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自衛隊ニュース   1077号 (2022年6月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第103回>

スターリンの北海道占領計画

 太平洋戦争に敗れた日本はアメリカ一国の占領下におかれ、ドイツのようにソ連との分割占領にならなかったことは、日本の特筆すべき僥倖であった。もしソ連の軍事侵攻が北海道にまでに及んでいたら、日本は分裂国家となっていた可能性が高い。ソ連(ロシア)は占領した日本の北方領土を決して返さないことからもわかるように、もし北海道が占領されていたら北海道は今ロシア領だろう。
 そして実際、ソ連は北海道占領計画をもっていた。ロシアに残されている公文書によると、スターリンは対日参戦(1945年8月8日)直前に、「サハリン(樺太)南部、クリル(千島)列島の解放だけでなく、北海道の北半分を占領せよ」と命じていた。日本は1945年8月14日の御前会議で太平洋戦争の終戦(敗戦)を決断し、同日ポツダム宣言の受諾を連合国に通告。8月15日終戦の詔勅を発し、全軍に対して戦闘の中止を命じた。連合国最高司令官マッカーサーも全米軍に対して攻撃中止を命じ、ソ連に対しても攻撃中止の要請をした。しかしソ連は攻撃をやめなかった。8月16日スターリンは米大統領トルーマンに文書を送り、「(1)日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島列島全土を含めること、(2)日本軍がソ連軍に明け渡す地域は北海道の北半分を含むこと。北海道の南北を2分する境界線は、東岸の釧路から西岸の留萌まで通る線とする」と要求した。トルーマンは8月18日、千島列島の領有は認めるが、北海道の占領は拒否すると回答した。そしてこの日、スターリンは千島列島への侵攻を開始し、北海道の実効支配を念頭に入れた樺太作戦の本格化に踏み切った。スターリンは、日本が降伏文書に署名する日(9月2日)までに日本の領土を交戦の結果として実力占領する既成事実をつくろうとしていた。
 ソ連軍は8月11日に南樺太占領作戦を開始。8月15日、日本のポツダム宣言受諾が布告されて停戦交渉が進められたが、ソ連軍は侵攻(南下)し続けた。8月23日頃までに日本の主要部隊との停戦が成立し、8月25日南樺太の占領が完了した。スターリンは8月22日にトルーマンに返書を送り、北海道占領は断念する旨を伝えている。千島列島の占領は、8月18日最北端の占守島への侵攻を開始し、8月28日までに択捉島まで占領。国後島を9月2日に占領し、色丹島を9月1日、歯舞諸島を9月3日に占領した。
 スターリンはなぜ北海道占領を断念したのだろうか。それは何といってもトルーマン大統領がこれを拒否したからである。米国は原爆を開発して日本に投下し、圧倒的な力をソ連に見せつけ、戦後の日本支配に関し、アメリカの国益にならないソ連の要求など完全にはねつける力をもっていた。
 もう一つ。ソ連軍が千島・樺太における日本軍の強い抵抗に遭って時間をとられ、スターリンは北海道占領を断念せざるを得なくなったと考えられる。8月18日未明、ソ連軍は占守島に攻撃を開始したが、日本守備隊の頑強な抵抗を受けた。北千島の守備に任じる師団長の堤中将は大本営の指示に従って停戦の準備をしていたが、この攻撃に対して自衛戦が必要と判断し、反撃に出た。戦いは激戦となったが、日本の優勢のまま停戦した。千島、樺太、北海道の防衛を統括する第五方面軍司令官樋口季一郎中将は、堤師団長の自衛のための反撃を認めた。ソ連のやり方を熟知する樋口司令官は、終戦後もソ連の行動如何によっては、自衛戦が必要になると考えていた。占守島で示された日本軍の強い抵抗力は、ソ連軍の千島列島占領のスピードを鈍らせ、スターリンの北海道占領計画断念判断に影響したと考えられる。
(令和4年6月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


