海上自衛隊での最終配置である自衛艦隊司令官を退き早くも3年が過ぎた。世間では新型コロナの影響から多くの方々が厳しい生活を強いられている状況において、幸いにも現在の防衛関連の職に就き今のところ老後の不安もなく普段の生活を送っている。会社員と言う雇われの身でありながら、実際には自衛隊OBが組織する様々な学会や団体等にも籍を置き、会社の仕事の傍らとは言えないほど多くの課題を与えられ、日々頭を抱えているのが現状である。ただ、その様な環境にあっても、これまで培ってきた経験や知識を還元することで、多少なりとも安全保障に寄与できているという実感があり有難いと感じている。実際には多くのOBが長年の自衛隊生活とは関わりのない分野で、知識も経験もない世界に飛び込み、悪戦苦闘しながらも立派に職務を果たしている。その中には、必要な知識の習得のため老いた頭に鞭打つ方や、新たに起業される方、あるいは海外に新天地を求めて移住される方も多いと聞いている。
退職して先ず気付かされることは、自衛官であったことが一般の社会においては何の免罪符にもならないと言うことである。もちろん、軍人が制服で闊歩し退役してもなお尊敬され、国の財産としての地位が与えられるような国との比較はできないにしても、下手をすれば、自衛隊と言う温室で育ったことを悔いることさえ迫られるのが我が国の現実である。現在、隊友会をはじめとする防衛4団体により「憲法改正」や「自衛隊員の処遇改善」等に関する政策提言がなされており、世間一般にも憲法や自衛隊への関心の高まりが見られる。将来的に憲法が改正され、我が国における自衛隊の位置づけが憲法上確たるものとなり、自衛隊員の身分とその処遇が改善されることが期待される。このことに加え、重要な提言が「元自衛隊員の有効活用」である。その中でも特に注目すべきは、退職後の自衛隊員がその経験や知識を発揮するために必要となる適格性の継続保有に関する手続きなど退職自衛隊員の情報管理に関する課題である。
現役の自衛隊員である当時には、秘密の取り扱いに関して厳格に管理されていた。もちろん、そのための教育も充実したものであり、常に秘密保全の重要性を意識する機会を与えられていた。また、秘密物件の保管に関しても厳しくチェックされ、さらに、監察の際の重点項目として秘密保全が取り上げられ、組織としても襟を正すための努力が繰り返されている。このように、現役自衛隊員である限りにおいては常に秘密保全の重要性を認識し、取り扱う秘密のレベルに応じた関係者や、秘密を保管あるいは閲覧する環境を常に意識して勤務に従事している。また、秘密事項の漏洩について、関連する規則の趣旨を真摯に受け止め、その取扱いに関し自らを律する努力を重ねてきた。しかしながら、退職して現役を離れた途端、これまでの知識は そのままであるにも関わらず、形式的に秘密を取り扱う条件を解除され、元自衛隊員として現役当時に取り扱っていた情報の特殊性や重要性への配慮は見られない。
現代社会において安全保障の鍵を握るのは情報である。今日の国際社会では、国家間の相互依存関係を一層拡大・深化し、共に成長することに価値を見出している。他方、そのような価値観を共有できない国家との間においては、最先端の技術を駆使した目に見えない環境において、情報を巡る国家間の争いが激化している。平素から情報を適切に管理し活用することこそ安全保障の基本であるにも関わらず、我が国における情報への関心の低さは所謂「平和ボケ」の象徴である。この点に関して特に敏感であるべき防衛省においてさえ、現役自衛隊員に対する情報の取り扱いには熱心なものの、退職後の自衛隊員への関心は必ずしも高いとは言えない。そのため、国家の知的財産である退職自衛隊員が有する情報を有効に活用し、これを適切に管理しようとする動きは見られない。
軍事に限らず技術の進歩は日進月歩ではあるが、その全ては知識と経験の上に成り立っている。特に、軍事分野に関する特殊な知識や経験は、その機会に恵まれた者だけが有し得るものであり、一般的な媒体を介して入手できるようなものではない。情報戦やサイバー戦など平素からの戦いが重視される現状において、防衛省は貴重な退職自衛隊員の知識や経験を国家の知的財産として有効に活用するため、現役自衛隊員から継続した条件の下で対応できる保全措置を早急に講ずる必要がある。自衛隊は創立から70年を迎えようとしており、退職自衛隊員の数はこれからも増え続ける。如何なる状況においても情報に関する失態は、国益を害する重大な問題である。退職自衛隊員の有する豊富な知識と経験を活用することなく、国家の財産である貴重な情報を無駄に滞留させ、これが無益に漏洩する可能性を傍観している余裕はない。今こそ、退職自衛隊員の保有する貴重な情報を有効に活用し、これを適切に管理するための検討に着手すべきである。
(著者略歴)
防大27期生、護衛艦「まつゆき」艦長、第3護衛隊司令、海幕装備体系課長、海幕補任課長、第1護衛隊群司令、潜水艦隊司令部幕僚長、防衛大学校訓練部長、海幕防衛部長、海上自衛隊幹部学校長、佐世保地方総監等、自衛艦隊司令官を歴任 |