2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して4カ月が経過した。侵攻前には多くの有識者らがロシアの侵攻には必要性も必然性も大義もなく、あり得ないと主張していた。しかし実際には、ロシアは西側の言う大義ではなく、ロシアの大義を押し立てて侵略した。
予測が外れたことを非難、嘲笑しているのではない。かつて平沼騏一郎首相はナチスドイツがソ連と不可侵条約を締結したことを受けて「欧州の天地は複雑怪奇」と言って総辞職したように、予想もしないことが起こり得ることを理解しておくべきと言いたいだけだ。
歴史的・文化的に関係が深いウクライナのNATOへの加盟要求は、旧ソ連構成国を自国の勢力圏と考えるロシアにとっては裏切り行為であり、NATOと国境と海洋への出口を接することはロシアの死活的国益に対する脅威そのものであった。
『全ロシア将校の会』のイワショフ退役大将が1月末、「戦場では、ロシア軍はウクライナ軍だけでなく、NATO諸国の軍人、兵器と対峙し、NATOはロシアに宣戦布告するだろう。さらに、ロシアは世界の平和を脅かす国とされ、きわめて深刻な経済制裁を科され、国際社会の除け者となろう」と、ウクライナ侵攻に反対する声明文を発表した。この声明は、ロシアでは完全に黙殺され日本の有識者達も無視していたが、退役将校達が身の危険を冒してまで声明を出したことは、ロシアの侵攻準備を事前に承知していたからと理解し、もう少し注目すべきであった。
ロシアは、キーフを数日で攻略しゼレンスキー大統領を排除して親ロシア派の傀儡政権を樹立させることは容易にできると考えていたようだ。実際には、ウクライナの抵抗により、現在も激しい戦闘が繰り広げられている。ロシアがウクライナの防衛態勢を過小評価し、ロシア軍を精強だと過大評価して情勢判断を誤ったためだ。
戦闘を通じ、ロシアは耐え難い損害を被り、この記事が読まれる頃にはプーチンの失脚という話も流れているかもしれない。しかし、ウクライナは地政学的に東西交流の要点であり、ロシアの海洋への出口を制する場所にあるため、将来にわたりロシアの領土的野心から逃れることはできず、引き続き国の安全と主権を守るための努力が必要で、荒廃した国の復興と併せて苦難の道は続くと思われる。ゼレンスキー大統領は我が国に対し、軍事支援よりも戦後の復興支援を要望したが、我が国が国際社会で名誉ある地位を占めることができるかを試される時がいずれ来るであろう。
さてこうした状況はウクライナとその国民には大変申し訳ないが、ロシアのウクライナ侵攻は、我が国の今後の安全保障戦略や防衛戦略、陸海空自衛隊の統合戦略や各軍種の戦略・戦術の研究に必要な教訓の宝庫となった。
教訓事項については、現時点では明らかにされず何年もたって史実が明らかになることもあれば、事態が生起している段階で観察することで収集できるものもある。開戦に向けたプーチンの真意などは、ある程度時間を経ても明らかにならないだろうが、現在第一線で生起している事象については、インターネット等を通じて相当知ることができるようになった。イギリスの情報機関は惜しげもなく情報を提供しているが、これらの中には供給資料がちりばめられている。改めて安全保障にかかわる方々には、成功事例、失敗事例を丹念に収集し、あらゆる角度から研究を進めてもらいたい。
何故ロシアを抑止できなかったのか、ロシアのプーチンの戦争指導は何故上手くいかなかったのかといった安全保障の根幹をなすテーマから、目標の確立や集中、機動といった戦いの原則事項、あるいは人事や兵站運用、統合・連合、戦術・戦法上の教訓まで、国家戦略から小部隊の戦術戦法にいたるありとあらゆる教訓をしっかりと拾い上げ、我が国が侵略されないように、万が一侵略がされても勝利できるように活かさなければならない。
今回のロシアのウクライナ侵攻は、国連神話を信ずる人に国連の安保理がまったく意味をなさないこと、外交努力だけでは戦争は回避できないこと、平和を愛する公正と信義を持たない諸国民もいること、憲法9条をお題目のように唱えても平和を守れない可能性があることを教えてくれた。更に、経済制裁だけでは戦争を終結させられないことや祖国を脅かす敵に対して国民が断固として戦えば、同盟国等に助けてもらえる可能性があることを改めて教えてくれた。
我が国への侵略に対し、国民をいかに安全に避難させるか、自衛隊の継戦能力をいかに高めるかなど、今までおざなりにされていた諸問題を真剣に考える時期に来ている。情報戦やサイバー戦などなおざりにしている分野にも早急に手を打つ必要性がある。こうした課題に対する検討にも今回の教訓事項をしっかりと活かし真に戦える態勢にすべきである。
ロシアが現在やっていることは決して許せないことであるが、平和ボケした日本人を多少覚醒させた点で非常に得難い教訓を残してくれたと思う。
(著者略歴)
防大28期生、第10普通科連隊長(滝川)、中央即応集団副司令官、北方幕僚副長(札幌)、第13旅団長(海田市)、第1師団長(練馬)、陸上自衛隊幹部学校長(目黒)などを歴任 |