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2009年6月15日号 |
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悔しさバネに中方初の快挙達成 |
第35普通科連隊(守山)陸曹長 津端 敏哉 |
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35連隊は第2回大会から、中部方面隊徒手格闘選手権大会に出場していますが、初出場時は選手の練成も不十分で1回戦敗退。又、負けても悔し涙を流すどころか、ただ参加しているだけの貧弱なチームカラーが定着していました。第3回大会からは集合訓練隊も発足させて頂き、少しずつ選手層も厚くなり練度も向上してきましたが、それでも方面内の強豪チームと対戦すれば見るも無惨な敗戦ばかりが目立ち、「ベスト8」が目標のチームでありました。集合訓練の練成成果がようやく発揮できたのが第7回大会からで、着々と実力を付け始めた選手が遂に決勝戦に進出するまでに至りました。しかし、当時5連覇中の8普連(米子)チームに1本差で敗戦という悔しい経験をしました。この悔しさをバネに猛練習を重ね、第8回大会に臨みましたが、なんと今度は、2回戦で予期もしない敗戦を経験しました。
「こんな馬鹿な?」と思いもよらない敗戦に暫く呆然としてしまったことが、昨日のように思い出されます。自分自身も「指導者として失格だ」と真剣に身を引こうと思いましたが「負けたままで終われるか」「勝つまで継続することが真の負けず嫌いだ」と体育学校教官に大音響の「雷」を落とされ「よし、ならば勝つまでやってやろう」と、猛練習を選手一同に課してきました。
そして今年の第10回大会では、全く危なげなく決勝まで進み、かつて5年連続優勝を誇った8普連(米子)チームとの対戦となり、先鋒戦での引き分け以外は全て2本勝ち。終わってみれば4勝1分けの圧勝となりました。気付くと隣の道場でもBチームの決勝が行われ35普連Bチームも優勝し、2個チームダブル優勝となりました。記念大会でダブル優勝という方面隊初の快挙に、本当に熱いものが込み上げてきました。
この結果は、歴代連隊長の暖かいご指導及び連隊皆様のご協力の賜と、選手一同感謝感激しております。また1回勝ったぐらいで慢心することなく、2回続けて「実力」、3回続ければ「伝統」となれるよう、これからもより一層努力精進し、目指す全自衛隊大会に向け頑張ります。 |
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30年間の思い出 |
予備陸曹長 山口 一夫〈青森地本〉 |
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この度、「永年勤続30年受賞」との報を受け、身に余る光栄と身の引き締まる思いで一杯であります。
昭和42年3月八戸駐屯地第39普通科連隊に入隊、翌43年3月弘前駐屯地に部隊移動、第39普通科連隊本部管理中隊通信小隊、同駐屯地基地通信隊、再度、本部管理中隊において補給関係と幅広く職務を遂行させていただき、すべての行動に「和」の一言を含ませ積極的に任務を黙々と全うし、10年の節目の昭和52年、弘前市茂森新町「魚金会館」社長のお声掛けで自衛隊を退職、営業部長の要職として勤務しました。
社長が自衛隊津軽地区協力会会長及び弘前駐屯地ねぷた協力会会長を担当していたこともあり、私は事務局長を命ぜられ、4年間無事故で切り抜けました。
更に、社長は約670世帯の町会長も兼ねておりましたので、休む暇もなく昼夜走り回り、夜の一杯のお酒も明日への糧になるくらいでした。
社長の他界により、魚金会館での29年間の営業部長も終わり、現在は弘前タクシーの乗務員として平成20年から無事故走行に努力中であります。
自衛隊の先輩・同僚・後輩、魚金会館当時のお客様や顔見知りの多くの方からのご指名を頂き、まずまずの成績を収めております。故社長(旧軍陸士17期)は、予備自衛官招集訓練には快く出頭させてくれました。
また、現在の勤務先の社長、部長(空自OB)も勤務調整においては優先して訓練出頭させてくれますので、私も他の人達に鼻高々というところです。
私も残すところ予備自衛官の期間は長くありませんが、人生の許される限り頑張って、社会人・予備自衛官として経験したことを後輩達にいくらかでも申し送れたらと痛感しております。
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転入家族向けオリエンに参加して |
山本 裕子(第6施設群本部(豊川)・山本英紀2陸尉夫人) |
