防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1005号 (2019年6月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
点と線
そしてチムグクル

 作家松本清張さんの著名な推理小説「点と線」をイメージされた方には、ごめんなさい。
 いずれも沖縄に住んでいたときに、沖縄の方から言われた言葉です。
 今年も6月23日そして6月30日が目前に迫り、改めて思い出しています。
 6月23日は、74年前、約3か月に及んだ沖縄戦における日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日。日米合わせて20万人を超える多くの皆さんが戦禍に倒れました。「鉄の暴風」や玉砕、壕の中での集団自決など、悲惨を極めた我が国唯一の地上戦の結末です。
 現在は「沖縄慰霊の日」として、沖縄県内では平和行進や様々な集いが開かれ、南部の糸満市摩文仁の平和記念公園で行われる「沖縄全戦没者追悼式」には、毎年首相や防衛大臣等も参列しています。ただここ数年来この日の報道は、政府が進める世界一危険な普天間飛行場の一刻も早い辺野古移設工事の進捗状況とこれに反対する活動の様子が大きく取り上げられています。
 他方、6月30日は1959年に突如起きた大惨事の日。当時アメリカの施政権下にあった沖縄県の石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍嘉手納基地所属のF100D戦闘機が墜落したのです。整備不良が原因とのこと。
 巻き込まれた児童12名(うち1名は後遺症で死亡)、一般住民6名の合計18名が死亡。さらに重軽傷を負った児童の数は156名にのぼり、一般住民も54名が負傷しました。
 このような悲惨な事故を二度と起こしてはならない、再発防止の徹底が強く叫ばれました。しかしその後も様々な墜落事故は留まるところを知らず、犠牲者や負傷者が出ていることは周知のとおりです。
 今年は、この宮森小学校墜落事故からちょうど60年を迎えます。この日、作家武者小路実篤氏が描かれた「仲良し地蔵」の慰霊碑の前では、いつものように宮森小学校の児童の皆さんや亡くなられた生徒と同級生だった方々が参列して、しめやかに追悼式が行われることでしょう。なお、事故の写真や遺品類を紹介する企画展が、うるま市立石川歴史民俗資料館で7月31日まで開催されています。
 戦後生まれで、米軍基地の無い長野県に生まれ育った私にとっての6月23日と6月30日。リアリティを以て捉え得ないままに沖縄に参りました。
 しかし、そこで沖縄の歴史や厳しさ・不確実性を増す国際軍事情勢、過重な基地負担の実態の一端を皮膚感覚で体感するに至ったとき、この両日が、極めて今日的な警鐘を私たちに懸命に鳴らし続けて来ていることに気づかされました。今頃気づいたのか、と呆れられるかもしれませんが、初めて心底から思いました。
 そんなとき、対面した沖縄の方から言われました。
「沖縄の皆さんに寄り添って、との言葉をよく耳にします。沖縄の基地問題には、長い歴史があります。沖縄県は勿論47都道府県の一つですが、過去の歴史から、46+1といった感覚がどこかにあることも否定は出来ません。基地問題については、あたかも外交交渉を行うが如く、丁寧に丁寧に進めて行っていただきたいと思うのです。そして例えば基地に係わる事件や事故などが起きたとき、その事象についてのみ焦点を当てて考える、いわば「点」として捉えるのではなく、過去の事件や事故などをも含めた基地をめぐる長い歴史の「線上の点」として捉えていただきたいのです。そう捉えることによって、対応の仕方なども変わって来る可能性があるのではないかと思うのです。そして私たちは、何よりもチムグクル(肝心)を大切にしたい、そう思っています」
(お詫び)私はチムグクルを的確に表現することが出来ません。読者の皆さんには、各人でそれぞれに感じていただければ幸いです。
 
北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

技能公募予備自衛官
被災者にも法律相談
 東部方面隊は、5月21日から5月24日の間、「令和元年度自衛隊統合防災演習」に参加した。
 本演習には、技能公募で採用された司法関係の資格を有する予備自衛官6名が参加した。
 技能公募予備自衛官の6名は、発災後、朝霞駐屯地に出頭し、所要の受け入れ手続きを済ませた後、陸災首都圏部隊(東部方面総監隊)司令部の法務官室に配属され導入教育を受け、訓練を開始した。
 彼らの任務はこれまで災害派遣に任ずる部隊、隊員に対する法律支援、法規審査、法律相談及び賠償・補償業務であったが、今回新たに災害派遣に最大限貢献するため自治体のニーズに基づき任務に支障のない範囲で被災者に対する法律相談等にも対応する任務が初めて付与された。
 6名の隊員は、平素、弁護士や司法書士として勤務している法務業務の専門家であり、長年に渡り、法の分野で活躍してきた経歴をもっている。技能公募予備自衛官を志願した動機を尋ねると「自分の保有している法律の知識を国のために役立てるとともに、法律家としての自分の仕事の幅を広げたいという思いで志願した」等と共通して話してくれた。
 埼玉県から出頭した坂本予備3陸佐は、今回新しく付与された被災者のための法律相談について「混乱状態が予想される被災地において自衛隊のみならず災害に苦しんでいる方々のために自分ができることがあれば積極的に貢献したい」とその熱い思いを語った。
 また、女性予備自衛官である植村予備1陸尉は「女性の立場として女性自衛官等からの法律相談にも誠意をもって対応していきたい」と話した。
 今回、被災者に対する法律相談という新たな試みを現場で実際に自治体と連携して演練する場面まではなかったものの、今後、この新たな試みが浸透、拡大し、より多くの被災者に貢献することを期待する。
 最後に、厳しい募集環境の中、特別な技能を有する技能公募予備自衛官は自衛隊にとって貴重な戦力であり、近年の厳しい安全保障環境や激甚災害が多く発生する中、様々な状況下で彼らの活躍の場はますます広がっていくこととなるだろう。

