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自衛隊ニュース   1125号 (2024年6月15日発行)
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防衛省・自衛隊 地方協力本部
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高工生が近況報告
僕たち頑張っています

<栃木>
 栃木地方協力本部大田原地域事務所(所長・高井1陸尉)に、4月30日、高等工科学校2年・渡引生徒(那須烏山市出身)、同校1年・櫻井生徒(さくら市出身)、小林生徒(同市出身)、星生徒(那珂川町出身)の4名が帰省と近況報告を兼ねて訪れた。今回の事務所訪問は、先輩の渡引生徒による提案で、実現した。
 大田原地域事務所長は生徒35期の出身であり、今回の事務所訪問で、自分の入校当時を振り返り、とても懐かしく感じたと話していた。また、先輩として、後輩たちが凛々しく成長する姿に感動を覚えるとともに、今後も頑張ってほしいと激励をした。
 渡引生徒と後輩3名は、入校前から顔見知りであり、「後輩もでき、先輩として手本になれるようにこれからも勉強に部活に頑張ります!」と熱く話してくれた。
 その後、学校訪問を実施し、氏家中学校(さくら市)に、櫻井生徒、小林生徒の2名が、小川中学校(那珂川町)には、星生徒が担当した広報官とともに訪問した。
 氏家中では、学校の先生たちに「成長したね。がんばってるね」と声をかけられ、両生徒は照れたように笑顔を返していた。また、小川中学校では、先生たちから「凛々しく成長した星生徒の姿に感動しました。受験から入校後の今までフォローしている担当の広報官(松尾3陸曹)に感謝します」との言葉をいただいた。
 大田原地域事務所は、「今後も、入校者に対しアフターフォローを継続していくとともに、入校者たちのリアルな言葉を発信する広報を実施していく」としている。
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新入隊隊員が母校訪問
先生と後輩に成長した姿を

<長野>
 長野地方協力本部茅野地域事務所(所長・濱嶋3陸尉)は5月2日、長野県岡谷工業高等学校において、令和5年度に陸上自衛隊に入隊した隊員2名による母校訪問を実施した。
 訪問した隊員は、当時の進路指導主事と6年度に自衛隊受験を志す3年生2名に対し、高校在学時にお世話になったことへの感謝を伝えるとともに、陸上自衛隊の教育隊での訓練内容、生活環境など近況を伝え、2名ともに教育隊にて日々成長していることへの実感や充実感などを報告した。また、同行した広報官からも各種採用制度などについて改めて教諭と受験希望者に説明することで、自衛隊に対する理解の深化を図った。
 訪問した隊員と再会した教諭は「一つ一つの挙動や動作、発言内容、受け答え要領など、すべてが高校在学時から成長している」と感心、また後輩2名は「逞しくなった先輩の話を聞いて更に自身も自衛隊を志す気持ちが強くなった」と希望に目を輝かせ、隊員2名と広報官に様々な質問をしていた。訪問した隊員も「先生に成長した姿を見せることが出来て良かった。次は、更に成長した姿をみせて驚かせたい」と話した。
 長野地本は、引き続き学校側との良好な関係を維持するとともに、各種行事などを通じて情報発信することで、自衛隊への理解の向上及び信頼感の醸成を図り、募集広報を行っていく。
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「あまくさ」、C130Rを一般公開
県総合防災訓練に参加

<鹿児島>
 鹿児島地方協力本部(本部長・松浦幸一1海佐)は、5月26日に奄美市川商ホールで実施された「令和6年度鹿児島県総合防災訓練」に参加した。
 訓練においては、来場者に対する防災意識の啓発を目的として「平成22年奄美豪雨災害」の災害派遣活動状況のパネル及び非常用糧食・戦闘糧食2型の展示ブースを開設するとともに、関係機関と連携強化及び災害対処能力の向上を図り、地域住民の防衛省・自衛隊への理解を深めた。また、奄美警備隊(奄美市)と連携して、装備品展示「高機動車、軽装甲高機動車、オートバイ(偵察用)を実施した。
 その他、本防災訓練に参加した多用途支援艦「あまくさ」の一般公開(奄美大島名瀬港)及び奄美空港(奄美市)においてC130Rの一般公開も行われた。
 一般公開においては、多用途支援艦内の見学をはじめ、災害派遣における任務の概要説明が実施され、2日間で約400名が訪れた。また、災害派遣医療チームの輸送で参加したC130Rの機内見学においては、約100名の見学者に対して機体の概要等について説明が実施される等、自衛隊の理解促進に繋がる内容であった。
 鹿児島地本は、「引き続き、防災訓練等あらゆる機会を通じて各関係協力団体との連携強化を図るとともに、多くの県民の皆様に自衛隊の活動等を紹介する機会を設け、自衛隊に対する理解の促進及び自衛隊の認知度の向上に努めていきたい」としている。

