防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1025号 (2020年4月15日発行)
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自衛官としての第一歩
祝 入隊・入校式
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第46普通科連隊

 第46普通科連隊(連隊長・大江良治1陸佐=海田市)は、4月5日、駐屯地体育館において、令和2年度自衛官候補生入隊式を挙行した。
 当日は、天候に恵まれるとともに駐屯地には満開の桜が咲き誇り最高の入隊式日和となった。しかしながら、本年度は生憎の新型コロナウイルスの影響により、部外からの来賓及び家族等の招待を見合わせて部内者限定による規模を縮小した型式での行事となった。当日は消毒、換気、マスク装着等万全の新型コロナウイルス対策の中、自衛官候補生66名が、式典に参加した。式典においては、海田市駐屯地司令及び広島地本協力本部長から祝辞が贈られ、また、河野防衛大臣による自衛官候補生へのメッセージ動画が届けられた。
 決意に満ちた自衛官候補生の力強い宣誓の後、執行官である連隊長の大江1陸佐が式辞として、自衛官候補生に対し、「自分を知り、仲間を知れ」と「考え、実行せよ」の2つを要望し、自衛官候補生の新たなスタートを激励する等、入隊式は厳粛な雰囲気の中で執り行われた。

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姫路駐屯地

 4月6日、姫路駐屯地(司令・高倉敬1陸佐)は「令和2年度自衛官候補生課程入隊式」を挙行した。
 今年の入隊式は、全世界で流行している新型コロナウイルスの影響で、自衛官候補生の隊員家族ならびに来賓欠席の中、姫路駐屯地所在隊員が出席しての入隊式となった。
 桜が咲く中、88名の自衛官候補生たちは、真新しい紫紺(しこん)の制服に身を包み、緊張した面持ちで入隊式に参列し、人事発令通知で自分の名前を呼ばれると、大きな声で返事をした。また、執行官は、「具体的な目標を持ち、諦めずに最後まで努力する」、「同期との絆を大切にする」の2点を要望事項として挙げ、自衛官候補生に対し、「仲間として「真の友情」を交わし合える同期との絆を大切せよ」と式辞の中で述べた。
 着隊当初は、少し不安な表情を浮かべていた自衛官候補生たちも、入隊式後は、希望を胸に自衛官として新たな第一歩を歩み始めた。

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第19普通科連隊
 第19普通科連隊(連隊長・今村英二郎1陸佐=福岡)は4月5日、駐屯地体育館において、令和2年度一般陸曹候補生課程教育入隊式を挙行した。
 本行事は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、家族や来賓は参加せず規模を縮小して行われ、18歳から32歳の一般陸曹候補生86名が入隊した。
 連隊長は、式辞で「陸上自衛官になったことに誇りを持ってもらいたい。同時にその義務とその責任の重きことを感じてもらいたい」と述べ、教育担任官として「挑戦」「若さを浪費するな」「生涯の絆を結べ!」の3点を要望した。
 また、一般陸曹候補生は初々しくかつ溌溂とした態度で臨み、安藤2陸士及び高木2陸士の統制のもと、声高らかに申告と宣誓をして、自衛官としての第一歩を踏み出した。
 入隊式終了後、一般陸曹候補生を代表して、土井2陸士・香川2陸士・土屋2陸士が各報道局のインタビューを受け、満開の桜の下でそれぞれの決意を表明した。
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第7普通科連隊

 第7普通科連隊(連隊長・小野田宏樹1陸佐=福知山)は、4月6日に自衛官候補生入隊式を挙行した。今年は新型コロナウイルスを考慮し、家族、来賓の招待は控え、隊員同士の間隔を広げるとともに、会場をよく換気する等の対策をして行った。
 会場に「分列行進曲」が流れると、楽曲に合わせて自衛官候補生71名が整斉とした動作で入場した。自衛官候補生を代表して森岡候補生が申告を、岩井候補生が宣誓を行い、連隊長の小野田1陸佐より訓示が行われ「同期の仲間と助け合い訓練を乗り越え、自衛官として、人として大きく成長してほしい」と述べると、中川候補生が代表して3カ月の苦難の道を同期一同で力を合わせて乗り越えることを誓った。元気溌溂に連隊歌を合唱した自衛官候補生たちは、連隊長から授与された区隊旗の下、目標に向かい走り出した。

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第10即応機動連隊

 第10即応機動連隊(連隊長・岡田豊1陸佐=滝川)は4月6日、駐屯地体育館において令和2年度自衛官候補生課程の入隊式を挙行した。
 今年は新型コロナウイルスの影響のため、家族の参加は叶わず、規模を縮小し執り行われる事となったが、32名の自衛官候補生は、真新しい紫紺色の制服に身を包み緊張した趣で式に臨むとともに、力強く大きな声で申告・服務の宣誓を行った。
 式において執行者の岡田豊連隊長は「失敗を恐れることなく様々なことに挑戦し、直面する試練や困難を同期とともに乗り越え、その達成感を味わってもらいたい。そして、32名の同期は、戦場において共に命を預け合う大切な仲間であり、今後の自衛隊人生のみならず、退官後の人生においても一生の宝となる。『同期の絆』を大切にせよ」と激励した。
 式辞の最後には「約3カ月間の修了式には、強く逞しく成長した32名を自衛官として迎入れることを祈願する」と締めくくり、32名の自衛官としての第一歩が彼らの決意と共に始まった。

