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自衛隊ニュース   1087号 (2022年11月15日発行)
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日本式支援 高く評価
陸自フォーラム OBら語る国際平和協力活動30年
自衛隊PKO派遣等を見る(6)

 「陸上自衛隊フォーラム」がこのほど、OBや有識者らを招き東京都内で開催された。20回目となる今回は、自衛隊初の国連平和維持活動(PKO)への参加となったUNTAC(カンボジア国際平和協力業務)に施設大隊長として従事した渡邊隆・元東北方面総監(現国際地政学研究所副理事長)が基調講演を行うなど、「PKO30年」をテーマに今後の展望などが語られた。

基調講演
 前段では、30年前に自衛隊初のPKO派遣となったUNTACで、第1次派遣施設大隊長を務めた渡邊隆氏が「PKO30年、これまでとこれから」をテーマに約40分間、基調講演を行った。
 渡邊氏はこれまでのPKOと自衛隊が独自に行ってきた国際平和協力活動を振り返り、教訓、成果、課題について具体例を挙げながら指摘。「(活動は)国際情勢で大きく変化している」と語るとともに、日本の「安全保障」と「国際平和協力活動」の今後の関わり方について「連携させる」「別次元として両立させる」の二つの方向性を提示し、議論を後段のパネルディスカッションに委ねた。
 最後に本年末に安全保障3文書の改訂が予定されている今、国際平和協力活動の今後についても国民の中でも議論がなされることに期待感を示した。
 日本では前例がないPKO派遣の現地元指揮官の講話は説得力を持って語られ、聴講者は熱心に耳を傾けメモを取っていた。質疑応答でも有識者から鋭い質問が投げ掛けられ、最後に吉田陸幕長からの質問に答え、前段は終了した。

討議(1)
 基調講演に続いて、「今後の国連PKO等について」と題し2部に分け陸自OB、陸自幹部、有識者らによるパネルディスカッションが行われた。
 1部には渡邊元東北方面総監、番匠幸一郎元西部方面総監(現丸紅顧問)ら4人が参加。「これまで我が国は国連PKO等30年を経て、何を得たのか」を議論した。
 イラク戦争(2003〜11年)の際のイラク人道支援活動で第1次イラク復興支援群長を務めた番匠氏は、「対テロ戦争の真っただ中に入っていった」高い緊張感の下での活動を振り返り、「(陸自派遣部隊の)編成の半分は警備部隊だった。自分たちの安全を確保しつつ、イラクに日本の旗を立てることが重要な任務だった」と語った。
 医療、給水、施設などの人道復興支援活動は「日本式の支援を行う」ことを心掛け現地の人々と同じ目線に立ち、復興を手伝う友人として接した。規律も厳正に保ち、他国軍からも高く評価された。
 「自衛隊は(他国軍から)守ってもらったと言われたこともあったが、決してそういうことはない」とも語った。不測の事態、最悪のことを常に意識し覚悟していた。
 質疑応答では、武器使用の可能性があったかも質問され、「1回も引き金を引くことはなかったが、それは隊員たちが高い練度を持ち、覚悟を持っていたからだ」と述べた。一方で「引き金を引かないこと、1人の犠牲も出さないことを目的化してはならない」とも強調した。

討議(2)
 2部は「今後、我が国は国連PKO等において如何なる貢献ができるか」と題し、ゴラン高原のUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)司令部に派遣された経歴を持つ山根寿一陸上幕僚副長ら4人が語った。
 山根副長は、国連等の中での地位を獲得することが主な目的であった当初の自衛隊の国際平和協力活動を振り返り、「がむしゃらに取り組んでいた初心者の時代を終え、経験を経て、成熟してきたと感じている」と語った。
 PKOへの参加がUNMISS(国連南スーダン共和国ミッション)司令部への要員派遣のみとなっている中、今後の活動については、30年の歩みも踏まえつつ「今の時代にあった違う方法で国際平和に寄与できることもある。(活動は)第2ステージに入っている」と述べた。
 さらに、私見として「自衛隊はいろいろな貢献ができる。部隊の派遣のみならず能力構築支援や知的貢献など、幅が広がっている」と語るとともに、「量から質に転換させていかなくてはならない。質によっていかなる貢献ができるかを考えていかなければならない」とも伝えた。
(連載を終了します)

「国際情勢で大きく変化」
 渡邊元東北方総監
「不測の事態を常に意識」
番匠元西方総監
「第2ステージに入った」
山根陸上幕僚副長


「やりがいと誇りの日々」
イラクなどで空輸任務
樋口美登里2佐(空自2補)
 自衛隊初のPKOでカンボジアに飛び立つC130H輸送機の雄姿に刺激を受け、防衛大学校を受験したという樋口美登里2空佐(航空自衛隊第2補給処=岐阜=総務課長)。
 それから約10年後のUNMIT(東ティモール国際平和協力業務)で、樋口2佐はそのC130Hのパイロットとして初めて国際平和協力業務に携わることになる。夢が一つ叶った。「日の丸の国籍記章を身につけて、本当に嬉しく、また、誇らしくもありました」と胸を熱くした。
 運航自体は短期間で比較的近い国であったものの「初めての国際貢献に緊張していて、無事に運航を終えることに精一杯でした」と振り返る。
 その頃覚えた「スラマッパギ(インドネシア語で『おはようございます』)」という挨拶は今でも忘れられない。現地の人たちとのコミュニケーションは大切な任務の一つだ。「それ以降の運航も必ず現地の言葉で挨拶をすることを心掛けていました」
 2回目はUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の運航。「ラマダンと言う文化に初めて触れました。日本では時間通りに進むのが当たり前の各種調整が予定通り進まない経験をしました。イスラム教が主流の国やインドなどでは、文化の違いを肌で感じました」と他国軍人との連携の難しさを実感した。
 そして国際平和協力業務のなかで最も長い派遣期間となったのがイラク派遣。隣国のクウェートに約4カ月間滞在した。
 他国軍との交流は充実した日々だった。「韓国空軍とのコアリッションランチやクウェート軍との管制のやりとりなど、とても良好な関係が築け、今思い出してもやりがいと誇りに満ちた日々だったなと思います」と振り返る。
 「日本食を提供してくれる素晴らしい食堂と、フライトの後にクルーでねぎらいながら飲むコーヒーショップに支えられていました。オフには走ったり、米軍のジムや腹筋トレーニングで鍛えたり、健康的な毎日を過ごしました」と、大変な任務をこなしながら、生活面でも心身ともにリフレッシュし、充実した日々を過ごした。

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