私には、自衛官として勤務した35年余り終始一貫してその完成型を追い求めていたものがあります。それは、久留米の幹部候補生学校で初めて目にした「指揮の要訣」です。これは、陸上自衛官にとってのバイブルと呼ばれる「野外令」の一節に書かれており、その内容は、「指揮の要訣は、指揮下部隊を確実に掌握し、明確な企図の下に適時適切な命令を与えてその行動を律し、もって指揮下部隊をしてその任務達成に邁進させるにある。この際、指揮下部隊に対する統制を必要最小限にし、自主裁量の余地を与えることに留意しなければならない。」と記述されています。小隊長から陸上総隊司令官までの指揮官職で、率いる部隊の大小こそあれその根本はこの「指揮の要訣」にあると今でも思っています。「指揮下部隊の確実な掌握」は、部隊にあっては、その部隊の伝統や特性、練度、編成・装備、人員の充足状況等を、隊員にあっては、隊員本人はもとよりご家族の状況、日頃の勤務状況等を頭の中に叩き込むことが重要です。小・中部隊のリーダーたる班長、小隊長、中隊長等は日々隊員との会話を通じ、指揮官自体が輪に飛び込むことにより部隊を比較的容易に掌握することができます。一方、管理者の立場も併せ持つ連隊長、師団長、方面総監となりますと、直近下位の指揮官を通じそれを行うことになりますので、その掌握に長時間を要することとなりますし、直近下位の指揮官の主観や性格により一定の尺度で横串をいれた共通の評価になりにくいのが現状だと思います。私の勤務経験では、このような実感から努めて直近下位の更に下位、即ち連隊長であれば小隊長まで、師団長であれば、中隊長まで「確実に掌握」することに努力を傾注しました。しかし、これも自ら求めて足を運ばなければ実現できないことであり、大変難しいことでした。「明確な企図の下に適時適切な命令を与え」は、一見簡単そうに見えますが、実は大変難しいと感じています。計画に従った命令の付与、日々の隊務における比較的ルーティーンとなった仕事においては、簡単ですが、状況不明な場合や突発事態への初動等においては、実は命令ばかりを逐次切り取って大きな声で部隊に伝えるといった場面を散見したことがあります。「肉買ってこい!」「野菜買ってこい!」と隊員に叫んでも隊員は牛肉か豚肉か鶏肉か白菜かピーマンか判断はつきません。「俺は本日19時から家で小隊のみんなとすき焼きをやりたい。Aは肉買ってこい!Bは野菜買ってこい!」であれば、大概の隊員は牛肉や白菜、春菊等を買ってきますし、気の利いた隊員は、しらたきや焼き豆腐等をかってくるでしょう。この明確な企図があれば、少々命令があやふやでも部隊はしっかり任務を果たしてくれます。しかし、前述した緊迫した場面においては、この明確な企図を示さないまま、頭に浮かんだことを五月雨式に部隊や部下に命ずることがあると思います。これを解消する唯一の方法は「鞍数」であろうと考えます。大小構わずたくさんの失敗から学ぶしかありませんが、謙虚に自らの失敗を受け入れれば、必ず体得できるものと思います。最後に「自主裁量の余地」についてですが、これが私にとって永遠の課題でありましたし、未だに修得できていない部分だと感じています。自主裁量の余地を与えることは、言い換えれば部隊や部下を信じて「任せる」ことに他なりません。人偏に2画で思いやりの「仁」、3画でリーダーが仕切るの「仕」、4画で任せるの「任」となります。人が3人いれば誰かがリーダーになり組織を仕切るといった「仕」までは経験により比較的簡単にできるようになりますが、この「任せる」については退官のその日まで完成型はわかりませんでした。「本件は君に任せた」と言いながら、ついつい気になって、いらぬ催促をしてみたり、指導と称して部隊長の指揮権をオーバーライドするようなことをしたこともありました。また、「任せたぞ」と言われたことを良いことに、「これは俺が任されたんだ!」と気を吐き出来上がりを指揮官に報告したら、大目玉を食らったこともありました。「任す」「任される」双方ともが相互の信頼感に基づいて絶妙な塩梅で任務を達成することが重要です。任された方は、指揮官の企図に合致しているかを任務達成の各段階において逐次報告し、指揮官からの指導(指針)を受けることが大事だと考えます。現在、OBとして一般企業に勤務しておりますが、この「指揮の要訣」を35年余り追い続けた者として断言できますのは、自衛隊における教育や勤務経験は非常に有意義であったと同時に、そこで修得したものは一般社会においても重要な基礎をなすということです。これからも、自衛隊の皆様に育てて頂いた恩を忘れず日々精進していこうと思います。
(著者略歴)
防大29期生・6戦車大隊・第72戦車連隊中隊長(北恵庭)・第71戦車連隊長(北千歳)・東京地方協力本部長・第2師団長(旭川)・陸上幕僚副長(市ヶ谷)・東部方面総監(朝霞)・陸上総隊司令官(朝霞)・統合任務部隊司令官(台風19号)等を歴任 |