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   2005年2月1日号
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追儺の豆打-----年男年女の抱負
<善通寺>
15普連3中隊 3陸曹 近藤 大悟
 今年、生まれてから2回目の酉年が来ました。高校を卒業して自衛隊に入隊し、今年で6年経ちました。入隊してから多くの人と出会い、様々な事を学んで、6年前に比べると自分なりに精神的にも人間的にも成長出来たと思います。
 一昨年、レンジャー訓練に参加して、2ヵ月半の教育期間、自分の限界に挑戦して、極限の状態の中で任務を達成していく事で「限界というものは、自分で作るものではない」と感じました。限界だと思わなければ、例え小さな一歩だとしても、ほんの少しだけかもしれないけど前に進めるのです。
 いま私は陸曹になってから2年半になります。これからも多くの困難な状況に遭遇し、悩み苦しむ事があるかもしれませんが、それを打開していき、更に自衛官としての任務遂行能力、陸曹としての資質を磨いて行きたいと思います。
<上富良野>
103全般支援大隊補給中隊 陸士長 藤原 悠加
 焦っています…。辞めよう…。やっぱり続けよう…と殆ど毎日考えて、ぜんぜん考えがまとまらず「アッ」という間の自衛隊生活4年間でした。そして今年は、年女として24歳を迎え、やっと考えがひとついにまとまりました。
 ここで辞めてしまったら私の人生で絶対後悔すると思い、自衛隊を続ける決心をしました。しかも陸曹候補を目指して頑張ろうと決意しました。遅い決断かもしれませんが、目標に向かって精一杯頑張ることで自分自身を大きく成長させてくれると考えたからです。
 道草をした分、焦りはありますが、日々努力して陸曹候補指定という目標を達成できるように頑張っていこうと考えています。
<名寄>
名寄駐屯地業務隊 1陸曹 小田 薫
 今年で4回目の年男を迎えます。干支をひとつの節目として、今までの人生を振り返ってみると、いろいろな思いが甦ってきます。
 1回目の12才の頃は、何も考えず遊び廻っていた日々。2回目の24才までは、高校進学、就職、入隊等人生を左右する重要な転換期でした。また、3回目の36才までは、陸層昇任、結婚、3人の子供の誕生で家族ができ、そして4回目の現在までは、転勤、自宅購入等々。その時々によい足跡を残すことができ「光陰矢のごとし」の48年間でした。
 次の5回目の年男は還暦です。それまでに定年・再就職という人生に2度目の転換期があります。それに向かって与えられた職務を全うし、体力を維持し、家族を養い、そして、微力ではありますが、地域社会に貢献できるよう、日々努力していこうと思います。
3普連重迫中隊 陸士長 渡部 直也
 11月で24歳、年男を迎えます。1月から7月までの間、第2陸曹教育隊に入校します。ただ単に年男というだけではなく自分の自衛隊生活の中でも一番重要な1年であり、自分の目標が見えてくる1年になるだろうと思います。
 現在、履修前教育を受けており、今から3曹の階級章を身につけるまでに幾つか目標を立てたのですが、その中でも特に「しっかりとした指導のできる陸曹になる」ということです。指導といっても色々あるのですが、知識的なこと、技能的なことを指導するには、自分自身の能力を確立する事が重要であり、そのために努力、積極性をいち早く体得したいと思います。営内生活や生活態度においても後輩の手本・目標となれるように自ら実践して、自衛官・社会人として恥ずかしくない、陸曹・人間に成りたいと思います。
<弘前>
39普通普連2中隊 2陸曹 工藤 琢也
 今年は自分の最も得意とする銃剣道で錬士という称号を目指したいと思います。今自分は五段を取得してから6年経つので今年は六段錬士を取得し全日本選手権大会に出場したいと思います。そのためには日頃から錬磨し、精神面も鍛えたいと思います。
 それと若手の育成にも力を入れたいと思います。師団では大会が行われていないので若手がなかなか育ちません。私が少しでも力になって師団9連覇を達成したいと思います。
<神町>
20普連対戦車中隊 3陸曹 舘岡 秀明
 現在、自分は対戦車中隊の通信陸曹として勤務しています。
 年男を迎えるにあたって、自分は、中隊長統一方針「一芸に秀出よ」の言葉にあるように、中隊通信陸曹として一歩二歩三歩と前身し、中隊の一原動力となるように頑張っていきたいと思います。
 そして、イラク復興支援で、派遣されている連隊長以下4百数十名の無事帰国を願いたいと思います。
20普連1中隊 陸曹長 小野 稔
 今年は、私が生まれて、4回目の酉年を迎えることになりました。
 今思えば、年をとるのは早いものだと実感しており、もう定年を迎えるまでに年男はありません。そんな風に考えてみると、入隊した動機は「車の免許を取得したい」それだけでした。当然1任期で退職して実家に帰り、独りすんでいるおふくろの面倒を見ながら地元で働くつもりでしたが、いつしか訓練にも慣れ、陸曹を目指す自分がいました。
 20代は、銃剣道の毎日。無我夢中で励んでおりました。30代になると、今まで考えた事もなかった地連への転属がありました。これも最初は1年で帰るつもりでしたが、いざ勤務するとやりがいのある仕事で、14年の長期勤務となりました。
 誰でも環境が変わるのはイヤだと思いますが、何事にも積極的に望めば、道は開けてくるものだと思います。どんな勤務、訓練にも「誠の精神」で、これからも精進していきたいと思います。
<久居>
33普連本管中隊 1陸士 佐藤 渚
 今年で2度目の年女を迎えます。幼い頃は「年男・年女」と聞いても、よく分かりませんでした。今では、人生の節目のように思います。毎年何か新しいことや興味を持ったことには必ず挑戦することを心がけてきました。そのせいか、よく両親から「酉年生まれは落ち着きがないな」と言われました。自分のために、自分のしたいことをがむしゃらにやってきました。
 去年入隊し、部隊勤務となり、がむしゃらだった私も少しは落ち着き、今年からは自分のためだけでなく家族や励まして支えてくれる人達のためにも、何事も挑戦していくつもりです。その為にも、自分に何が出来るか、何をすべきかを判断し、柔軟性を持って行動できるようにしたいです。
 今年は、今までの経験を生かし、さらにいっぱい失敗をして先輩達から学んでいることを実行していこうと思っています。そして少しでも人の痛みを分かってあげられる衛生隊員になるのが今年の目標です。

<活躍するOB シリーズ>
「頑張っています」新しい職場
「自衛隊生活で培われたことは必ず役に立つ」
総合メディカル(株)札幌支店 三浦一郎
三浦氏は平成13年、北部方面航空隊本部付隊を2空尉で定年退職 57歳
 福岡が本社の総合メディカル株式会社札幌支店に北海道採用第1号で入社して3年が過ぎました。
 3年前の再就職当時の事を振り返り、これから再就職される皆様方に何か参考になれれば幸いと思います。当時、社会の経済雇用態勢がなかなか上向きにならない厳しい現状の中、援護センター、駐屯地援護室長等皆さんの暖かいご尽力、助言を得て「レンタル回収・メンテナンス担当」として入社しましたが、その義務とは何か、不安と期待、責任感が重くのしかかり第一歩をスタートしました。
 入社の動機は「正しいことはすぐ実行、悪いことは直ちにやめる」という社訓が決定的でした。具体的な仕事の内容は、病院・ホテルのテレビ、洗濯機等、器機のメンテナンス(簡単に言えば集金、整備)業務です。
 入社後、福岡での社員研修、東京での業務内容説明、札幌支店での担当地域引き継ぎ等、上場一部の会社の名を汚さぬよう努力するも失敗、ポカミス、冷や汗の連続でした。また、訪問先で「毎度様です!」「有り難うございました!」の言葉が言えず「ご苦労様です!」の状態でした。
 さて、今日の民間企業は、厳しい経済状況の中、何かと生き残りをかけ人員削減、社内改革、社員にも更なる営業努力(実数値での目標達成)を求める日々努力の連続です。
 これから定年を迎える皆様、適職はなかなか難しいかもしれませんが、援護センターに自分という人物を知ってもらい、新しい仕事に全力で邁進されること、自衛隊生活で培われたことはそれぞれの場面で必ず役に立ちます。どうか健康に留意され、自信を持ち、チャレンジ精神を忘れず、新しい職場に挑戦して下さい。「必ず道は開ける」と思います。
 最後になりましたが、総合メディカル札幌支店は、北海道全域を担当し退職自衛官も5名に増員され、病院・ホテルの皆様にきめ細やかなサービス対応が出来るように活動中です。
 全国一の総合医療機関支援を担当、道内では支店長以下「よりよい医療はよい経営から」を目標に活動中です。3年を過ぎた現在、入社当時「時間に追われる」から「時間を追いかける」になりました。
