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自衛隊ニュース   2010年8月15日号
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陸自最先任上級曹長が交代
厳粛に離着任行事
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 陸上自衛隊最先任上級曹長の着任行事が8月2日、防衛省陸幕会議室で行われ、第3代目に清水一郎准陸尉が就任した。
着任行事 
 着任行事では、火箱芳文陸幕長、江口直也陸幕監理部長をはじめ、陸幕に勤務する准尉及び陸曹が出席して行われた。火箱陸幕長は清水准尉の紹介を行うとともに、「今までの知見をしっかり活かしてもらい、最先任上級曹長として思う存分やってもらいたい」と激励の言葉をかけた。続いて、「私は陸上自衛隊の准曹の上に立つのではなく、先頭を歩いていく」と着任の辞で述べたとおり、清水准尉は壇上から降りて出席者と同じ目線で挨拶した。清水准尉は「10年、20年先を見据え、上級曹長制度の本格的施行、陸曹が目指すべき道として、後から来る者のために道を作り、制度の基盤を確立する。そして、曹・士の皆さんが『充実感、達成感』を感じながら、自衛官としての『誇り』を持って職務にまい進できる環境にするために、それぞれが責任と役割を理解し、互いを信頼して、助け合い、情熱と信念を持って『やるべき事』をしっかりとやる。その先頭に立って歩いていくことが私に課せられた責務だ」と話している。
下浅准尉が離任
 着任行事に先立ち、陸自最先任上級曹長の離任式が7月30日、防衛省陸幕会議室で行われた。離任した下浅勝雄准陸尉は2年4ヶ月の在職中に65個駐屯地、100以上の部隊に赴き、現場の現況把握を実施。また、海空自衛隊、米国、韓国との関係強化にも尽力し、年間20回以上の下士官交流、米国本土での訓練や研修、韓国陸軍訪問など多くの交流を持つなど精力的に活動した。
 離任式では、火箱陸幕長から心温まる送別の辞とともに「余情残心」と書かれた色紙やメダルが下浅准尉に贈られた。続いてA棟から正門まで市ヶ谷駐屯地・基地に所在する隊員多数が整列、下浅准尉は一人ひとりと握手を交わしながら挨拶した。最後に隊員全員による万歳が行われ盛大な見送りを受ける中、下浅准尉は防衛省を後にした。3

武山自衛太鼓が駅前で演奏披露
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 第31普通科連隊(連隊長・重岡良昭1陸佐=武山)は7月10日、「社会を明るくする運動」の啓発キャンペーンを支援した。このキャンペーンは京急横須賀中央駅前Yデッキ広場で行われ、31普連武山自衛太鼓が太鼓演奏を披露した。
 同運動は横須賀市推進委員会(委員長・吉田雄人横須賀市長)の主催で行われ、今年で60回目を迎えた。犯罪や非行のない明るい社会を築こうと呼びかける全国的な運動で、7月が強調月間に当たる。吉田市長や横須賀保護司会などのメンバーが、同駅の乗降客らにチラシを配布したが、武山自衛太鼓の演奏がキャンペーンの集客効果をもたらしていた。なお、このキャンペーンの様子は、翌11日の神奈川新聞にも掲載され、啓発活動に協力した自衛隊員の姿が紹介された。

雪月花
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 薬を食前とか食後に服用するように言われても間違うことはないが、「食間に飲む」と書いていると食事の途中に飲む人は意外に多いようだ。家人は娘時代にそんな飲み方をして家族に笑われたことが未だに納得できていないまるっきりの医学音痴。だから長女にこどもが生まれた時、彼女は1歳にもならないわが子を揺すりながらビンに入った薬を飲ませていた。「幼児にこの薬を飲ませる時はよく振ってください。」たしかに説明書にはそうあった、医学音痴は遺伝するものらしい。先日のこと、平素から貧血気味の家人が暑さでうずくまってしまった。次女が救急車を呼んだが、患者の名前と生年月日を聞かれるのは当然だ。ほどなく駆けつけた救急隊員が病院に搬送しようと手配にとりかかった時、家人は意識を取り戻して「もう大丈夫だから」と言って救急車に乗ることを頑強に拒んだ。なんとか病院に行かせようと心配してくれる救急隊員「では生年月日をいってください」家人「○○年8月6日です」隊員「もう一度」家人「8月6日です」。隊員「やっぱり大事をとって病院に行きましょう…」。様子を見ていた次女が「あっ、私がお父さんの生年月日を言ってた」。本当に大丈夫ですかよく検査してもらった方がいいですよ、言い残して救急車は引きあげたという。ほどほどの医学知識と落ち着きが必要のようだ。都内の某大手病院では「食間とは食後2時間です」とていねいに書き添えている。(所谷)


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