JXRに連接した実働訓練
海自・協力団体とも連携
<東部方面隊>

 5月21日から24日の間、自衛隊は「令和元年度自衛隊統合防災演習(JXR01)」を実施した。東京オリンピック・パラリンピック開催中に首都直下地震が発生したとの想定で行われた、関係機関や在日米軍も参加する自衛隊最大の防災演習だ。指揮所訓練(CPX)をメインとするJXRに連接して、東部方面隊は独自に各関係機関等と連携した実動訓練(FTX)を実施した。

【海上機動訓練】
 5月21日、海上自衛隊横須賀基地では、第31普通科連隊(武山)の初動対処部隊が海上自衛隊の水中処分母船(YDT-03)に乗船し川崎市の東扇島まで移動する、海上機動訓練が行われた。これは、激甚地域への陸路が寸断された場合を想定し、海自と連携して特定重要港(耐震)とされる港に海路で前進後、経路偵察を兼ねた激甚地域への展開に係る時間と要領を検証するものだ。
 武山駐屯地を出発したオートバイ2台と人員10名を乗せた車両2台が11時55分、横須賀基地に到着。YDT-03の乗員と調整を実施後、まずバイクを1台ずつクレーンで吊り上げて乗船させた。その後、陸上自衛官が次々と海上自衛隊の艦船に乗り込んだ。なお、使用する艦船はその時の状況で決定される。
 当日の環境は傘の意味が無いほどの暴風雨。厳しい環境でも隊員達は粛々と作業を進め、横須賀港での任務を30分ほどで完遂し東扇島を目指して出港した。

【災害情報収集訓練】
 5月25日は、朝霞駐屯地訓練場(射場地区)において災害情報収集訓練が実施された。大規模災害発生時は、道路状況の悪化で自衛隊の到着が遅れる恐れもある。東部方面隊は、そのような状況でも円滑な情報収集を可能とするために、今年2月から3月にかけてドローン関連2団体とバイクボランティア1団体との間で、災害時における協定を締結した。今回が協定締結後初の実動訓練で、各団体との連携要領を検証することができた。
 訓練は、総監部の要請を各団体が受けた場面から開始された。完全自律飛行型ドローンが上空から倒壊家屋の映像を電送し、その情報に基づき第1偵察隊(練馬)の隊員が現地到着後に被災者を救出。また、バイクボランティアが発見した別の倒壊家屋では、本体を円形のガードで保護した屋内飛行ドローンが内部を捜索。薄暗い屋内で3色のライトを点しながら縦横無尽に捜索する姿は、子供の頃に観たSF映画さながらだ。この機体は原子力災害派遣のような過酷な環境にも耐えうる仕様だという。ドローンやバイクからの映像はリアルタイムで天幕内の6つのモニターに映し出された。見学者らは食い入るようにそれらを見つめていた。

【医療搬送訓練】
 その後、医療搬送訓練が同じ朝霞訓練場で行われた。かまぼこ形のエアドームは発災時、現地に開設される救護所だ。切開等の手術はできないが、胸に溜まった血を抜いたり、人工呼吸器の管を通す等の救命処置ができる。自立して歩ける患者は4名、歩けない患者は2名まで受入れが可能。感染症治療室で見られる陰圧ドームを備える最新型で、エアコンも完備だ。救護所の設営は40分〜50分程でできるという。
 訓練は2名の緊急患者を現地救護所に受入れる場面から始まった。東部方面衛生隊(朝霞)の医務官、救命救急士等9名が対応した。患者の治療優先度を決めるトリアージと救命処置を実施。その後速やかに患者2名を1・1/2救急車でヘリポート付近まで搬送し、待機していた第12ヘリコプター隊(相馬原)所属のCH-47にストレッチャーで収容した。機内には航空後送器材(MEDEVAC)が2台設置されており、世田谷区三宿の自衛隊中央病院まで航空後送した。

【MEDEVAC】
 MEDEVACとは重症患者を安全に航空搬送するための器材で、ストレッチャー、応急治療機器、振動対策パレットで構成される。後送間に応急治療が可能で、CH-47を「ドクターヘリ」化させる。陸上自衛隊で初めて使用されたのは東日本大震災のとき。電柱から転落して負傷した隊員を搬送した。振動対策パレットの効果は絶大で、救急車搬送時は激痛を訴えていた隊員が、決して振動が穏やかとは言えない機内で眠りに落ちたという。CH-47には最大3セットを搭載でき、重症患者3名を後送できる。陸上自衛隊では東部方面隊に6セット、中部方面隊に1セット配備されている。現行型はCH-47専用だが、他航空機にも搭載できる汎用型の研究開発が始まっている。


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