日本列島に住み着いた現生人類は1万6千年前から土器をつくり始めた(縄文土器)。縄文土器が用いられた紀元前4世紀までの1万数千年間を縄文時代と呼ぶ。その後稲作が広がり、金属器が使用され、土器も弥生土器に変わって弥生時代となった。古墳時代、飛鳥時代がこれに続いて日本の国が成立していく。
近年の歴史研究によって、日本文明の基礎は縄文時代に育まれたとの見方が強まっているように思われる。
縄文時代、人々は原始的な貧しい狩猟採集生活をしていたと考えられていたが、青森県で見つかった縄文時代の定住集落の跡(山内丸山遺跡)は縄文人のイメージを変えた。この遺跡は5,500年前から1,500年間存続し、最盛期には500人もの人が定住していた。人々は、栗を常食とするため栗林を大量に管理し、イモ、豆、エゴマ、ヒエ、ヒョウタンを栽培していた。日本の豊かな自然は野、山、海、川にイノシシ、シカ、マガモ、キジといった山の幸、カツオ、マダイ、スズキ、サケ、貝類といった海の幸を豊富にもたらした。
田中英道は、縄文文化は世界の四大文明に匹敵するという。縄文時代、土器が出現し定住生活が始まったが、土器の出現も定住化も世界的に最も早い時期だった。日本列島における縄文の豊かな土器文化は世界の文明史に特筆されてよい。
日本では3万8千年前から磨製石器が使われたことがわかっているが、縄文時代は磨製の石斧や鏃(やじり)が使われるようになった。鏃やナイフに使われた黒曜石の産地は限られているが、これが全国で利用されていることから、縄文時代非常に広い範囲で交易が行われていたことがわかる。人々は骨や角から精巧な釣り針やモリをつくり、魚介類をとっていた。翡翠でつくられた精巧な装飾品(ペンダント、イヤリング)も発見されている。また、漆の技術も1万年前から使われていたことがわかっている。
縄文時代の遺跡は全国で9万531カ所発見されており、発掘される土器、石器、土偶、木製品、衣類(編み物)、装飾品などから縄文人の生活が想像できるが、大きな特徴として、縄文遺跡からは戦争のための武器は全く出土しないことがあげられる。武器や敵を防ぐための柵や堀が発見されるのは弥生時代になってからである。縄文時代の1万数千年間、特に中期は温暖化が進み、自然は豊かで、人々は共生し、戦争のない穏やかな社会を営んでいたと考えられる。この時代に日本人の穏やかな性格が育まれ、和の文化の基礎がつくられたという文明認識が進んでいる。
日本の伝統文化である神道も、縄文時代に生まれて今に及んでいると考えられる。神道は、自然崇拝、アニミズム、祖先崇拝及び清浄崇拝の信仰であり、生活感覚、宗教感覚である。縄文の遺跡から神道の精神が伺える。秋田県の縄文遺跡「大湯ストーンサークル」は人々に太陽信仰があったことを示す。神道は太陽神である天照大神を最高神とする。神道は自然道である。縄文人は自然の中で現代日本人よりもずっと自然とかかわり深い暮らしをしていた。自然を畏敬し、自然に神を見、自然崇拝を基本とする神道が縄文時代に生まれたのは間違いないだろう。我々現代日本人にその自覚はないが、改めて神道を知ると、現在なお我々の生活感覚に神道が横たわっていることがわかる。カミ(神)をアイヌ語でカムイという。アイヌは縄文人の一分派である。「カミ」もそのまま日本語になった縄文人のことばであろう。
日本の精神文化の基層は縄文時代にできたと思われる。
(令和4年12月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |