救難団飛行群戦技競技会に参加して 松島救難隊 1空尉 岩永麻奈美 「機長は、岩永しかいないからな!頑張れよ」平成17年度航空救難団飛行群戦技競技会の構想が送られてきた際の、先輩からの言葉である。この時点で、私の2度目の戦技競技会(以下、戦競という)への参加が決定した。実は、昨年の戦競も副席(初級)として参加させてもらったため、今回は、2度目であった。 約1ヶ月後、我が松島を含めた各隊の戦競のメンバーが確定した。我が松島救難隊は、固定翼機長は私、副席・角谷1尉である。角谷1尉は、1期後輩の女性操縦士である。これまでにも2人で、『WAFフライト』は何度もやっている。特に何も変わらない。強いて言えば、2人の無線を通じた声の区別がつかない事くらいだ。そんなことは、私たちには関係ない。その後、メンバーによる戦競訓練が開始された。 そして、戦競への出発。救難隊員全員に見送られ、芦屋行き特別便C-1に乗り込んだ。すっかり気分は、戦競モードだ。芦屋に到着したが、台風により2日間の延期を余儀なくされた。さすがに、この強風豪雨の中に、緊張感を持続させるのは、難しい。自分の中の戦競モードを、一時スタンバイさせた。台風通過翌日の午後から、2日に渡って競技が開始された。松島は2日目の最後から2チーム目である。初日は3チームのみであった。台風の影響で、洋上のうねりが大きいらしい。「やっぱり」という思いそして、私の頭を駆けめぐる「明日もか?」という不安。テレビ等の気象情報に釘付けになったことは“言うまでもない。そして翌日、天候は晴、雲等も問題ない。ただ海象は、まだ台風の影響を受けている模様だ。でも、状況はどのチームもほとんど同じである。『やるしかない!』のだ。そんな私たちの航空機に飛行群司令が同乗されることになった。「戦競初の、WAFフイトだしな。ガッカリされることがないようにしなきゃ」という気負いがあったのは、確かである。しかし、いざ競技が始まってしまえば、そんなことは、きれいさっぱり忘れていた。考えることは、「機長として何をすべきか」それだけであった。 捜索指示受領後、捜索開始。1つ目の目標は、すぐに発見できた。UHも救助までの時間がいつもより早い。こちらも負はずに、2つ目も順調に発見。「おっ、練習の成果か?」と思ったのも束の間、3つ目が見つからない。「やはり、この波じゃレーダー捜索は限界か?風下、いや風上?…目視に切り替えるタイミングは…。風も強くなってきたな。風下に流されたか?…太陽も西に傾いた。このルートは逆光に入ってしまう」等、自分なりに様々なことを考えた。時計は、常に同じく時を刻むのだがこのときばかりは、瞬く間にすぎていった。そして、タイムアップ。結局、2つ目の目標までしか見つける事ができなかった。 結果は飛行部門、最下位であった。正直、悔しい。しかし、もっとやれたとは言わない。自分のできる限りのことはやったつもりだ。だから、悔いはない。 ただ見つからなかったのは、自分に不足しているものがあるからなのだ。技量然り、精神力だ。実は、飛行終了後にキャビンに言われた。「岩永1尉、初めの方、声のトーンが若干高くなってましたね」と。機長は、常に平常心でなくてはならない。それなのに…、全く恥ずかしい話である。 今回、機長として戦競に出させていただき、戦競を楽しむ事ができ、そして自分に不足するものを改めて知ることができた。今回の戦競では負けたが、今回の教訓を今後に活かす事が、私の一番の成果だと思う。そして、実任務の現場で、目標未発見などとならないよう、今後とも精進していこうと思う。また、次に戦競出場の機会があれば、私には「優勝」しかない!!