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夫の転勤が決まり、5年間過ごした京都から実家のある愛知県に引っ越してきました。
夫は以前、豊川駐屯地に勤務しておりましたが、その当時、私は夫がどのような環境でどんな仕事をしているのかほとんど知らなかったというのが正直なところです。
今回初めてオリエンテーションに参加して、豊川駐屯地のいろいろな施設や夫の仕事場を見学したり、自衛隊の活動をはじめ日頃の訓練、家族へのサポート、さらには給料明細の見方など初めて知ることも多くあって、とても良かったです。また、夫が訓練中のときの連絡方法など改めて説明してもらって安心も出来ました。また、職場の見学は私自身が興味があり、とても楽しかったです。子供達はそれ以上に楽しそうで、参加して良かったと思える時間を過ごせました。
私達家族は、以前豊川に住んでいたときは官舎に住んでいたので、他の自衛隊員家族との交流が自然とできていたのですが、今は駐屯地のある豊川市の隣の新城市に住んでいますので、あまり交流する機会がありません。この機会で他の家族の方々と話が出来る時間がもう少しあると良かったと思います。
今後、家族間で交流の出来るイベントなどがあれば参加していきたいです。また、今回初めて知った旅行や映画などの割引サービスはどんどん利用していきたいです。
夫は留守の多い仕事で、今までは不安なことも多くありましたが、今回の説明会でいろいろなことを知ったおかげで、私がどのように行動したらいいかわかったような気がします。今後は、夫が安心して仕事が出来るように、よりしっかりと留守を守っていきたいと思います。
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「頑張っています」 新しい職場 |
活躍するOBシリーズ |
岐阜トヨペット(株)長良営業所新車販売課 山下将人 |
山下氏は平成20年3月、第35普通科連隊(=守山)を陸士長で任期満了で退職。 |
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私は、平成20年3月に第35普通科連隊を2任期満了退職し、岐阜トヨペット(株)に営業職として就職いたしました。
弊社には私以外、自衛官OBがいませんので、私の言動が自衛官の良否を判定するものだと肝に銘じて日々精進しております。
再就職をし、一般企業に身を投じ、勤め始めて約1年が経過し新人研修を終え営業所新車販売課に配属となりました。現在まで、職場の関係上司の指導を受けつつ、先輩のノウハウを横目に盗みながら人並みに成果(担当地本援護係の情報収集によりますと10台以上を販売……スゴイ!)を上げさせていただいておりますが、この間に感じた自衛隊との違いや、再就職への心構え等を大きく3つお伝えさせていただきます。
まず自衛隊との違いから。決定的に違うの『個人力の評価』です。
皆と同じでは評価されません。もっと言えば常に百点満点が当たり前であり、人と差をつけるには他人と違うこと、要はプラスαが必要になるのです。
仕事の効率をあげたり、期待以上の働きをするのが百点満点プラスαなのです。
2つ目に『習慣を作る』です。私は研修で「小さな習慣が成功を勝ち取る人間を形成する」のだと習いました。私はこれには非常に感銘を受けました。
例えば毎日、「課業後に10キロ駆け足をする」というようでは中々難しいと思います。これを毎日5キロ又は4キロにするといったように毎日可能な目標であれば習慣化出来ると思います。続けられる簡単なことから毎日コツコツとやりましょう。
最後に、『自衛官であることに誇りを持つ』ということです。もしや「自衛隊の常識は一般での非常識だ」や「自衛隊であることに引け目を感じる」などと思っていませんか。正直に言いましてそんなことは決してありません。なぜなら一般企業は皆さんのような誠実で礼儀正しく、上下関係を知り、協調性のある健康な人間を欲しているのです。つまり、自衛隊らしさ、もっと言えば自衛隊臭さは非常に大切な能力なのです。
私は研修中に「協調性を持ちなさい。上下関係を知りなさい。規律正しく生活しなさい。挨拶しなさい」と耳にタコが出来るくらいに聞かされました。自衛隊を経験した私からすれば『極、当たり前!』と思うことばかりでした。確かに資格や専門知識も大事かもしれませんが、その前提となる能力が欠けているのが最近の若い人なのだそうです。こういったことから自衛官の能力は高いということが言えるのです。
私は自衛隊での経験で無駄だったものは一つもないと思っています。全てが現在の糧であり、今後も財産となります。皆さんには自衛官としての誇りを堂々と持ってもらいたいのです。 |
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