防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1005号 (2019年6月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第31回>

日本の経済道徳思想 二宮尊徳と渋沢栄一

 二宮尊徳は「経済なき道徳はたわごとであり、道徳なき経済は犯罪である」と言った。また渋沢栄一は「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は永続することができぬ」と、『論語と算盤』で説いた。
 二宮尊徳(1787-1856)は江戸時代後期の農政家。荒廃する農村の復興事業に生涯を奉げた。尊徳が手がけて再建された関東東北の農村は600余村に上る。渋沢栄一(1840-1931)は明治時代を代表する実業家。第一銀行、王子製紙、大阪紡績をはじめとする企業の設立および経営に深く関与し、その数は470社に及ぶ。日本資本主義の父と称される。
 日本のこうした大実業家が、経済と道徳は一体である、一体でなければならない、と説いている。
 このような日本の大実業家の思想を、現代の経済学者はどう評価するのだろうか。あまりにも当たり前で、学的研究の対象にならないとされているのだろうか。尊徳については、さらに報徳思想や推譲の思想がある。大多数の日本人が共感するこうした経済道徳思想こそ、経済学や倫理学で深く研究すべきだと信じる。
 二宮尊徳と渋沢栄一は生きていた時代も、また行った事業も異なるが、両者には大きな共通点がある。まず二人とも実業に生きた人であり、実践の人だったことである。尊徳は学者と坊主が最も嫌いだと言っていた。これは学者と坊主が実践の伴わない教えを説くのを軽蔑した言葉である。道徳と経済に関する二人の主張は徹底した実践知だった。
 次に二人ともひたすら社会に尽くした実業家だったことである。尊徳は篤農家であり農村指導者であるが、同時にスケールの大きい実業家、商人、政治家の面をもっていた。彼が農村復興でなく、自分の財産形成のために事業を行っていたなら、莫大な富をもつ資産家、あるいは何万町歩の大地主になっていただろうと言われる。しかし彼はそうしなかった。渋沢栄一も同様である。渋沢は「わしがもし一身一家の富むことばかり考えたら、三井や岩崎にもまけなかったろうよ。これは負け惜しみではないぞ」と子供たちに語ったと伝えられている。
 そして私が両者の伝記を読んで最も強く感じる点は、二人とも、非常に進取の気性に富み、卓越した知力をもった合理主義者だということである。これは、尊徳については一般にイメージされている人間像とは違うかもしれない。尊徳の農村復興事業は、必ず農民と武士の取り分である分度を明確に決めて実施したが、分度の決定にあたって、過去数十年にわたる農業生産の実績を数字で示し、適確な分度決定に導いた。また、尊徳は商人的な鋭い金銭感覚をもち、米経済から貨幣経済に移行する世の動きを敏感にとらえていた。
 渋沢栄一も並外れた先見性と合理性の持主だった。彼は幕末の動乱期に青年時代を過ごし、外国(フランス)にも行き、移り変わりの激しい明治時代に壮年期を過ごしたが、新しい知識を実に偏見なく受け入れ、自分の考えを柔軟に変えていった。頑固な信念に固まるタイプからほど遠い合理的なプラグマティストだった。
 尊徳晩年の幕末期の日本と、渋沢最晩年の昭和初期の日本は、地方の疲弊、行政の硬直化、閉塞感など、現代の日本と共通している。偉人二宮尊徳と渋沢栄一の思想と行動から、時代を切り開く叡智と実践力を学びたい。
(令和元年6月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


