「日の丸への信頼と実績があり、無事任務を達成できた」ーー。カンボジアでの最初の国連平和維持活動(PKO)をはじめ各種国際活動に派遣、従事した陸自隊員7人が9月16日、防衛省で懇談し、派遣当時の状況などを振り返った。
初の海外派遣
自衛隊初のPKOへの参加となったUNTAC(カンボジア国際平和協力業務)への派遣。その第2次隊に池田真治曹長=施設学校=は、第3施設団から架橋陸曹として派遣され、道路や橋の補修作業などに当たった。
気温50度に迫る猛暑の中での過酷な作業だったが、「現地の子供たちが目を光らせ応援してくれた」ことが大きな励みとなった。
帰国の際は泣きながら見送ってくれた子供たち。今は成長した子供たちが支えているであろうカンボジアに「機会があれば再訪問し、(補修した)道路や(自衛隊の)宿営地を見てみたい」と期待している。
UNMISET(東ティモール国際平和協力業務)の第2次隊に第6施設大隊から派遣された山岸正善曹長=1師団司令部付隊=は、副分隊長として分隊長補佐、器材監理に務め、約2千カ所にもおよぶ道路補修などに尽力した。
日本とは異なる環境にとまどうこともあった。派遣された村がとても貧しく、測量用の水糸など資材が無くなることもあり、村長に直談判したことも。現地の住民を役務として雇用。言葉が通じない中、身振り手振りのジェスチャーでコミュニケーションを取った。
そうした中で任務を完遂できたことは、「自分自身に忍耐力、対応力を身に付けさせた」と手応えを感じている。
イラクの再建を支援するイラク復興支援群の第9次群に第1後方支援連隊から衛生救護陸曹として派遣された小津修太郎1尉=衛生学校=は、サマーワ宿営地で、部隊の救護支援、健康管理・防疫の技術支援などに当たった。
過酷な現地の環境。ほとんど視界の無い映画のワンシーンのような砂嵐に見舞われたことも。現地の医療関係者に衛生教育を行った際は、プライドが高い医師たちにとても気を使った。
日々の活動の中、「(救命士の)小津2曹(当時)がいるから安心して活動できる」という隊員の言葉には奮い立たされた。その隊員たちの融和・団結のために曹友会活動にも努め、タッチラグビーなどのイベントも企画した。
一つの目標へ
初の国連TPP(パートナーシップ・プログラム)として、第1施設団からケニアに派遣された清水正人2曹=第1施設団=。施設器材教官として同国を含むアフリカ4カ国の計10人の工兵隊員に対し、建設機械の操作、整備要領を教育した。
工兵隊員たちは皆親しみやすかった。教育にも積極的に臨み、一つのことに2、3個の質問を投げ掛け、教育が進まない場面もあったが、逆にやりがいを感じた。礼儀正しく丁寧な日本的な教育に感銘を受けてくれたこともうれしかった。
油圧ショベルなど重機の操作要領を手取り足取りで指導していたところ、「何で日本人は、(黒人ではない)白人なのに、俺たちに気軽にさわれるんだ。いい人たちだな」と言われたことも。時に差別もある現地の工兵隊員に、日本人のいい印象を与えられたと考えている。
教育終了式のデモンストレーションでは、工兵隊員が重機を見事に操作。各国関係者が立ち上がって盛大な拍手を送り、「教育が成功した」ことを実感した。
エジプト、イスラエル両国間の停戦監視活動を担うMFO(多国籍部隊・監視団)の要員として、エジプトに陸上総隊司令部から派遣された竹田津佑介2佐=陸幕補任課=は、連絡調整部運用幹部を務め、両軍等との連絡調整や部内各チームへの指示、統制などを行った。
13カ国からなる多国籍の軍事組織の思想、文化、価値観などが異なる中、「停戦監視の任務を遂行するという一つの目標に向かっていく難しさを感じた」。
一方で、「多数の派遣国との絆を構築し、いろいろな文化や考え方を学べたことは有益だった」と、経験を今度の職務に生かしていくつもりだ。
日本隊手本に
女性隊員たちも各種国際活動に派遣され、尽力してきた。
大地震発災に伴うネパールでの国際緊急援助隊に、東部方面衛生隊から派遣された松尾幸子1尉=衛生学校衛生教導隊=は、同国内3カ所の診療所を中心に現地住民への医療活動に従事した。
現地では資材や医薬品が不足し、限られた資器材での診療を余儀なくされた。余震も何度か起き、道路に住民が密集、通常だと10分ほどで行けるところに1時間ほどかかったことも。
支援開始当初、通訳が2人と少なく、現地の子供が通訳を申し出てくれたことはありがたかった。診療後に「ナマステ(ありがとう)」と笑顔で語ってくれる住民に自らも癒された。多くの人たちの協力もあって無事活動を終えられたと考えている。
南スーダン独立後の支援を担うUNMISS(南スーダン国際平和協力業務)に2度派遣された有薗光代3佐=陸上総隊司令部=。そのうち2度目の派遣は昨年8月からの1年間、UNMISS司令部で施設幕僚として勤務した。
七つの陸軍工兵隊を運用し、最重要のミッションに指定されていた同国全土の約2730キロの補給幹線道路整備の企画・実施に当たった。
自衛隊の施設隊が行った仕事は、「全陸軍工兵隊のお手本」として語り継がれ、多くの人からそれを聞いた。施設隊が建てたコンテナは今も一直線にきれいに並び、「日の丸への信頼、先輩方の積み上げた実績があり、無事に任務を達成できた」と誇らしく強く感じている。 |