統幕最先任、かつての教え子の成長に目を細める
 統幕最先任の関秀之准海尉は4月11日、派遣海賊対処の任務を終えた「ゆうだち」の帰国行事に参加すべく、大湊を訪問した。
 その際に陸、海、空の各部隊を現況把握した。中でも、海上自衛隊第25航空隊を訪れた際は、先任伍長の小林隆師海曹長を交え、以前、横須賀教育隊臨時勤務時に教育した隊員達と懇談を行った。
 この時期の大湊にしては非常に暑く、若い隊員の活気と熱気を含んだ笑顔での近況報告に安堵した。それぞれの成長した頼もしい姿に感動と喜びをもらい終始笑顔の懇談であった。
 終了後「頑張れよ!」との言葉と握手に対し「はい、がんばります。ありがとうございます」という返答と力強く握り返してきた姿に目を細めて基地をあとにした。

機略縦横(36)
第15旅団最先任上級曹長 准陸尉 蛯原寛子
変わらないもの

 沖縄は今年、本土復帰50周年を迎えました。時期を同じくして沖縄に創隊・創立された防衛局や自衛隊等各組織も50年の節目です。沖縄の50年、自衛隊の50年、私の記憶の中ではそれぞれの大きな変化を感じつつ、第15旅団はこの地で任に就いています。
 さて、部隊活動の基礎「団結・規律・士気」、中でも団結が必須要素であると私は考えます。団結の力は部隊の規律を保ち隊員の士気を高める相乗効果が大いに期待できるからです。では、団結の元は何か。それは人。隊員個々の繋がりであり、これを集団として獲得したものが団結を得て強い部隊となるのでしょう。と、言うは易し行うは難し。部隊先任達は、自らの時間と労力、身銭を切り缶コーヒーを片手に隊員へ声を掛け、発する声に耳を傾け、一緒に悩み考えます。かつて先輩方に賜った愛情の恩返しと、隊員一人一人に向き合い、そして部隊の団結を目指します。
 最後に、移り変わりの激しい時代に我等は変革を加速させつつも不変のもの、それは自衛官として目の前の職務に真摯に向き合い汗を流すこと、先任達は隊員育成に愛情と情熱を注ぐこと。
 さあ、今日も現場へ足を運びましょう。

雪月花
 2013年の「集団的自衛権の行使」が初出版だったにも拘わらず、Amazonの2部門(日米安全保障 国際政治情勢)で1位となり、政官界などから注目された里永尚太郎さんが久しぶりに2冊目と3冊目を内外出版社から同時発刊した。「戦後日本政治史-集団的自衛権を巡る論争史の検証を通じて-」と「安倍政権と集団的自衛権-キーパーソンが明かす内幕-」である。里永さんは小池百合子さん(現東京都知事)が環境大臣の頃政務秘書官を務めていた。その時に環境省ではクールビズを薦めたが先鞭をつける人は少なかった。里永さんはノーネクタイや、かりゆしウェアで勤務し広告塔になり積極的に推し進めた。また、筆者とは日本論語研究会(田村重信代表幹事)で数年一緒に勉強をしたが、日本の安全保障についてこのように研究しているとは想像もしなかった。国会議員政策担当秘書・顧問をしながら今回2作を同時上梓されたことに少なからず驚いた。ロシア軍によるウクライナ侵略で激震が世界に広がっているこの時に合わせるようにピッタリのタイミングである。両書は過去の憲法論争の流れ、経緯を振り返り日本の国防について、キーパーソンの見解なども盛り込んでいる。第2次大戦後の多くの国民は国防について学校で学ぶことはなかったし親から教えてもらったこともないのではないか、筆者を含めて。今まさに第3次世界大戦・核戦争に突入せんとしている時、集団的自衛権について積極的議論が必要なのではないか。国連中心主義も外交努力も機能しない現実を目の当たりにした。「自分の国は自分で守る」主権、領土、領海、領空を死守することが自国の平和を維持するためにいかに尊いことであるかという国民意識を醸成していかなければならない。里永さんから国防について熱い思いが伝わってくる。

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