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自衛隊ニュース   1132号 (2024年10月1日発行)
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ノーサイド
北原巖男
「去るとき、罪悪感でいっぱいでした…」

 近所の方からチラシを頂き、国境なき医師団(MSF)日本 会長/救急医・麻酔科医の中嶋優子さんの「国境なき医師団の活動から戦争を考える」と題する講演会に行って参りました。(9月17日 築地本願寺 本堂にて)
 国境なき医師団の方から直接お話しを伺うのは初めてでした。現場に行かれた人間ドクター中嶋優子さんのお人柄やお話しに引き込まれました。長くなりますが、その概要をご紹介させてください。(以下は、全て筆者の記憶に基づきます。中嶋さんの思い等を必ずしも正確に伝えていないかもしれません。ご容赦願います。)
 冒頭、中嶋優子さんは、次のように語りました。
 国境なき医師団は、独立・中立・公平の観点に立ち、医療が無くて苦しんでいる人々に対する「医療活動」を行うことを使命としている。と同時に、もうひとつの大事な使命は、現地を見て来た者として、今回のように広く世界の人々に対して「証言活動」を行うことである。
 そんな中嶋さんが指摘された問題点は、(1)医療施設・活動への攻撃が多発していること。(2)医療を必要としている人々へのアクセスが大変であること。医療の援助活動自体が禁じられることもある由。
 パキスタン、シリア、イエメン、イラク、南スーダン、ナイジェリア、そしてガザ等での派遣活動に参加されて来られた中嶋さん。ロシアの侵略が続くウクライナも現地視察されています。
 そうした中嶋さんのお話しの中で、筆者が特に関心を抱いたのが、ガザの状況です。多くの聴衆の皆さんも、きっと同様と思います。
 中嶋さんは、昨年10月7日のハマスのイスラエル奇襲攻撃開始から1週間後に国境なき医師団本部から来た派遣参加の意向確認に対して、直ちに参加を表明。日本人の中嶋さん1名を含む医師・薬剤師等13名(欧州10名・南米2名・日本1名)から成る第1次派遣団が結成されました。幾多の曲折を経て、ラファオ検閲所からガザに入り、戦闘行為のため閉鎖されていたハンユスという場所に在るクリニックにて医療活動を始めた由です。
 13名は、いずれも紛争地にて活動して来ている経験豊富なメンバーでしたが、「ガザは、段違いにひどい!」で一致。自分を含むみんなが、精神的なダメージを受けたとのこと。あまりにもひどい状況であり、こんなにひどいことは長くは続かないと思った。しかし、間もなく1年にもなろうとしている。中嶋さんは、そう話されました。
 現地の医療現場では、「WCNSF」との言葉が日常的に使われているとのことです。「Wounded Child,No Surviving Family」(負傷した子供、生き残った家族無し)。
 中嶋さんは救急医として、爆撃や爆撃による建物崩壊で傷ついた子供の手術もされています。高熱のコンクリート片が沢山突き刺さったまま運ばれて来る人もいます。一度に多数の傷ついた患者さんが運ばれて来ます。現地スタッフを含め、総員で対応します。
 そんな中、負傷した我が子の容態を心配する親御さんに対し、まるで自分の家族に接するように懇切に対応・説明している現地スタッフの姿に、中嶋さんは胸を打たれたと語っていました。そして自分も、可能な限り、この患者さんは、自分の家族や友達なんだと思うようにして接して来ているとのことです。
 しかし、あまりにもひどい傷の状況から、生きて行くためには、あと数回は手術をする必要がある、その後もリハビリが欠かせない、そんな患者さんもいます。でも、現実にはそれは不可能なのがガザの状況だ・・・中嶋さんは、深く思い悩んだそうです。
 こうした無力感に陥った自分を元気づけてくれたのが、ガザの無邪気な子供達だったとのことです。
 そして、とにかく、今できることをやるしかない、今できることに全力を尽くすんだ。そう自分に言い聞かせてやって来たとのことです。
 中嶋さんは、あの子供たちの無事を心から祈らないではいられないと、おっしゃっています。ほとんど毎日のように報じられるガザからのテレビ報道に接する時、私たちも心から願わずにはいられません。
 戦闘状況の更なる悪化のため、派遣団は、3週間で現地を去ることになったそうです。中嶋さんは吐露されています。
 「去るときは、罪悪感でいっぱいでした・・・」
 そんな中嶋さんは、ガザ派遣を通じて感じている事柄も紹介されました。
・ガザの人々に、自分達は見捨てられていないとの希望を持ってもらったのではないか。
・現地では、みんなが助け合っている。
・即時停戦以外に、人道援助の力を取り戻すことは出来ない。
・戦争のもたらす圧倒的な破壊の前に、人道援助は、あまりに無力。
 このような「証言活動」について、パレスチナ寄りだとの批判を受けることもありますが、自分としては、現場で見たことだけを証言して来ている。また、現場に行った自分が日本人であるが故に、アメリカで行う自分の証言を、人々が信じてくれている反応を感じることもある。これからも続けて行きたい。そうおっしゃっていました。
 中嶋さんの「証言活動」に接し、ガザについて、更に、ウクライナについて、現地から送られて来るテレビ映像を前にする時、何としても、一日も早く停戦が実現することを願って止みません。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


