾信悦
樫尾氏は平成20年2月、第21普通科連隊(秋田)を1尉で定年退職。55歳
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 平成20年2月、34年余の自衛隊勤務を終え、つばめ自動車株式会社にお世話になり早1年が過ぎました。つばめ自動車は昭和32年営業開始、横手市平城町に本社を置き社員42名でタクシー業務(ハイヤー及び訪問介護事業)を行っている歴史のある会社です。
 私は訪問介護を主にタクシー乗務員として勤務していますが、退職前にヘルパーの資格を取得し、つばめ自動車に採用していただきました。横手市内の地理には疎く、目的地に到着するのに苦労しています。○○までと言われても場所が分からず、恥ずかしい思いをしました。現在は休日等を利用し目印となる場所等を探しています。目的地に至る経路も大事で、○○と聞いたら何処を通れば安全・確実に低料金で行けるか即断しなければなりません。つばめ自動車の社長をお乗せしたとき、ポツリ言った言葉「本当に苦労したんだ。あのときの事を思い出すと涙がでてくる」とこの一言に会社を大きくした苦労・努力を感じ心に響きました。安全かつ迅速・確実に目的地までお客様をお乗せすることができる乗務員になるためには、より一層の努力が必要だと。 
 入社早々体調を崩し休養して常務・部長等、介護関係の方々に大変なご迷惑をおかけしました。理解力ある人間性に富んだ暖かい人たちのいる、このつばめ自動車に第二の職を得ることができたのも、私の就職にご尽力いただいた援護センターの皆様のおかげと厚くお礼申し上げます。


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