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2010年7月15日号 |
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府中基地で美術展開催 |
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航空自衛隊府中基地(司令・糸永正武1空佐)において、6月15日〜18日の4日間、「第29回 府中基地美術展」が開催された。(共催つばさ会、協賛ともしび会)
記帳を済ますと、最初に特別展示として府中市にある齋藤病院理事長・齋藤章二氏の作品3点が展示されている。それから順次、絵画、工芸、写真、書、彫刻・陶芸、俳句などが並ぶ。優しい気持ちになる作品や「?」と思うような物、「最後の仕上げでここのところ寝ていない」と言葉通りの力作が勢揃い。見に来た人を飽きさせない。一巡すると糸永基地司令の特製「梅酒3種類」で終わりになる。
去年より80数名多い416人(実数)が訪れた美術展。来年の30回目に向けて既に動き出している。 |
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「合気道」を初めて紹介 |
派行空4次要員 |
城尾1海尉、須藤1陸尉が迫真の演武 |
ジブチの子供と文化交流 |
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ジブチ共和国に展開中の派遣海賊対処行動航空隊(以下「派行空」という)4次要員(司令・木村康張1海佐)は6月15日、現地交流の一環として、カリタスストリートチルドレンセンターを訪問した。
この施設は、NGOが運営するストリートチルドレンに食事や教育を提供するための施設で、自衛隊以外には、アメリカ、ドイツ、スペインなど、ジブチに展開する各国軍が訪問している。
派行空は、これまで、折り紙や縄跳びなど日本の文化や子供の遊びを紹介してきたが、今回は初めて合気道を紹介した。
当日は、気温40度を超える中、城尾1海尉と須藤1陸尉が、立ち技を中心に、投げ技、固め技で構成した息の合い、かつ、気迫のこもった演武をした。演武を見た子供たちは目を輝かせて見入り、歓声が上がった。
演武後は、子供たちが城尾1海尉と須藤1陸尉を取り囲み、見よう見まねで技をかけようとするなど、子供たちの興奮は頂点に達したが、最後は両隊員と子供たちが正座で静かに向かい合い、「互いに礼」をして日本の礼儀作法を印象付けた。隊員が施設を後にする際は、子供たちが、これまでにも増して名残惜しそうに見送ってくれた。
派行空では、この他にも、日本のODAで設立された現地の中学校(FUKUZAWA学校)で文化交流活動を行うなど、現地住民との交流を図り、自衛隊の任務遂行に適した地域環境の醸成に努めている。 |
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ロンドン五輪 期待の星 |
ウエイトリフティング女子75kg級 |
今鉾 一恵 2陸尉 (埼玉県出身、1982年8月生まれ) |
体育学校 |
〈シリーズ6〉 |
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2007年10月6日土曜日の練習中、今鉾一恵は激痛に襲われた。診察を受けると肩の腱が切れているので手術が必要とのことだ。だが、今鉾は日本人女子75kg級選手として初めて230kgの大台を記録した選手で翌年の北京オリンピック出場の可能性があった。そこで、今鉾はオリンピックまでは何とか競技を続けたいと懇願した。担当医は「騙し騙し競技を続けられるようにしてみよう、しかし、オリンピックが不可能となった時にはすぐに手術を行う」と断言した。平成20年4月全日本選手権で優勝。続いて金沢で行われたオリンピック代表選考がかかったアジア選手権で、220kg以上あげれば、今鉾の実績からオリンピック代表へという状況であったが、肩の状況はますます酷くなっていた。結果、この大会で今鉾は208kgという成績に終わる。今鉾のオリンピックは無くなった。6月に手術をした。肩の状況は酷かった。3本ある腱のうち2本が切れ、文字通りぼろぼろの状態だった。ここから今鉾の復活へ向けた戦いが始まる。
手術後肩を完全に固定した状態が1ヶ月続き、固定が外れると腕を上げるリハビリを根気よく続けた。影響のない下半身の強化を徹底的に行った。オリンピックを後一歩で失い、練習もできない絶望的な状況になったにもかかわらず、今鉾は落ち込むことはなかった。
今鉾が長いリハビリを経て、バーベルに触れるようになったのは、手術から1年以上たった平成21年の7月だった。そこから少しずつ練習を重ね、11月のクィーンズカップで公式戦に復帰する。トータル196sという記録だったが、競技に復帰できたことが嬉しかった。それから、ナショナルチームの合宿にも年を明けた1月の沖縄合宿から参加した。そこから、今鉾は毎月スナッチ、ジャークとも5kgずつ伸ばして行き、順調に復調していった。
そして平成22年度全日本選手権、2年ぶりに今鉾は帰ってきた。リハビリの間に下半身の強化を行ったせいか、手術前以上の重さもチャレンジできそうなくらいまで復調した。そしてスナッチ、今鉾は最初から100kgでコール。今鉾は全日本選手権に復帰した最初の試技を成功させた。ジャークも113kgを成功させ、トータル213kg。この記録は手術前の全日本選手権の記録と同じだ。同じ重さだが、バーベルの止まり方を含め、今回の方が手応えがあった。もう少し記録的には上を狙いたかったが、何も焦る必要はない。表彰台の一番高いところに立った今鉾は再び輝き始めた。この場所に戻ってきた喜びと感動を忘れなければ今鉾はより強くなるだろう。(体校渉外広報室・佐野伸寿3陸佐) |
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