失敗は成功のもと
宮田尊彦予備3陸尉

「任務完遂」

 昭和54年3月23日、希望と不安の中、都城駐屯地の第43普通科連隊に教育入隊し、人生の同期と出会い、同じ釜の飯を食べ切磋琢磨し前後期教育終了、その後間もなくそれぞれ全国へ移動、この時何故か涙が出たことを思い出します。
 「自衛官とは何ぞや」と考える日々が続く毎日を過ごし、部隊に残った同期4名一丸となりその後を乗り越えた思いが浮かびます。
 陸曹となり、本職である迫撃砲射撃陸曹としては、日々の訓練で失敗の連続でした。しかし、失敗を恐れる事なく汗を流し、涙を流し、小隊一丸となり目標を持ち、「なぜ・なぜ」と研究心をもって訓練に励み、師団大会優勝等の成果を収めたことが思い出されます。「失敗は成功のもと」中隊付准尉に上番し、毎日朝礼台に立ちました。隊付上番後、先任上級曹長制度が発足し、隊付業務を行いながら先任上級曹長の任務を同時に遂行することになり、先任上級曹長としての任務理解に苦しんだ思いがありました。
 時は過ぎ、平成27年2月1日付をもって陸上自衛官としての任務を全うし定年退職しましたが、悔いのない自衛隊生活が送れ、多くの人に感謝してもしきれない気持ちで一杯でした。本当に「任務完遂」と思えた日でした。

予備自衛官として職場での頑張りが自衛隊への理解に繋がる

 退職後は、予備自衛官としての身分を持つ傍ら、援護の紹介で都城市内の建設協同組合に就職しました。企業が我々自衛隊退職者に求めるものは何かと考えた時に、自衛隊で学んだ経験を元に自ら進んで考案し行動することを望んでいると思われます。その職場で頑張る事で自衛隊に対する理解も促進でき、予備自衛官招集訓練に参加する事にも心よく了承してくださると思います。
 予備自衛官としては、令和6年6月をもって任期満了を迎えることとなり、とても寂しい気持ちもあり、やり遂げた気持ちもあるなど、言葉には出来ない思いです。現役としての勤務に引き続き、予備自衛官としてここまで健康を維持し、任務完遂出来たのは、家族の支え・同期の絆・諸先輩及び後輩のおかげであり感謝の気持で一杯です。
 人生は、失敗を恐れる事無く前進、仕事にも趣味にも目標を持ち、達成の喜びを楽しみましょう。


経験を活かせる予備自衛官
 今年、予備自衛官等制度は創設されてから70年になる。今年1月に発生した能登半島地震においても予備自衛官等は活動を行っている。実際に現地で支援を行った2名が5月末の70周年記念行事(6月1日発行号で既報)の合間に取材陣のインタビューに応じてくれた。
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災害派遣に従事できた事は誇り
上岡千夏即応予備2陸曹(芸人・37歳)
 自衛隊が恋しくて即応予備自衛官になった人もいる。
 お笑い芸人になることが夢だった上岡千夏即応予備2陸曹は、その気持ちを確かめるために陸上自衛隊に入隊、第7普通科連隊(福知山)重迫撃砲中隊に所属した。答えを出すのに10年要したが、芸人の道に進むため退官した。すぐに予備自衛官になるも、「年間5日の訓練ではもの足りない」と年間30日訓練がある即応予備自衛官に任官した。「自衛隊が好きすぎてロスだったんです」と当時を振り返る。
 現在は、吉本興業所属の芸人「ちっぴぃちゃんズ」として相方の黄色いインコと共にテレビやYou Tube等で活躍中だ。能登半島地震では、輪島市で支援物資の配布や仕分けを行った。招集がかかった時は、R1グランプリ(国内最大規模の一人芸の大会)等の重要な仕事が入っており、要請を請けるか迷ったが、「即応予備自衛官としてこの身を捧げることができる」「笑える環境を整えることがお笑い芸人の責務だ」との思いに至り、現地に赴くことを決心した。
 現地での活動を振り返り、「即応予備自衛官としての支援ができたことはとても嬉しかったです。現役時代でも災害派遣に従事することはなかったので、それを果たせることができて誇りに思います」と溌溂とした声で答えてくれた。
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医師として広く社会に貢献したい
辻 成佳予備2陸佐(医師・54歳)
 「これまで先輩や同僚からたくさんの事を学び成長できました。今後は医師として広く社会に貢献したい」。50歳を迎えてそんな思いを馳せていた頃、先輩医師から勧められたのが「予備自衛官制度」だった。年齢制限のため自らが志願できないその先輩医師から「お前に託したぞ」と背中を押され、4年前に予備自衛官補に志願。2年前に予備自衛官に任官した。
 能登半島地震では大阪から同じく予備自衛官と共に現地に派遣され、常備自衛官と活動した。輪島市とその東側、海岸線が崩落して車や人が入れない孤立地域で健康診断や薬の処方を行った。「被災された方からは心強いと言って頂けました。心の面でもサポートできたのでは」と振り返る。
 職場は自衛隊の活動への理解があり、急な招集も快く送り出してくれた。「外来の予約等が多く入っていましたが、周囲のスタッフがフォローしてくれました。負担をかけたという気持ちはありますが、活動後の報告会では『頑張ってきたね』と労ってもらえて、行って本当に良かったです」と職場への感謝も忘れない。
 辻さんの活動を周囲もちゃんと見ている。同じ職場の先生2名がこのほど予備自衛官補に応募したそうだ。「予備自衛官として社会貢献する事に共感してくれる人は多いと思います」との実感がある。「予備自衛官は、自分のこれまでの経験を活かして幅広く社会に貢献できる舞台があります。また、同期には『人の役に立ちたい』との熱い想いを持った方が多くいます。そのような仲間との繋がりや絆を持てることがやりがいになっています」と笑顔で話してくれた。

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