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札幌病院

 4月2日、自衛隊札幌病院准看護学院(学院長・高橋俊幸1陸佐)は、北部方面総監部から医務官・森西1陸佐、人事課長・瀬尾1陸佐、訓練課長・椋木1陸佐、方面最先任上級曹長・金子准陸尉、北部方面衛生隊から衛生隊長・蝶野1陸佐、最先任上級曹長・伊藤准陸尉が来賓として臨席する中、第45期准看護学生28名(男子12名、女子16名)の入校式を挙行した。
 緊張の面持ちの学生達が申告をした後、入校にあたり病院長(大鹿陸将)は、「人格の陶冶に努めよ」、「困難に挑戦せよ」の2点を挙げ、基礎となる教育をしっかりと受け、芯となる人間性を確かなものにして、選択に迷ったときに、常に困難な方の道を選ぶことのできる "挑戦心" を保ち続けるよう要望し、2年後に「困難に臆することなく挑戦し、やりきった」と胸を張れる卒業式を迎えてほしいと訓示した。
 また、准看護学院長は、「自ら学び 鍛えよ心と体」を要望し、逆境を克服できる真に役立つ衛生救護陸曹になるため、自衛官の基礎となる体をしっかり鍛え、人を思いやることができる強くて優しい心を育み、受動的な学びではなく、積極的に自ら求めて学び、2年間でできるだけ多くの看護知識や技術を自分のものにしてほしいと式辞を述べた。
 北部方面総監部医務官(森西1陸佐)は、「常に同期とともに」を要望し、准看護師としての専門的識能の習得と衛生科隊員としての資質のかん養という重要な目的に臨む姿勢として、常に仲間を思いやり、助け合いながら切磋琢磨し、2年後に衛生救護陸曹として頼もしく巣立っていくことを楽しみにしていると祝辞を述べた。
 病院長訓示及び来賓から祝辞を受け激励された学生28名は、教育に対する決意と希望が漲っていた。
 病院は、「真に役立つ衛生救護陸曹」を育成するため2年間の教育を開始する。


読史随感
神田淳
<第51回>

日米戦争の開戦責任

 1941-1945年、日本は米国と戦い(太平洋戦争、大東亜戦争)、徹底的に敗れた。敗戦は国力の喪失だけでなく、日本人の誇りを失わしめた。日本に未曾有の苦しみをもたらしたあの戦争はどうして起きたのか。
 戦勝国による秩序のなかで成立した戦後の歴史は、ほぼ一方的に日本の侵略戦争に原因があるとする。軍国主義化した日本がアジアを侵略。米国は日中戦争を戦う蒋介石を支援。米の支援を絶とうとする日本の動きに対して、米は1939年日米通商航海条約を廃棄。翌年には、武器・軍需品(機械・ガソリン)の対日輸出を許可制とし、また屑鉄・鉄鋼の輸出を禁止。そして1941年7月日本軍の南部仏印進駐を見て、在米日本人資産を凍結し、石油の対日輸出を禁止した。12月日本はハワイ真珠湾を奇襲。日米戦争が始まった。
 開戦したのは日本だが、Ch.A.ビーアド著『ルーズベルトの責任』、フーバー著『裏切られた自由』等の著作(注)は、ルーズベルト大統領が日本を開戦に追いつめていった歴史を明らかにしている。
 1939年9月よりヨーロッパで第二次世界大戦が始まっていた。ルーズベルト大統領はどうしてもこれに参戦したかったが、なかなかできなかった。1940年11月の大統領選でルーズベルトは史上初の三選を果たしたが、選挙戦で「アメリカは参戦しない、アメリカの若者を戦地に送らない」と公約していたからである。アメリカ世論の圧倒的多数は、ヨーロッパの争いに介入することに反対だった。
 ルーズベルトは、ラジオの炉端談話でナチスドイツの恐怖を国民に語りかけた。大西洋をパトロール中の米国の駆逐艦がドイツの潜水艦に攻撃されたと発表し、ドイツを非難した(ドイツは攻撃を否定)。しかし、ルーズベルトが期待したような参戦の世論は盛り上がらなかった。
 ルーズベルトは、ドイツと同盟関係にある日本を追いつめ、日本に最初の攻撃をさせて、第二次世界大戦に参戦する戦略に切り替えた。ルーズベルト政権は、日本を敵視する外交をエスカレートさせ、1941年7月には日本の在米資産を凍結し、8月には石油の対日輸出を禁じた。
 アメリカとの戦争を絶対に避けたい日本は、必死の歩み寄りをみせた。しかし戦争を望むルーズベルト政権に拒絶された。11月26日、ハル国務長官は野村大使に覚書き(ハル・ノート)を手交した。これは、「日本は中国からすべての陸海空軍の兵力および警察力を引き揚げるべし」といった、交渉経緯を無視した要求で、事実上の最後通告(Ultimatum)だった。ハルはこれが事実上の最後通告と認識しており、日本が遠からず米国を攻撃してくると確信していた。
 日本政府もこれを最後通告と受け止めた。窮鼠と化した日本は一か八かの対米開戦を決意し、真珠湾を攻撃した。ルーズベルトは議会で「日本と平和の維持を見据えた交渉中の米国(これはウソだが)が、日本の海軍と空軍によって突然の、卑劣な攻撃を受けた」と怒りの演説を行い、議会の宣戦布告をとりつけた。こうしてルーズベルトは念願の第二次世界大戦への参戦に成功したのである。
 私は日本の開戦責任を免責したいわけではない。陸軍に支配され、日中戦争を収束できなかった日本の指導者の責任は非常に重い。ただ、日米の開戦に一方的に日本に原因があるといった史観は正さなければならないと思う。一国だけでなく、戦った両国の歴史と事実をつぶさに見て判断しなければならない。
(注)渡辺惣樹著『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、加瀬・藤井・稲村・茂木著『日米戦争を起こしたのは誰か』
(令和2年4月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


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