ウクライナの惨状、増え続ける一般市民の犠牲が、連日報じられています。
ロシアのウクライナ侵略は、僕たちが今享受している平和や安全が、小さな子供たちの時代になっても、所与のものとして続いて行く保証など全く無い国際社会の冷徹さ、非情さを見せつけています。
「防空壕の中にいた、あのお母さんや子供たちは無事逃げることが出来ただろうか?」
全く見通しの立たない停戦交渉、侵略を続けるロシア軍の戦車の車体に大きく乱暴に書かれた白いZの文字を見ていると、僕は、激しい憎悪の念が湧いて来るのを禁じ得ません。と同時に、安全な日本に在って、テレビの中の目を覆いたくなる惨状を大変だとは思いつつも、所詮は遠い海の向こうの出来事だと割り切って観ている自分も感じます。
かつてわが国唯一の地上戦が行われた沖縄戦で、鉄血勤皇師範隊の一員として戦い沖縄県知事も務めた大田昌秀さんが書いています。
「ひとたび戦争ともなれば、真っ先に過酷な運命に陥るのは最も弱い立場の人びと、つまり戦闘能力の無い老幼婦女子たちに他ならないのです。そのことを沖縄戦はあますことなく明証しました。
とりわけ未来を担う子供たちの犠牲は "悲惨" の一語に尽きます。未来に向けてあらゆる可能性を秘めたまま、幼子たちは人生のつぼみのまま花開くこともなく散ってしまったからです。しかも、そうした事態は対馬丸事件のように県外への疎開途上の災難に尽きるものではありませんでした。島内に残された子供たちの運命もまさに無残としか言いようのない冷酷無比なものでした」(「大田昌秀が説く沖縄戦の深層」2014年8月 高文研刊)
今同じことが、ウクライナで起きています。
沖縄戦当時小学4年生、やんばるの国頭村に逃げて助かった現在90歳のウチナーンチュの方から、ウクライナの子供たちが当時の自分と重なるとの電話を頂きました。
「戦争は本当に怖かった。うちの家族はいつも一緒に逃げ回った。幸運にも助かった。食べるものが無くてソテツも食べた。ソテツはそのままでは毒なので、乾燥して水に漬ける。ウジが湧いてきたら解毒された証拠なので、それを洗って食べた。ひもじかった。マラリアにもかかった。戦後、石川の収容所に入った。1947年に村に戻ったが、全てが破壊尽くされてすっかり変わってしまっていた。ウクライナの人たち、子どもたちの悲惨な現状と戦後の大変な苦労が目に見えるようだ。
それにしても、権力の座に長くいる人間は何をしでかすか分からないものだ。怖ろしい。メンツにこだわっているロシアが折れないと収まらないのじゃないか。
わしゃよく分からんのだが、第3次世界大戦に発展しまいかと大変心配しとる。
香港や台湾に対する中国の動きも怖い。
日本はどうなる?心配だ。」
かつて長年首長も務められた長老のお話を伺っていますと、沖縄方面特別根拠地隊司令官 大田 実海軍少将が海軍次官に宛てた電報、「沖縄県民斯(か)く戦へり。県民に対して後世特別の御高配を賜らんことを」の有名な一文が浮かんで参りました。当時の県民の4分の1、約15万人もの皆さんが戦いの犠牲になり、そのうち14歳未満で亡くなった子供たちは、約1万1千余に及んでいます。
しかし、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で日本が主権を回復し国際社会に復帰する一方、沖縄は日本から切り離されてしまいました。1945年の敗戦から1972年5月15日に日本に復帰するまでの27年間、沖縄は米軍の統治下「アメリカ世」におかれて来ました。
今月15日は、復帰から50年の節目を迎えます。
この間、政府は、本土との格差の是正や過重な米軍基地負担の軽減等に努めて来ています。しかし、いずれも道半ばであり、引き続き県民皆さんの生活水準の向上や普天間基地の辺野古移設を含む基地負担の早急な軽減に取り組んで行かなければなりません。
僕も沖縄の基地負担の軽減に、現地でまた東京で携わって来た者の一人ですが、そうした取り組みの中で学んだことを、後輩の皆さんに伝えたいと思います。何らかの参考になれば嬉しいのですが。
それは、沖縄の皆さんが最も大切にされている「チムグクル(肝心)」。
お互いに立場の違いから厳しく意見をぶつけたり、やり合っても、そんな立場の違いを超越して相互に人間として信頼し、認め合い、努め合うことが出来る前提に在るのが「チムグクル」。僕はそう考えるに至りました。激しいやり取りがあっても、それは憎悪むき出しのいがみ合いとは異なります。
また、後を絶たない事件や事故での対応を通じて、在冲米軍の皆さん一人ひとりが、公私の別なく沖縄の皆さんの真に良き隣人として、誠実に行動して行く積み重ねの大切さを実感しました。
これは、全国各地の自衛隊員の皆さんについても全く同様です。地域の皆さんにとって、隊員一人ひとりが真に良き隣人であることを確信しています。
こうした中、昨年亡くなられた歴史探偵の作家半藤一利さんが遺された最後の原稿(「戦争というもの」2021年5月 PHP研究所刊)で紹介している歌人の三枝昴之(さいぐさ たかゆき)さんの一首がとても気になります。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」
「リ」は完了形にあらず県民はいまも戦う
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事 |