各地で記念行事を挙行
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第1高射特科団 47周年
 第1高射特科団(団長・高木勝也陸将補=東千歳)は、4月21日東千歳駐屯地において歴代団長2名を含む約200名の来賓臨席のもと、第1高射特科団創隊47周年記念行事を行った。
 式典に先立ち永年にわたり第1高射特科団の充実発展に尽力した4名に対し感謝状の贈呈を行った。
 記念式典での式辞において団長は「災害・防衛や国際任務等いついかなる任務を与えられても、誠実かつ確実に達成し得る実力をつけ、国民の負託にこたえるよう日々精進して参ります」と決意を表明し、隊員には「防空の要として重要な任務を国民から負託されていることへの誇りと責任に思いを致し、それぞれの職務に邁進しなければならない」と述べた。
 その後、アトラクションでは第7音楽隊による「モンスターハンターのテーマ」他2曲を映像に乗せ見事なハーモニーで招待者を楽しませるとともに、第1高射特科団活動状況のVTRの放映や装備品展示で団の活動をPRした。
 また、団のOB会である高友会主催で行われた記念会食では、各隷下部隊が所在する地域の地産料理が振舞われ参加者は舌鼓を打った。記念会食は万歳三唱で締めくくられ、令和の新しい時代において団の発展を参加者全員で祈念した。
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八戸駐屯地 63周年
 八戸駐屯地(司令・松坂仁志1陸佐)は4月20日、八戸駐屯地創立63周年記念行事を実施した。
 行事に先立ち、平素からの支援者・協力者に対して駐屯地司令より記念品を添えて感謝状が贈られた。
 式典では、国会議員及び八戸市長をはじめとする各自治体の長並びに協力諸団体等多数の来賓が臨席のもと、駐屯地司令は、「我々は、地域の皆様のために、地域の皆様と共にこれまでも、そしてこれからも、我が国の平和と地域の安全・安心の礎となるべく、全力を尽くす所存であります」と式辞を述べた。
 観閲行進では、駐屯地の精鋭が堂々たる行進を行い、その威容を顕示するとともに、訓練展示においては敵部隊を撃破する一連の行動を展示し、支援射撃のもと突撃する場面や、74式戦車及びFH-70の空包射撃等、多くの来場者を圧倒した。
 各種イベントでは、装備品展示や74式戦車・82式指揮通信車の体験搭乗、UH-1Jヘリコプターの体験試乗、曹友会チビッ子広場のアトラクション、野外ステージ会場での近隣中学校吹奏楽部及び八戸陣太鼓の演奏等、多数の催し物で大いに賑わった。
 駐屯地は、今後とも各種行事を通じて地域住民との交流の促進を図るとともに、自衛隊に対する理解と親近感の醸成に努めていく。
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大宮駐屯地 62周年
 第32普通科連隊(連隊長・横山裕之1陸佐=大宮)が所在する大宮駐屯地にて、駐屯地創立62周年記念行事が5月26日挙行された。
 初夏の強い日差しの中、開門前から沢山の人々が待ち、当初の予定より30分早い開門となった。記念式典では今までの練成の成果を十分に発揮して、威風堂々とした観閲行進により連隊の存在感を顕示した。その後、連隊らっぱ手によるらっぱ吹奏があり、周囲を力強い音色で魅了した。訓練展示では、32連隊精鋭オート手6名が操縦するオートバイ(偵察用)を使用した息を呑むような圧巻のパフォーマンスがあり、観客から大きな歓声が上がった。その後、UH-1(ヘリコプター)やオートバイ(偵察用)、重機関銃を搭載した1/2tトラック(パジェロ)や迫撃砲、軽装甲機動車が登場し、迫力満点の訓練展示が行われた。
 来場者からは、「訓練展示の迫力に圧倒されました。自衛隊がとても頼もしく感じました」との声や、小さな子供連れの女性からは「女性トイレに迷彩のオムツ交換台やアメニティーが用意されていて、とても使いやすかったです。また、来年も来たいです」との声が聞かれた。
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板妻駐屯地 57周年
 板妻駐屯地(司令・深田満男1陸佐)は5月26日、板妻駐屯地において「板妻駐屯地創立57周年記念行事」を挙行した。
 行事の開始に先立ち、長年にわたり駐屯地に尽力している人々に対して、駐屯地司令から感謝状を贈呈し感謝の意を表した。
 当日は、約2500名の来場者が訪れる中、地元選出国会議員、近隣首長、各種協力支援団体等、多数の来賓出席の下、盛大に行われた。
 式典は、グラウンドにおいて駐屯地所在部隊(約800名)が参列する中、巡閲、執行者式辞、来賓による祝辞及び観閲行進を実施した。
 執行者式辞において深田司令は「57年の永きに亘り、安定した活動を継続させて頂くことができますのも、歴史と伝統を築いてこられた諸先輩のご尽力のお陰と、関係自治体はじめ協力団体による変わらぬご支援・ご協力、地域の皆様のご理解とご声援の賜物と心から感謝申し上げます」と述べた。
 観閲行進では、34連隊を筆頭に駐屯地所在各部隊が威風堂々と徒歩行進、続いて各装備車両による車両行進を行った。
 式典後は34連隊らっぱ隊と板妻橘太鼓の合同演奏、第1音楽隊による音楽演奏、続く至近距離射撃技術展示では、第4中隊基幹が今回初めて女性隊員2名を含めて様々な射撃技術を披露した。
 次いで静岡市のオフロードバイク隊による訓練展示、最後に第5中隊担任で模擬戦闘訓練展示を行い、各種車両、ヘリ、戦車、特科等による大迫力の戦闘行動を披露し観衆を魅了した。
 終了後は、祝賀会食、装備品展示や車両の体験試乗等、各種体験コーナーを設けて大人から子供まで楽しめる催しを来場者に存分に楽しんでもらうとともに駐屯地キャラクター「イタヅマン」も出動し、本記念行事は大盛況のうちに終了した。
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第3師団 58周年
千僧駐屯地 68周年

 第3師団(師団長・田中重伸陸将=千僧)は、5月12日、千僧駐屯地(兵庫県)において、第3師団創立58周年・千僧駐屯地創設68周年記念行事を挙行した。
 「飛躍〜地域と共に58年〜」をテーマとし、師団地区内の14個部隊等から人員約800名、車両等約130両及び航空機5機が参加し、約1万5000名の来場者に日頃の訓練の一端を披露した。
 田中陸将は、式辞において「昨年の大阪北部地震、7月豪雨の大規模災害に対応できたのは、部隊がわが国の防衛という本来の使命を忘れることなく、即応体勢を維持してきた成果であると考えている。我々は引き続き、今日に即動し、明日に備える中部方面隊の基幹部隊の1つとして、私もここにいる隊員諸官とともに、自己の職責に自問自答・自覚して、これを全うし、揺ぎ無い信念を持って我々にしかできないこの使命を果たしていく所存である。師団は、常に国民・地域社会とともにある」と述べた。引き続き、観閲行進、戦闘訓練展示等において、一糸乱れぬ行進や、戦車・迫撃砲の空包射撃を行い、来場した観客からは、「記念行事を初めて見学させて頂きましたが、とても迫力があり、驚きました」等の感想が聞かれた。
 その他、駐屯地内各会場において、音楽演奏、太鼓演舞、装備品展示、戦車試乗、レンジャー体験、制服試着、野外売店等の催しも行い、それらを通じて地域と自衛隊・隊員がふれあう絶好の機会となった。


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