 退職予定者の皆様方のご活躍を祈っています。

自衛官のための座禅入門
(井上暉堂)
(前々号からつづき)
 次は調息と申しまして呼吸を調えます。座禅の呼吸は丹田呼吸といいまして、出る息を臍下丹田(せいかたんでん)から静かに長く吐き出しまして、又深く臍下丹田まで吸い込んでいきます。スーーーっと長く静かに吐き出し、スーっと短く吸い込みます。
 天台の小止観に「これを調えんと欲せば、一には下に著けて心を安ぜよ。二には身体を寛放(かんぽう)せよ」とあります。この呼吸を自然に滑らかに続けるための要点は、心を丹田のあたりに落ち着けること、正しい姿勢で上体の力をむくことの2点なのです。
 調身、調息ということが終わったら調心(心を調える)作業にはいっていただきます。数息観(すっそくかん)これは息を数えて精神の統一をはかる方法であって、初心の修行者はこれから始められるとよろしいと思います。前述の丹田呼吸を行いながら、心を臍下丹田に置いて、そこで呼吸を数えるのであります。息を吸いながら心の中でヒトーーーっと数え、長く吐き出してまた吸う時フターーーっと数え、長く吐き出し又吸うときフタ−ツと数え、長く吐き出し、ミ−ツと吸います。 これを一つ、二つ、三つ・・・・十。十まで数えたら、又一つに返り二つ三 つ・・・・十。これを繰り返し行います。又、反対に吐く息だけを数えてもよいし、呼気、吸気を合わせて吐く息をヒト−−−−、吸う息をツ−、また 吐きながらフタ−−−−、吸いながらツ−と数えても良いのです。この数息観の要点 は、ただ息を数えること、数える自分も数えられる呼吸も無くなり、数が数を数えるという処まで数に徹底することであります。
 吐くときは吐くことに成りきって吐き、吸うときは吸うことに 成りきって吸う。呼吸に成り切ったとき、天地一杯ただ呼吸が有るだけなのです。
 こういう心構えで万が一の場合には、一騎当千で臨んでいただきたいものです。武士道のルーツにはこの座禅があるんのですから。
<シリーズ(4)>
 「明るさ」は窮地をチャンスを変える
 『開き直る度胸があなたの可能性を開花させる!』
ー落ち込んでいるだけでは何の解決にもならない。細かい方法論をあげつらって後悔するよりも、まずは前を見て明るく立ち上がることが肝心だ。

 何らかの決断に苦しむこと自体は人間なら誰しもが経験することです。しかし、どんなに苦しくても、自分なりの決断をせずには心豊かな生活を手に入れることはできないということを私たちは学びました。
 それでは、あなたの前に立ちはだかる状況が極めて悲劇的なピンチである場合には、それにどう向き合っていけばよいのでしょうか。会社の資金繰りがうまくいかない、責任を負って担当した新製品の売上げが伸びない。家族が大ケガしてしまったなどといったとき、人間はどうしたって落ち込むもの。そういう感情にならなければ逆に不自然だともいえます。ただし、いつまでもそのままでいるわけのもいきません。
 人間に与えられた知恵をここで活かすのです。自ら考え、自らを導く知恵の力を忘れてはいけません。沈んだ気持ちのときこそ、「明るさ」を持とうと努力することです。ほんの少しの気持ちでいいのです。そうやって苦境から脱しようとする力も知恵なのです。「よし、これからは大丈夫。自分はこれをやったじゃないか、あれもしたじゃないか」と前向きな言葉を口から出してみることです。自分を勇気づけられる裏付けを数えてあげてみましょう。それがあなたの開き直りになってくれるはずです。
 いったん腹を括った人間は強いものです。そしてそれがあなたの決断の形になります。具体的な方法論や技術の選択、訂正はそのあとからでも遅くはありません。このような強い意志の持ちようが可能になれば、逆にあなたにはチャンスが運ばれてくることさえあるでしょう。そうです。ピンチをチャンスに変える「勝利の女神」は、私たちの心のなかにあるのです。
 苦しみのなかに埋没しきってはいけません。常にその苦痛から脱しようとあらがう気持ちを忘れずに生きていくことです。
 私たちは何よりも自分の心の動きに一番行動を左右される存在なのです。明るさを取り戻したときに、あなたには問題の解決への道がきっと自然に見えてくるはずです。

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