ロシアがウクライナに侵攻して、世界から激しく非難されている。プーチンがこの極端な行動を取るに至った理由の一つに、超大国ロシアの復活意識がある。プーチンは以前、ソ連の崩壊を悔やむ発言をしており、彼にはソ連時代を含むロシア超大国時代へのノスタルジアがある。
しかし、1917年革命によって成立し1991年まで存続したソ連という共産主義国は、20世紀、世界に大きな厄災をもたらした国家だったと私は思う。1983年アメリカ大統領レーガンがソ連を「悪の帝国」と呼んだ。当時日本には、こうした発言を批判する知識人もいたが、レーガンが正しかったのである。
ベルリンの壁が崩壊した1989年以降、自由と独立を取り戻した中東欧諸国は、ソ連と共産党による戦争犯罪と人権弾圧を追及し始め、その動きは欧州全体に広がりつつある(注)。2019年EUの欧州議会が、「欧州の未来に向けた重要な記憶」と題する決議を可決した。《ーー80年前共産主義のソ連とナチス・ドイツが秘密協定を結び、欧州独立諸国の領土を分割して彼らの権益内に組み込み、第二次世界大戦勃発の道を開いた。ーー1939年ポーランドはヒトラーとスターリンに侵略されて独立を奪われた。ソ連は1939年フィンランドに対して侵略戦争を開始し、1940年にはルーマニアの一部を占領・併合して一切返還せず、さらにリトアニア、ラトビア、エストニアを侵略し、併合した。第二次世界大戦後、中東欧諸国はソ連の直接の影響下におかれ、独裁体制のもとで自由、独立、尊厳、人権および社会経済的発展を半世紀の間、奪われた。ーーーナチスの犯罪はニュルンベルグ裁判で審査され罰せられたものの、ソ連スターリニズムや他の独裁体制の犯罪への認識を深め、教訓的評価を行い、法的調査を行う喫緊の必要性が依然としてある》と。
ソ連が第二次世界大戦中およびその後に行った犯罪行為は数多いが、その一つに「カチンの森事件」がある。ソ連は1939年ポーランドを侵略。約1万5千人のポーランド人将校を捕虜にしたが、その大多数を虐殺した。1943年進駐したドイツが、カチンの森で、ソ連が虐殺したポーランド人将校とみられる4千5百体の射殺死体を発見した。ソ連はドイツの犯行だと主張し、自国の犯行と認めなかった。1990年になってゴルバチョフ書記長がソ連の非を認め、ポーランドに謝罪した。1992年、ポーランド人2万人以上の虐殺を命ずるスターリン署名の文書が公表された。
ソ連はナチス・ドイツよりもっと悪質な侵略国家であり、第二次世界大戦の勝者として米英と共に正義の側に立つ資格など全くなかった。米英と同盟して共通の敵ナチス・ドイツと戦い、勝者となったため、ソ連の欧州における侵略はすべて不問にされた。
ソ連の侵略と大戦後の中東欧諸国のソ連による支配を認めたのが、1945年のルーズベルト、チャーチル、スターリンによる「ヤルタ会談」である。以後、中東欧諸国は半世紀にわたって共産主義の支配に苦しむことになった。今、中東欧諸国はスターリンの戦争責任だけでなく、ソ連による支配を認めたアメリカ・ルーズベルト政権の責任も追及している。2005年アメリカ大統領ブッシュはラトビアで、ルーズベルト大統領が1945年に結んだ「ヤルタ合意」を史上最大の過ちの一つと認めた。
ソ連を正義とみなす第二次大戦の戦勝国史観は、世界の大半ですでに破綻している。
(注)江崎道朗著『日本人が知らない近現代史の虚妄』SB新書より
(令和4年4月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |