久里浜駐屯地(司令・時津憲彦陸将補=兼ねて通信学校長)で10月30日、創立60周年記念行事が開催された。当日は荒天のため、屋内で記念式典が行われ、来賓や近隣の地元住民などが出席した。
盛大に記念式典
はじめに防衛大学校吹奏楽部が演奏する中、参加各部隊が入場し式典が開始された。時津司令は式辞で関係者に対して感謝の気持ちを表すとともに、「自衛隊の任務遂行に直結する情報通信能力を強化するため、広範で機動的な情報通信態勢の構築、情報通信機能の強化、サイバー攻撃に対する情報セキュリティの確保等を進めている。我々は駐屯地創立60周年を記念すべきこの日に、心を新たに陸上自衛隊における情報通信の中核となり、また推進役となる使命を再確認した」と述べた。その他、来賓を代表して中西健治参議院議員からの祝辞、防大ドリル部のファンシードリルが披露され、60周年の節目を盛大に祝った。
歴史ある駐屯地
関東大震災で隆起してできた土地にある久里浜駐屯地は、昭和14年11月に田浦(横須賀市)から移転してきた海軍通信学校が前身だ。終戦を迎え米軍による接収を受けたあと、昭和25年の警察予備隊発足と共に久里浜駐屯地が誕生する。そして昭和27年に保安隊と名称改変されたことに伴い「保安隊通信学校」として開設され、以来、陸上自衛隊の通信電子・情報通信の中枢として発展してきた。また、久里浜駐屯地は総隊学校や防衛大学校の前身である保安大学校が誕生した歴史ある駐屯地でもある。総隊学校は後に幹部候補生学校、幹部学校や需品・業務・衛生の各職種学校へと改編し、他駐屯地に移転していくことになるが、これらの教育機関は久里浜駐屯地から始まっている。
以降、幾度かの改編を経ながら、現在では陸自の通信電子・情報通信に関わる人材育成を担う学校、全国の骨幹通信幹線の補完・拡充を実施する部隊、補給整備を実施する部隊等が駐屯し、災害派遣や民生協力に任ずる地域に密着した駐屯地として着実に成長を遂げ、60年の歴史を刻んできた。
地域との強い絆
記念式典で、時津司令が「地域とともにある駐屯地であるということを自覚し、地域の防犯・環境の整備、各種行事支援等に貢献して地域との共生を図り、地域の皆様の信頼・ご期待に応えることができるよう努める」と式辞で強調したように、久里浜駐屯地は地元との関係が強い。
特に、駐屯地前を通る平作川は昭和60年度に護岸工事を終えるまで度々氾濫を起こし部隊が出動している。昭和33年9月の台風の被害で平作川が氾濫した際には、内川・新田地区の被災者約120人を学校に収容した。また、昭和49年7月の集中豪雨でも、横須賀地区が甚大な被害を受けた際にも災害派遣活動を行っている。地元住民の中には、これら災害派遣で活躍した隊員の頼りになる姿が目に焼き付いている人も多いという。
久里浜駐屯地60年の歩み
25年 警察予備隊・久里浜駐屯地創設
26年 警察予備隊総隊学校設置、第1普通科連隊編成・練馬へ移駐
27年 保安隊が発足、保安隊通信学校創設
28年 保安大学校(現・防衛大学校)開校
29年 防衛庁自衛隊発足
第650通信群が久里浜に移駐、第1通信群・中央野外通信隊を経て中央野外通信群に改編
幹部学校・業務学校を小平へ、需品学校を松戸へ移駐
30年 防衛大学校を小原台へ、衛生学校を三宿へ移駐
31年 別科分離(調査学校の前身)
38年 体育教育課分離(体育学校の前身)
56年 通信標定隊が第1電子隊に改編、東千歳へ移駐
58年 東部方面通信群の編成、第106通信運用大隊と第304搬送通信中隊を久里浜に設置
10年 通信教導隊、大隊編成に設置
12年 中央野外通信群改編、第301通信運用中隊新編
14年 東部方面後方支援隊の新編
19年 防衛省発足
22年 久里浜駐屯地60周年 |