防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2010年10月1日号
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寄せ書き
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カンボジア体験記
第30普通科連隊(新発田) 3陸曹 江口統一郎
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 今年の8月、約1週間の夏季休暇を利用してカンボジアでJMAS(日本地雷処理を支援する会)が行っている不発弾、地雷等の回収処理及び同地域での道路等のインフラの整備・復興を見学しました。JMASは自衛隊のOBを中心に2002年(平成14年)2月に発足。カンボジアにおいて現地のCMAC(カンボジア地雷処理センター)に協力するとともに、ラオス、アフガニスタン、アンゴラ等で地雷や不発弾の処理を行っている団体です。
 8月7日にカンボジア入りしたのですが、新しく建設される高層ビルや道路、橋などが目覚ましく、正しく首都プノンペンの発展は町の人々の勢いを表しているようでした。しかしプノンペンから北東へ数10キロに位置するコンポンチャム周辺の不発弾処理現場を見学した時は、近代化するプノンペンとは別世界の今なお内戦で傷ついている現状を目の当たりにしました。
 現地のCMACの小隊長の話によると、最近は地雷による人的被害はないものの、この間も牛が地雷を踏んで死んだとのことでした。普段生活しているすぐそばに地雷原があるという、その現実にゾッとするものを感じました。しかし、危険と隣り合わせという現状にもめげず、底なしに明るい現地の人たちを見て、CMACの隊員の方々が命を懸け、汗だくで地雷処理作業をしている理由がなんとなく解った気がしました。
 その後、同地域にあるバッタンバンのインフラ整備、改修工事等を見学、5日目以降はそこから更に西へ数10キロの場所にあるタサエンという村を訪問しました。タサエン一帯は、過去にポルポト派とベトナム軍が激しく争った場所であり、いたるところに地雷原を示すマークがありました。JMAS発足当時からカンボジア復興事業に携わっている、自衛隊OBで現在、JMAS所属の高山良二さんに案内していただき、地雷原の処理現場に足を踏み入れると、CMAC隊員の多くが女性であったことがわかり驚きました。この日は日差しも強く、重い対爆チョッキに鉄製のヘルメットという装備で隊員達は地道で危険な作業を延々とこなしていました。自分たちの村を少しでも安全に住みよくしたいという強い意志がないとできない作業であると感じました。
 数年前に対戦車地雷により7名の隊員が亡くなっているということでした。本当に危険と隣り合わせの仕事であるとつくづく感じるとともに、日本という国がいかに安全かということを肌身に感じました。
 短い期間ではありましたが日本人スタッフ、現地の隊員、そこに住んでいる人たちとのふれあい、非常に意義のある一週間でした。私はこの見学を通して見て感じたことをより多くの人に知ってもらい、私と同じく実際現場に行って感じてもらいたいと痛切に思いました。これからも安全に任務を遂行してカンボジア、ひいては世界平和構築のため頑張ってほしいと思います。本当にありがとうございました。
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遅咲きライダー
第36普通科連隊(伊丹) 2陸曹 山本宗次
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 私は39歳でバイクの免許を取得し、バイク人生をスタートさせた遅咲きのライダー!バイク歴3年、現在青春真っ只中、訳ありバイクにまたがり今日も風になっています。(つもり)
 休日、私の朝は早い。キック一発、エンジン始動!とはなかなかいかず、いつもキック15発ぐらいで私の愛車はやっとやる気になってくれます。原付バイクに抜かれる、てことなんかはよくあることです。気にしません。身体に傷はつきますが心に傷はつきません。まさに青春ロードです。
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最後の訓練を終えて
旭川地本 予備1陸尉 関根清二
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 平成22年度予備自衛官中央訓練に参加できましたことを大変嬉しく思っております。この中央訓練が予備自衛官としての最後の訓練になるため、無事に任期満了を迎えようと考え出頭の準備をしておりました。
