自民党総裁選に9人が立候補し、論戦が行われた。この随筆が掲載される10月1日には、新総裁が誕生しているだろう。自民党総裁は日本の総理大臣になるので、総裁選の論戦で、日本をこのような国にしていきたいといった国家像に関する論戦があればよいと思ったが、論戦は政治とカネの問題、党の信頼回復、経済・財政政策、少子高齢化などが主で、国家像に関しては、外交・安全保障のテーマで断片的な意見の開陳にとどまった。
大きく変化していく世界の中で生きる今の日本に、目指す国家像、すなわち国家ビジョンが必要だと思う。「有徳の尊厳ある平和国家」。これが私の掲げたい国家ビジョンである。日本は言論自由の民主主義の国なので、一国民がかくありたいと思う国家像を表明することが全く無意味ではないと思いたい。
国家ビジョン「有徳の尊厳ある平和国家」の、まず「有徳の国家」であるが、これは松下幸之助が昭和の時代に説いた国家論である。松下は「人間として一番尊いものは徳である」と言い、国家にも徳がなければならないと説いた。人に徳望や人徳があるように国家にも国望、国徳がある。国望、国徳のある国家は世界の国々から信頼され、頼られ、国望、国徳は国の力となる。松下は、1.国民の道義道徳心が高く、マナーが良いこと、2.文化の薫りが高く国土整備が行き届いていること、3.日本の伝統や歴史が国民の間で大切にされ誇りとされていること、4.経済力が充実していること、を国徳として挙げたが、こうした国徳も、国民の良識の程度、民度の高さに帰着すると考えていた。松下の説いた有徳国家論を改めて令和日本の国家ビジョンとして掲げたい。
次に「尊厳ある国家」であるが、尊厳とは人間の生命や人格のように、尊くて侵しがたいこと(もの)をいう。人が尊厳をもつのと同様、国家も尊厳をもつと考えられており、国際法でも国家の尊厳は尊重されるべきものとされる。国家がなぜ尊厳をもつとみなされるのか。まず、国家は法と秩序を維持することで国民の自由、尊厳、権利を守るゆえ尊厳をもつ。次に、国家は自ら主権をもち、他国に従属せず独立して存在するゆえ尊厳をもつ。そして、国は独自の歴史と文化をもち、それが国民のアイデンティティや誇りの源泉となるゆえ尊厳をもつ。人間の尊厳は生まれつき備わっているが、国家の尊厳は人がつくるものである。独立しておらず他国に隷属する国家や、自国民の自由や権利を守らないような国家に人は尊厳を認めないだろう。尊厳ある国家は国民が努力してつくり維持するものであるゆえ、改めて国家ビジョンとして掲げたい。
最後に「平和国家」であるが、世界がまた戦争の時代になるのかとの懸念もある今こそ、平和国家のビジョンを掲げたい。この時、平和は血のにじむような努力をしてつくりあげるものだという徹底した認識が必要である。その意味で、消極的平和主義でなく、積極的平和主義を掲げたい。考えられるあらゆる国際戦略を取り、戦争を未然に防ぐ。それでも自衛のために戦わなければならない時が来るかもしれない。その時も平和主義を堅持して戦う。しかし戦争はあくまで避けたい。日本の徳望、尊厳、国力、防衛力、国際的な連携が総合的な抑止力となって、日本と戦争する気が起きなくなるようにしたい。
「有徳な尊厳ある平和国家」像が、令和日本のビジョンとなると思うのだがどうだろうか。
(令和6年10月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |