防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2009年3月15日号
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彰古館往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
〈シリーズ85〉
摘出弾は語る3
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 日露戦争(1904〜05)時のロシア軍の主要装備は、口径7・62mmのモシンナガンM1891小銃でした。近代的な5発クリップ装填式の単発銃です。この小銃は、第二次世界大戦後まで使用され続けた傑作銃です。
 最新の小銃による最初の被害者は、日露戦争時の日本兵だったということになります。これらの症例は「明治三十七八年戦役陸軍衛生史」という大作の報告書にまとめられて、彰古館に現存しています。
 この史料には、総死傷者数は20万57名、銃創による戦死者は35989名、砲創の戦死者6501名と記録されています。
 この症例を精査すると、砲創の比率が大分増えていることに気が付きます。相手が見える距離からの小銃による近接戦闘から、遠距離から重砲による砲撃へと、近代戦が大きく変化する前哨戦が日露戦争なのです。
 当時、小口径弾と呼ばれた8mmクラスの弾薬に対して、日本軍の装備した三十年式歩兵銃は6・5mmとさらに二周りも小さな口径を採用していました。
 これは、資源の少ない日本では弾丸の消費と備蓄を考え、少しでも弾芯の鉛、被甲のニッケル、薬莢の真鍮などを節約したかったからに他なりません。
 公に出来ない理由から採用された6・5mm弾は、当時でもその威力を問題視する声がありました。陸軍は「いたずらに命を奪うのはその本意にあらず、戦闘能力を失いしむれば、すなわち足る」として武士道精神を前面に出したのです。その背景には、日清戦争時の芳賀軍医の治験記事にある臨床上の小口径弾の特徴「初速が速く、命中率が良く、そのほとんどが貫通銃創で傷の治りが早い」ことが、当時の陸軍の意向に合致していたからです。
 ロシア軍と対峙した時に、各国の主装備である8mmクラスとの優劣が、臨床所見から明らかになりました。
 日清戦争で小口径弾による銃創は「経過が良好」と認識されていましたが、日露戦争で負傷したロシア兵は、すぐに傷が癒え、再び戦場に出て負傷し、日本軍の捕虜になっていた症例が散見されたのです。
 一方、ロシア軍のモシンナガン小銃の7・62mmで負傷した日本兵は、射距離や受傷時の姿勢など色々な要素も加味されますが、一般的に骨が粉砕されるなど、破砕効果の大きさが認識されています。
 弾丸の質量の違いは、そのまま受傷の度合いに影響していたのです。
 これらの症例に対して芳賀榮次郎一等軍医正は、明治31年(1898)にドイツから私費で購入して陸軍軍医学校に寄贈した臨床用X線装置1号機を、戦地に搬入して診断に使用しました。
 このX線装置は第二軍第五師団の第三野戦病院に設置されました。これは陸軍が野戦においてX線装置を運用した初めての例です。
 彰古館には野戦病院や内地の広島陸軍臨時病院などで撮影されたX線写真、実際の摘出弾や治験記事などが多数現存しています。
 これらの臨床データと摘出弾を検証すれば、当時の小銃弾の威力を、現在の軍事医療の視点で再評価することも可能なのです。


防災指揮所演習を実施
自治体と一層の連携強化図る
《久居》
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 第33普通科連隊(久居)は2月24、25日の両日、大規模地震発生初期における指揮幕僚能力、情報収集能力及び関係機関との連携要領の向上を目的として、久居駐屯地で平成20年度防災指揮所演習を三重県、亀山市、津市、松阪市、伊勢市、志摩市、尾鷲市、三重県警察本部、第4管区海上保安部、第10飛行隊、第2普通科直接支援中隊、久居駐屯地業務隊等の参加を得て実施した。
 この演習は、熊野灘沖を震源とするM8規模の大規模な大地震・津波が発生し三重県内各地で甚大な被害が発生したという想定に基づき、24日の午前9時、テレビの演習ニュース速報をもって開始された。
 大規模な被害を被った県内各地の状況が県及び各自治体の災害本部等に入り、関係機関の間で応急対策活動のための情報の共有が図られた。また、連隊本部は、判明した被害の状況及び県等との調整に基づき部隊を派遣するとともに、派遣された各中隊は、各自治体と図上での調整等を行った。
 今回の訓練では、自治体等との連携要領(情報の共有)、増援部隊の受け入れ要領など、多くの教訓を得た。また、併せて自衛隊と関係機関が相互の能力を理解するとともに、担当者相互による密接な関係を向上させる絶好の機会となり、多大な成果を上げ終了した。


霧島演習場で“野焼き"
《えびの駐屯地》
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 えびの駐屯地(司令・兒玉健二郎1陸佐)では2月9日、第24普通科連隊長を担任官とし、第12普通科連隊・第24普通科連隊・第43普通科連隊・第8特科連隊第3大隊・第8飛行隊・えびの駐屯地業務隊の総勢900名をもって、霧島演習場(面積約1080ヘクタール)の野焼きを実施した。
 この野焼きは、演習場の害虫駆除と野火の未然防止及び訓練環境の維持・向上を目的とし、毎年この時期に実施される恒例行事となっている。
 隊員達は早朝から演習場に集結し、準備を整えるとともに、えびの市及び湧水町の消防署員・消防団員55名と消防自動車10台を演習場内の要点に配置し、また、空中消火のためのヘリコプターを待機させ、不測事態対処の態勢を完了した後、9時20分、担任官の「点火!」の号令と同時に各担任地域毎、一斉に火を放った。
 「火は風を呼ぶ」と言うが、「パチパチ」と燃え始めた火は、段々と強くなる風でさらに勢いを増し「バチバチッ」と、ものすごい音を立て、炎の波となって演習場の山肌を呑み込んで行った。枯れ草色の演習場も次第に真っ黒な姿に変わっていき、18時、大きな炎の一派を最後に、霧島演習場の野焼きを無事終了した。
 この霧島演習場の野焼きは、地元の人々にとって春の訪れを感じさせる風物詩ともなっており、早春の頃になると、ワラビやゼンマイなどが数多く芽を出し、演習場一帯は新緑に包まれる。

寒中水泳で水中阿波踊りを披露
《第24航空隊》
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 海自第24航空隊(司令・小田光登1佐)は1月18日、新町川を守る会が主催する新町川寒中水泳大会に参加した。この大会は、水質浄化をアピールするために平成7年から徳島市繁華街の中心部を流れる新町川の徳島市及び徳島県水泳連盟が水際公園で開催しているもので、徳島市の新年の恒例行事としてすっかり定着している。
 24空は小松島航空隊時代から9年間、毎年参加しており、今年も新入隊員、新成人隊員、飛行幹部候補生等の若手隊員がこぞって参加した。この日は、気温、水温ともに9度の絶好の寒中水泳日和の中、多くの観客が川岸に詰めかけた。
 開会式の後、24空から参加した隊員が中心となって「ヨイショヨイショ」の掛け声とともに、天突き体操を行い身体と共に会場を温めた。その後、県水泳連盟及び徳島大学水泳部からの参加者による模範泳法に続き24空隊員の精鋭が橋の上からダイビングを行って会場を沸かせた。最後は、本大会のメインイベントとなった水中阿波踊りに24空隊員と一般参加者約30名が松空連のハッピ姿、それに続いて徳島大学水泳学生が徳大浴衣を着て入水し見事な水中阿波踊りを披露した。観客からは、温かいエールと盛大な拍手が送られた。


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