 今回の中央訓練は、「平成22年度東京都・文京区合同総合防災訓練」に参加をしました。本防災訓練は小石川訓練班と白山駅訓練班に分かれ、私は、白山駅訓練班担架班第一組として、地下鉄のホームに「負傷者発生」との想定の中、負傷者を地下から地上の救護所へ担架により搬送するという任務でした。
 訓練中、地下鉄は通常通り運行されており、多数の利用客の方がいる中、我々予備自衛官も鉄帽・戦闘服で訓練に参加したので、予備自衛官も「自衛隊さん」と見られ、現職自衛官との区別はないと感じました。ですので、今後様々な訓練に参加する予備自衛官の方々も、周囲からは現職自衛官と区別なく見られているといった心構えと、陸上幕僚長から頂いた訓示にあった「自衛官としての強い任務意識の保持」「お互いの信頼感の醸成」「地域社会の範となれ」の3点の要望事項を胸に、訓練に参加をしてほしいと思います。
 最後になりましたが、本中央訓練参加にあたり御尽力いただきました、旭川地本・訓練担任部隊・その他多くの皆様方に対しまして、この場をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。
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人物紹介
初志貫徹で夢を実現する 小成未幸さん
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 「私の夢はウェディング・プランナーになってお客様に喜んでいただくことです」
 平成21年3月に2任期満了退職を控え、多賀城駐屯地援護班で面談中に出た言葉でした。
 小成未幸さん。第381会計隊の元女性自衛官である。事前に提出されていた就職希望調査表にも第1希望欄に業種「サービス業」職種「ウェディング・プランナー」と記されており、彼女の希望は、具体的でありかつ情熱を感じるものがありました。
 早速、仙台市内にある「杜の都の迎賓館・勝山館」に任期制退職自衛官の雇用について説明に行くと「求職者が多く実務経験者じゃないと難しいですね」との事。「しかしそこを何とか、まずは人物を見て評価判断して下さい」と援護担当者として先方の人事担当者に懇願。退職までの3ヵ間、本人を週末研修という形式で受け入れてもらい、勤務状況を判断していただくと「研修勤務態度良好につきぜひ採用したい」との事。
 あれから1年数ヵ月、今ではウェディング・プランナーとしてはもちろん、「杜の都の迎賓館・勝山館」のパンフレットモデル。8月からはテレビコマーシャルにも出演中の彼女。
 「これからも自衛隊出身者として恥ずかしくないようがんばります」との事。夢に向かって彼女の人生は着実に前進中である。(宮城地本 2陸尉 鈴木 友保)
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「少年の船」に参加して
西部方面特科隊(湯布院) 陸士長 安部亜矢乃
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 7月27日〜31日までの間、大分県が実施する第31回「大分県少年の船」運航事業に、自衛官として初めて、企画及び実施にあたるリーダーとして参加して参りました。
 本事業の目的は、沖縄県を訪問し、現地研修及び船内における団体生活を通じて、広い視野と社会性を養い、心豊かで生き生きとした青少年の健全育成を図るものです。
 主な内容としては、沖縄県少年団体との交流、沖縄県史跡・戦跡見学等になり、参加した人数としては、小中高校生及び支援学級の子供達、合わせて約550名と、スタッフ約50名を合わせて、約600名と大変大きな事業となります。
 研修初日にはあまり積極的になれずにいた団員達ですが、1個班約20名の28班という団体で生活していくにつれ、めざましく成長を遂げていく様子を間近で見る事が出来ました。
 他者を思う心、規律の重要性や連帯の精神、そしてなにより大きな友情を育む今回の研修でしたが、子供達のみならず、私達大人も大きく成長出来る機会になりました。
 「チェンジ〜自分の世界を広げよう」という目標を掲げて運航された本事業において、私達大人においても、子供達の成長を見守る中で得た物は大変大きく、日々の日常において当たり前となってしまっている、とても大切なものに改めて気付かされ、目標通りチェンジすると共に大きく視野を広がることが出来たのではないかと思います。
 この貴重な体験を、今後の自衛隊生活に活かしていきたいと思います。
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陸曹としての決意
東部方面航空隊(立川) 3陸曹 鈴木英之
