防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2009年9月15日号
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HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
It'll cost another 20 dollars
イトル コスト アナザー トゥエンティ ダラーズ
さらに20ドルかかりますよ
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 Hi!皆さん。いかがお過ごしですか。すっかり秋めいてきました。蝉の声から秋虫たちの華麗な声が聞こえてきますね。最近の日の出は、空気が澄みオレンジ色の太陽が東の空を染めて上がってきます。美しい朝です。朝の冷気を含んだ空気の中で軽く体を動かしていると、エネルギーが充電されるような気になります。一日爽やかに過ごすための序章ですね。
 今回の表現は、“It'll cost another 20 dollars"「さらに20ドルかかりますよ。」です。Anotherは、「さらに」という意味で使われています。costは費用がかかるですね。It'llはit willの短縮形です。良く使われます。外国では、計算があまり得意ではない店員が多いように感じます。日本では、すぐに合計金額を提示してくれますが、外国ではなかなか計算に手間取ったりします。その分時間をゆっくり掛けてショッピングをすることも楽しみの一つですね。ただ商品を買うだけではなく、いろいろと見比べる、自分に一番あったものを選ぶという楽しみ方もありますね。
 秋、台風、災害とイメージを膨らましていくと、秋もなかなかゆっくりはできない季節ですね。涼しさとともに、少しずつ夏の疲れがでてきます。ラジオ体操など、軽い運動が疲労回復と体調を整えるのに一役買ってくれます。それでは、ストレスのない陽気で楽しい生活をお過ごしください!
 See ya!  〈スワタケル〉

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
陸軍軍医総監の肖像(2)
シリーズ 91
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 明治27年(1894)の日清戦争時に第5代医務局長で陸軍軍医総監(陸軍少将相当官)の石黒忠悳は、戦時編成の野戦衛生長官を兼務していました。
 終戦によって、自ら職を辞する機会と考えた石黒は、児玉源太郎陸軍大臣に「本来、総監というものは、組織に1人のはずである。この戦役で、すでに軍医総監が2名誕生している」と意見を述べます。
 この時、児玉陸軍大臣は2名の新軍医総監を軍医監に降格(ただし陸軍少将相当官のまま留め置き)、石黒は陸軍軍医総監に留め置き(ただし陸軍軍医中将に昇格)という、前代未聞の人事を強行します。
 引退を匂わせた石黒を陸軍に留めるために、お手本としたドイツの軍医制度にも無い「陸軍軍医中将」が誕生したのです。以来、昭和11年(1936)に到るまで、軍医総監=軍医中将という階級呼称が適用されるのです。児玉陸軍大臣の石黒軍医総監に対する粋な計らいでした。
 石黒の後を受けた第6代医務局長が石阪惟寛です。彰古館が所蔵する肖像画は12号と、歴代軍医総監の肖像画の中ではやや小ぶりです。揮毫者は、長い間不明とされてきました。平成18年(2006)に、島根、和歌山、静岡県合同で「森鴎外と美術」という企画展が開催され、軍医森林太郎の史料収集に各美術館学芸員が彰古館に来館された折、この画に目が止まりました。
 静岡県立美術館の学芸員、堀切正人氏は、画の隅の「正英」の文字と作風から「森と親交が深かった洋画家原田直次郎の1番弟子の水野正英の作品ではないか」と推察しています。
 水野は原田の作風を良く知る人物で技術も感性もありましたが、病を得て不遇な生涯を送り、作品は1枚も残されていない、と考えられていたのです。
 調査のために額から外すと、キャンバスの四方は大きく内側に折り込まれていました。その縁はギザギザです。描かれた石阪の身体もやや後にのけぞったようで、手も途中から切れており、バランスが悪く思えていました。恐らく昭和20年(1945)5月24日の東京大空襲に際して、額から外す猶予も無く、ナイフで乱暴にザクザクと切り取って、丸めたままで保管されたものなのでしょう。
 彰古館に収蔵されてからも、しばらくは丸めたまま保管されていたことが、肖像画の状態から窺い知れます。高名な画家が描いた美術品として高額な価格が付けられた絵画だけが貴重なのではありません。たとえ無名であっても、美術史の欠落を補填する重要な作品と言えるでしょう。
 石阪軍医総監は明治27年(1894)に一旦、軍医総監に昇任しますが、明治30年(1897)に、軍医監に降格されました。実際は少将相当官のままで、単なる階級呼称の変更ですが、履歴上の最終階級は軍医監となりました。
 同年9月には医務局長に任命されますが、翌年8月には、後任に小池正直を薦めて勇退しています。
 陸軍衛生史上の経歴も、近代美術史上の肖像画も、まさに幻の軍医総監でした。

雪月花
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 2002年3月より、防衛ホームに連載している「彰古館往来」を単行本として発刊することになった。三宿の陸自衛生学校の中には「彰古館」が開設されている。「戦争と医学の発展は切り離して考えることは出来ない」と言われるが、ここには明治初期以降の軍陣医学史がそのまま保存されている。わが国に初めて導入されたX線写真には乃木大将の体内に残った銃弾の破片が見える、無残につぶされた顔面の日本最古の形成手術、大勢の医師に押し付けられ化膿した大腿部を切断される兵、麻酔が満足でない状況下でのシーンには眼をそむけたくなるが事実なのだ。渡辺淳一さんの小説「光と影」の題材になった右腕を切断した阿武中尉、切断しなかった寺内大尉の生々しい秘話もあきらかになる。日露戦争で前線を通って捕虜を帰還させる両国の参謀には人間味があふれる。「彰古館」は衛生学校の暗くて狭い一室、もう少し日の当たる処遇が出来ないものか。しかし収集史料は軍陣医学の歴史を表出しており世界的にも貴重なものと専門家は評価している。順天堂大学の特任教授で日本医史学会の酒井シズ理事長は何回も訪れ、その度に感動を持ち帰るそうだ。発掘された軍陣医学史実に写真357枚を盛り込んだ「彰古館―知られざる軍陣医学の軌跡―」は防衛ホーム新聞社から10月1日に発行の予定。(所谷)

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