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   2005年10月1日号
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素敵な出会い求めて
舞鶴海曹会主催
 舞鶴海曹会(会長・川村大和海曹長)はこのほど、「ナイスミーティングちゃった2005」を舞鶴自衛隊父兄会と白菊会の協賛を得て舞鶴教育隊厚生センターで実施した(写真)。
 参加者は舞鶴地区の自衛官との結婚を夢見る女性、良き伴侶に巡り合いたい隊員、合わせて30名が参加した。自己紹介・フリータイムと進み、20時半過ぎから始まった花火に彩られた夜空を見入るカップルの姿がちらほらと見受けられた。催しは、盛大に盛り上がり4組のナイスカップルも誕生した。良き伴侶を見つけて貰うために奮闘した会長以下スタッフは、参加者から随所で感謝されていた。

スポーツよもやま話
根岸直樹
"Qちゃん"こと高橋尚子
11月、東京国際マラソンで復活賭ける
 読み人はど忘れしてしまったが、九月の朝日川柳に「そんな娘もいた恋と陸連思い出し」という一句が載っていた。
 9月5日、米バージニア州で行われたロックンロール・ハーフマラソンで、約2年ぶりにレース復帰の"Qちゃん"こと高橋尚子(33)=ファイテン=が、1時間10分30秒で4位に入るニュースが伝えられた直後のことだった。
 高橋は女子マラソンの第一人者として、長いこと日本マラソン界に君臨してきた。1997年の大阪国際、2時間31分32秒(7位)でデビューして以来、98年3月の名古屋国際から02年9月のベルリン大会優勝まで7連覇。01年9月にベルリンで出した2時間19分46秒の快記録は、シドニー五輪2時間23分14秒の金メダルとともに、快挙として後世に語り伝えられるはずだ。
 しかし"Qちゃん"はオバケとはいっても、まだまだ生身の人間。「このまま消えてしまうわけにはいきません」と蘇(よみがえ)ってきた。03年の東京国際、終盤の大失速で2位に落ち(2時間27分21秒)アテネ五輪代表権を逃して以降は、文字どおり「悪夢」の連続だった。一時は「このままやめてしまったら、どんなにか楽だろう」と、挫折しかかったこともあったという。
 04年7月の合宿中、転んで胸とヒザを打撲、2ヵ月後には右足首骨折。復活を期した05年も5月、10年来の恩師・小出義雄監督(佐倉アスリートクラブ代表)とタモトを分かち独立。すぐ「チームQ」を設立して、ファイテンと4年間推定6億円の所属契約を結び、米ボルダー合宿入りなど、あわただしい半年が続いた。
 小出監督からの独立は「言われた練習をただこなすだけでなく、自分で考えたメニューを組んでみたい」という気持ちを抑えきれなかったからだという。4月のロックンロール・ハーフに次いで2週間後の18日にはフィラデルフィア・ディスタンスランでもハーフを走り、1時間11分28秒でまた4位。連続でのハーフマラソン出場は「走りたいという気持ちを抑えることができなかったから…」だとか。仕上がりは「きわめて順調」だそうだ。
 「いろいろなことがありすぎたけど、ドン底を見た後にもう一回夢を抱くことで、必ず結果につなげたいという気持ちが高まってきている。二年前の東京国際は苦しいレースだったけど、いま時間がそこで止まってしまっている。そこからもう一回、スタートしたい。生まれ変わった高橋尚子が、新たな気持でスタート地点に無事立てることだけを考えている。東京国際こそ再挑戦に一番ふさわしいレースだと思います」
 「止まった時間をもう一度、動かしたい」という33歳の元女王が、東京国際終盤の30キロ以降でスタミナをどこまで維持できるか。「記録を追うよりも、じっくり相手を見据えてのレース」にかけるという高橋。11月20日、因縁のレースでの復活劇に注目してみたい。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
自衛隊で培った精神力を発揮
医療法人久幸会今村病院 須田誠
須田氏(平成12年3月、第21普通科連隊=秋田を陸士長で退職。35歳)
 再就職の経緯は6任期12年という長期の自衛隊生活で陸曹を目指して頑張ろうかと色々と悩んだ末、最終的には一般企業で自分の力を試してみようと決意しました。
 再就職先は、病院、介護老人保健施設など様々な医療施設、福祉系施設を経営、統括している医療法人。久幸会という医療福祉系企業です。
 私は法人事務局の総務部施設環境課という部署に所属しており、施設や施設設備などの管理を担当しています。業務内容は多岐にわたりますが、主に施設に必要な管理業務の委託保守契約または施設や施設機器の修繕工事に関しての報告書及び各業者から見積もりを取り寄せて企画、起案書などの書類を作成することです。
 私が今の仕事で苦労したことは、部隊では幹部、陸曹の命令指示に従い職務を遂行してきたのに対し、今は自分で考えをまとめて仕事を進めていかなければいけないことです。それには施設及び施設機器に係る業者を把握しなければなりません。ひとつの建物を維持管理していくのには様々な業種の業者が係わってくる、それを広く浅く覚えなければならない、頭から煙が出るくらい苦労を重ねました。
 除隊して再就職を希望している方、最初は色々なことで戸惑うかも知れませんが、自衛隊で培った精神力、忍耐は何物にも勝るものだと私は確信しています。自ら進んで目標を持って頑張ってください。

