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スペーサー
自衛隊ニュース   1129号 (2024年8月15日発行)
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防衛ホーム スポーツ部
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新添2尉7位
パリ五輪 柔道女子70キロ級で
 パリ五輪が7月26日に開幕した。31日、柔道女子70キロ級に出場した自衛隊体育学校(朝霞)の新添左季2陸尉は準々決勝で敗退し、7位で終えた。混合団体戦は銀メダル獲得に貢献した。
 男女7階級ずつ計14階級で競われた柔道個人戦。「(酒井英幸・体校柔道班監督に)自信を持って自分の柔道をするように、といつも指導されている。自信を持って戦いたい」と語り各国の強豪集う女子70キロ級に挑んだ新添2尉は、初戦の2回戦を不戦勝、続くウズベキスタン人選手との3回戦は2分15秒、袈裟固めで一本を奪った。
 しかし、オランダ人選手との準々決勝戦、小外刈りで技ありを奪われ敗退。スペイン人選手との敗者復活戦に進んだが、消極的姿勢などで三つの指導を取られ惜敗した。
 大会には新添2尉と、高谷大地1陸尉(レスリング班)、石黒隼士2陸曹(同)、蝦名愛梨2陸曹(水泳班)、佐藤大宗2海曹(近代五種班)、内田美咲3陸曹(同)、梶木真凜3陸曹(女子ラグビー班)の7人が出場、5競技に臨んだ。
 前回東京五輪出場の梶木3曹以外は、いずれも五輪初出場。大会は8月11日、終了した。(9月15日付号で五輪特集を掲載)
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サロマ湖マラソン支援
6即連
 第6即応機動連隊(連隊長・中津健士1陸佐)は6月30日、北海道陸上競技協会、北見市、湧別町、佐呂間町、北海道新聞社が主催する「第39回北海道サロマ100キロウルトラマラソン大会」を支援した。
 湧別町をスタートし北見市常呂町のゴールを目指す100キロの部と佐呂間町からゴールを目指す50キロの部に国内・国外から約3500人が出場した。
 連隊の支援隊は最高気温29度の炎天下の下、車両による選手の先導支援や通信支援を整斉と行い、大会の安全かつスムーズな進行に寄与した。
 連隊の隊員3名も本大会に選手として参加し力走を見せた。
 このうち火力支援中隊の岡部諭2曹は去年に続き100キロの部を見事完走し、「去年に引き続き完走できて良かった。今後も完走していくため、体力練成に励みます」と語った。

ノーサイド
北原巖男
恩讐の彼方に

 本年2月14日に行われたインドネシア大統領選挙で当選(3月20日確定)したプラボウォ・スビアント次期大統領(現国防大臣)は、10月20日の大統領就任を前に、日本や中国やロシア、ASEAN、中東諸国等を訪問し、岸田首相はじめ習近平国家主席やプーチン大統領等、各国首脳と積極的に会談されています。プラボウォ政権として、インドネシアの非同盟・全方位善隣外交を力強く展開して行こうとする気負いが感じられます。
 ところで、隊員の皆さん・ご家族の皆さん、そして本紙読者の皆さんの中には、古い短編小説ですが、菊池寛の「恩讐の彼方に」を読まれた方も多いと思います。この著名な小説の題名「恩讐の彼方に」は、もちろん著者による特別な言葉ではありません。小説を読んだ・読まないに関わりなく、僕たち日本人が、それぞれの心の中に共有している普遍的な、しかし、心の機微に触れるような深い日本語です。
 そして、これまで遭遇した辛く厳しい人生体験の中で、「恩讐の彼方に・・・」と、懸命に自分自身に言い聞かせ、かくあろう、と努めて来たことを思い浮かべる方もおられるのではないでしょうか。
 恨みやわだかまりを捨てることは容易なことではありません。許すこと、それはとても難しいことだと思います。僕自身もそうです。
 そして、このような事態が生起するのは、個人と個人との関係だけには留まりません。世界各地で、国と国や民族と民族の間で生起している侵略戦争や紛争、各種の弾圧などは、枚挙に暇がありません。
 かつての東ティモールとインドネシアの間でもそうでした。1975年11月から約24年間、インドネシアは東ティモールの独立回復闘争に対する激しい武力攻撃や拷問等、様々な弾圧を行ってきました。当時の東ティモールの人口約80万人のうち、何と人口の四分の一、約20万人もの皆さんが犠牲になりました。ちなみに、インドネシア軍人は、約3800人が亡くなっています。
 ときのインドネシアの最高権力者は、スハルト大統領。その下で、同大統領の娘婿でもあったプラボウォ氏は、陸軍特殊部隊司令官。インドネシア軍最高司令官であるスハルト大統領の命令に逆らうことなど出来なかったとしても、彼が独立回復を求める東ティモール国民に対して行った行動は凄惨なものでした。
 ・・・2002年5月20日に東ティモールが独立を回復して以降、今日までの22年間は、「和解(reconciliation)」を合言葉に、良好な未来志向の二国間関係を構築すべく、とりわけ東ティモール、そして東ティモールの国造り支援等を通じてインドネシアも努力して来ています。今や両国は、緊密な関係にあります。
 東ティモール国民のインドネシアに対する真意を、第三者である僕が測り知ることは出来ません。しかし、現在の東ティモールの要人等の言動から、インドネシアに対する取り組み姿勢については、次のように要約できるのではないでしょうか。独立回復以降、東ティモールでは、幾たびか政権が変わっていますが、いずれの政権にも差異はありません。
 ・スハルト大統領は、もういない。
 ・厳しい歴史があったことは、忘れないし、忘れてはならない。
 ・しかし、その歴史の中に留まっていたのでは、先に進まない。
 ・我々は、許すことができる。
 ・インドネシアに補償を求めることはしない。
 (参考‥1941年12月、第二次大戦開始直後、オランダとオーストラリアの連合軍は、当時中立であったポルトガル領ティモールを予防占領。これを受けて旧日本軍は1942年2月に同島に上陸・連合軍を撃退、終戦まで占領。東ティモールは日本に対する補償は求めていません。)
 ・我々は、独立闘争の中で犠牲になった約20万人の英雄の皆さんが、独立して良かったと思われるような国造りをしなければならない。
 ・そのためにも、隣国インドネシアと未来志向の関係を構築して行かなければならない。
 ・・・こうした中での本年10月20日のプラボウォ大統領誕生です。
 スハルト大統領以降、現在のジョコ大統領まで5人の大統領がいますが、東ティモールの独立回復闘争の弾圧に直接かかわった軍高級幹部出身者はいません。
 東ティモールのホルタ大統領は、プラブウォ次期大統領の当選確定前に電話で祝意を述べ、同氏の大統領就任前の東ティモール訪問を希望する旨を伝えています。
 独立闘争のリーダーであり、東ティモールの国父でもあるグスマン首相は、当選確定後の4月4日、書簡にて当選のお祝いを表明すると共に、両国を和解と対話によって、信頼による変革の力をグローバルに示すモデルにしようと訴えています。
 7月31日にプーチン大統領と会談されるプラボウォ次期大統領の様子をテレビで見ていますと、これからの東ティモール国民のことや前掲の小説「恩讐の彼方に」が浮かんで来ずにはいられませんでした。
 プラボウォ政権発足に伴い、両国国民のため、両国のため、東ティモールとインドネシアには、改めて未来を見据えた和解そして信頼のための取り組みが幾重にも求められるのではないでしょうか。
 そうした双方の真摯かつ目に見える努力・行動の積み重ねによって、グスマン首相の訴えが一日も早く現実のものとなる
ことを願って止みません。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


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