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 7月1日付をもって私は3等陸曹に昇任することができました。これもひとえに、課業内外を問わず私を指導してくださった隊長をはじめ、上司、先輩のおかげだと深く感謝しています。
 今年1月から、第2陸曹教育隊に入校し数多くのことを学ばせていただきました。その中で私が重要だと感じたのは「リーダーシップ」と「責任感」の2つです。陸曹は小部隊の指導者であり部下を持つ立場です。部下を持つ以上、責任は上官にあり、彼らがミスや怪我をしないよう常に目を配り、指揮・指導に努めていきたいと思っています。
 入校を終え部隊に戻り8月から通信器材陸曹となりました。今の私の目標は器材に関する知識を深めること、子供の頃からの夢であるパイロット試験の合格を目標に勉強すること、そして体力検定1級を目指しながら、年度末の戦技競技会(駅伝)で部隊に貢献できるよう日々の体力錬成に励むことの3つです。
 まだ未熟な点、至らない点も多々ありますので、多くの先輩方からご指導を頂き悔いのない自衛隊生活を送っていきたいと思います。
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楽しかった体験入隊
大藤翔太さん (米子駐屯地投稿)
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 8月28日、29日の2日間体験入隊して思ったことは、自衛隊のみなさんはとても楽しく、優しかったことです。
 歩き方やあいさつのやり方とか、上手くできなかったですが優しく教えてくださってありがとうございました。
 厳しいトレーニングも、自衛隊のみなさんの明るい雰囲気により楽しいトレーニングとなりました。普段できないことも体験させてもらい、良い経験になりました。この経験を今後に活かしていきたいです。
 自衛隊のみなさん、これからもお仕事頑張ってください。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
ジブラルタ生命保険(株)下村 和輝
下村氏は平成21年3月、北部方面航空隊野整備隊を陸士長で任期満了で退職。23歳
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 自衛隊から保険会社に転職して1年が過ぎ、今、とても楽しく仕事をしています。
 「何故保険会社なの<CODE NUM=0236>」家族や部隊の先輩、友達もみんなびっくりです。
 私がこの仕事を選んだのは、営業がしたかったわけでも給料がよいからでもなく、もともと保険が大嫌いだったからです。嫌いになったきっかけは、部隊に来ていた外交員にしつこく話しかけられ、根拠のない設計書を見せられ、「みんな入っているからおばさんの言うことを信じなさい!」
 嫌いになるのも当然です。
 ある日、私の同期が「保険嫌いな下村に会わせたい人がいるから、ちょっとおいで…」というので厚生センターに行ってみると、プルデンシャルという外資系の保険会社の営業の方が待っていました。彼は、保険の仕組みや使い方、必要性を語り、「下村君の家族に対する思いを形にするとこうなります」という提案をしてきました。
 衝撃的な出会いでした。保険の目的や内容は、自分で作れるのだと言うのです。人間は、お金がなければ生きてはいけません。だから、経済的に困らないように手助けできる仕事って最高にやりがいがあると思いましたし、私も「周りの人たちに保険の本当の意味を伝えたい」ということで、保険業界に興味を持ちました。
 そして、2任期満了をもって退職することを決意して合同企業説明会に参加したところ、ジブラルタ生命というブースを見つけました。話を聞くと、プルデンシャルグループだということが分かり勝手に運命的な出会いを感じました。そして、援護センターの力を借りて面接を受け、採用されました。
 今では、保険嫌いな人たちに感謝されるようになり、ますます楽しく仕事が出来ています。私自身はじめは嫌いだったこともあり、同じように考える人々から酷いことを言われるときも多々ありますけれど、私は、ジブラルタ生命という会社に絶対の自信を持って働いています。
 任期制隊員が自衛隊を退職することは、良いことでも悪いことでもないと思います。給料も大切かもしれませんが、不景気の中、仕事は長く続けるべきであり、そのために一番大事なことは、何のために働くかということをしっかりと見つめることだと思います。
 退職予定者の皆さん、目標に向かって頑張ってください。

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