シリーズ イラク派遣を終えて
空自航空警務隊 百里地方警務隊
1空尉  辻野 展哉
 私は、第6期イラク復興支援派遣輸送航空隊警務隊長として、クウェートのアリ・アル・サレム空軍基地において約4ヵ月間勤務しました。派遣期間を通じて事件や事故等もなく、任務を完遂し無事に帰国できたことは大きな喜びとなりました。
 しかし、何事も首尾よく進んだ訳ではありません。出発前から心配だったのがやはり語学力。英語が苦手な私に果たして他国の軍隊と円滑にコミュニケーションをとることができるのか、不安が募るばかりでした。過去に3度の海外訓練への参加経験があるものの、いずれも期間は1〜2週間と短いうえ、他国の軍隊と業務調整をする機会もありませんでした。しかし、今回は4ヵ月もの長い期間であり、業務において他国の軍隊のみならずクウェート国内の関係機関との調整が多々あることは明らかです。苦手な英語を如何に克服するかが私の課題の一つでした。
 思ったとおり、派遣当初はかなり苦労しました。特に電話をかける時には事前に言いたいことの全てをメモして後は棒読み…といったことも頻繁にありました。しかし不思議なもので、英語に接する機会が多くなればなるほど、次第に苦手意識から解放されていくような気がしました。英語教育においてよく言われる「習うより慣れろ」とはこのことであると初めて認識することができました。
 以後、私は課業時間の内外を問わず、意図的に他国の軍隊と積極的に交流する機会を持つようにしました。
 さて、英語を楽しく感じられるようになればこっちのもの。私は、もっと楽しく交流できる方法はないかと思い、それには目標があれば取り組み易いと考えるようになりました。ある日、私はポーランドの軍人を見かけた時に「彼らと英語で会話できるのだろうか」という、ふとした疑問から会話を試みた結果、十分に意思疎通ができたうえ、記念にお互いのワッペンを交換しました。これを機に思い付いた目標が、何力国の軍人と話をしてワッペンを交換できるかということです。ワッペン交換という目標を掲げた結果、私は他国の軍人を見ると躊躇することなく必ず声をかけるようにし、ワッペンや記念メダルの交換を通じて、アメリカ、イタリア、エルサルバドル、オーストラリア、韓国、クウェート及びポーランドの軍人と会話をする機会を得ました。様々な国の軍人と交流したことにより、航空自衛隊の存在感を誇示することができたと勝手に自負しています(大げさ)。
 決して十分ではないものの、ちょっとしたことから苦手な英語を克服(これも大げさ)した結果、自身の派遣をより充実させることができました。次回の派遣は未定ですが、声が掛かればいつでもどこでも派遣に応じ、「交流」の続きをしたいと考えています。

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