東ティモールで能力構築支援
 10月1日から10月30日の1カ月間、陸上自衛官14名と防衛政策局インド太平洋地域参事官付3名が、東ティモール民主共和国の首都ディリ近郊にあるメティナロ基地において行われる能力構築支援事業「HARII HAMUTUK(ハリィ・ハムトゥック)」に参加する。同事業は施設分野における同軍工兵の能力向上のためにオーストラリア軍主催で毎年行われているもので(コロナ禍を除く)、日本は2015年から参加している。今年は豪州、ニュージーランド、米国と共に参加し、日本は道路補修や施設機械整備に関する教育を行う。
 9月20日、派遣団が三宅伸吾防衛大臣政務官に出国報告を行った。三宅政務官は「本事業は日本と東ティモールの協力関係を象徴するものだ」とし、「このような重要な事業を担う誇りと自信を胸に、プロフェッショナルとしての知見を最大限共有してほしい」と激励した。

TPPケニア帰国
「日本の教育わかりやすい」
 9月20日、国連三角パートナーシッププログラム(TPP)の一環で、ケニアの首都ナイロビにある人道平和支援学校(HPSS)に派遣されていた教官団24名を代表して、団長の佐久間忍2陸佐(第11施設群)ら4名が、森下泰臣陸上幕僚長に対して帰国報告を行った。教官団は、現地時間の8月5日から9月13日まで、国連活動支援局が実施するアフリカ地域の工兵(施設)要員に対して教官として養成するための重機操作訓練を行った。
 日焼けして逞しくなった顔つきに、森下陸幕長も笑顔で労いの言葉をかける。「日本式の教育はわかりやすくて良いと訓練生に言われ自信となりました」(佐久間2佐)、「各所掌及び現地スタッフと連携できた」(山口2尉)、「胸に秘めた熱い情熱を持った日本の教官と、自国で重要な任務を持った熱さ全開のアフリカの学生を繋ぐ任務を全うできた」(西田2尉)、「日本とアフリカの架け橋になれた」(近藤曹長)と、それぞれと充実感を滲ませていた。
 TPPはPKOに派遣される工兵を国連・支援国・要員派遣国が協力して教育する仕組みで、アフリカ諸国に対しては今回で11回目となる。

統幕最先任が比軍最先任を招待
 9月9日及び10日、統幕最先任の甲斐修准空尉(写真左から3人目)はフィリピン軍最先任のラゾ上級曹長を日本に招待し、日比防衛協力の強化を図った。
 市ヶ谷においては統合幕僚長表敬及び陸海空先任との意見交換、習志野駐屯地においては部隊研修を実施した。

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