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   2007年7月15日号
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寄せ書き

「志」
37普連本管中=信太山駐屯地 1陸士 久保 裕紀

 私が自衛隊に入隊した動機は、ニュースで自衛隊が災害を受けた地区の復興支援を行っているのを見て、私もその一員になって世の中の役に立ちたいと思ったからです。
 入隊する前は、学生のアルバイトや社会人として民間企業に就職していたので、色々な職種を経験してきました。販売や飲食店などのサービス業や、郵便局での配達、工場での軽作業、空港やビル、銀行等の警備業にも携わってきました。色々なことを勉強した上で、自衛隊は学ぶことが一番多いような気がします。なぜならここでは団体生活など、一般社会ではあまりできないような経験ができるからです。
 入隊当初、私が興味を持ったのが衛生科でした。私の入隊理由は人助けをすることだったので、衛生科が一番自分の気持ちと合っていると思い、衛生科隊員になることを熱望していました。今その道に進むことができ、とても嬉しく思います。入隊してから私はこの仕事を一生続けたいと思い、補士の試験を受けました。無事合格し、今年から補士として頑張っていきます。この先一生自衛隊を続けて行く中で、最初の目標は早く陸曹になることです。私は入隊が遅かったので、少しでも早く陸曹になり、自衛隊の役に立ちたいです。 そのためには今与えられた仕事を確実にこなし、少しでも自分のものにしたいです。入隊して1年が過ぎましたが、まだまだ自分のやるべきこともはっきりしない様な状態です。それでも常に全力投球で頑張ります。体力練成も毎日行い、体力検定では1級が一つでも多く取れるようになりたいです。
 これから先苦しいこともあるかもしれませんが、入隊した時の志を忘れず、この仕事を全うしていきます。

通信手として
第9施設大隊本部管理中隊=八戸駐屯地 1陸士 船橋美奈子

 私は昨年末の3ヵ月間、第4地対艦ミサイル連隊で実施された部隊通信教育に参加しました。通信手としての基礎を学ぶ教育なので、気合いが入っていました。
 教育は私だけが他部隊で先が思いやられるなと思っていましたが、皆いい人たちばかりで、すぐ打ち解けることができました。教育はまず器材の説明から始まり、器材名や操作法を覚えるのが大変でした。また野外に出て有線構成を学びました。この時、時間内に構成できなかったことがあり教官に「通信手にとって一番大事なものは時間だ」と言われました。Time is money…!?
 教育のかいあって最後の検定は無事合格し、これで通信手としての第一歩が踏み出せたなと思いました。教官の方々には本当に感謝しています。これから部隊に貢献できるように立派な通信手になりたいと思います。

陸曹候補士になって
37普連本管中=信太山駐屯地 1陸士 井本 望

 私が自衛隊に入隊してちょうど1年が経ちました。入隊した理由は、知り合いが自衛隊にいたことと、親の勧めもあったからです。
 最初の3ヵ月は教育隊で色々なことを教えてもらい学びました。持続走や戦闘訓練等、毎日が忙しくとても大変な日々でしたが、同期と支え合って頑張ってきたのは、今となってはいい思い出になっています。同期とは時には喧嘩もしたけれど、その分絆も強まり大切な存在になりました。
 後期教育は自分の希望した衛生科へ行くことができました。希望の理由は、人のケガを治すなど少しでも人の役に立ち、やりがいがあると思ったからです。教育期間は勉強する科目が沢山あり、毎日のように小テストなどが実施され、とても大変でした。体力面も頑張りました。衛生科は他の部隊に一緒について行ったりするので、体力もすごく必要だということも分かりました。
 衛生科は他の職種と比べて約1ヵ月教育が終わるのが早いため、部隊に配属されるのも早いです。陸曹候補士を考え出したのは、ちょうどこの時期くらいです。部隊に配属されて、すぐに上司の方から勧められました。最初はあまり自衛隊のことに関して知識がなかったのですが、説明されるにつれ、陸曹候補士を受ける気持ちも強まりました。この先自衛隊で頑張っていきたいという強い気持ちもあるので、陸曹候補士になることを決めました。
 現在は第37普通科連隊で勤務しています。衛生小隊は思っていたよりも苦しく、またそれ以上に面白い所です。毎日他の中隊の救護員として頑張って仕事をしています。最初は知らない人ばかりで緊張したりもしますが、毎日救護員として勤務していると、他の中隊の人とも仲良くなり楽しくなります。
 これからもっと救護員としての技術向上に努めたいと思います。また将来陸曹を目指して頑張り、今まで以上に自衛隊の役に立てたらと思っています。

半年間を振り返って
第9施設大隊第2中隊=八戸駐屯地 3陸曹 小山内啓一

 私は昨年4月から7月まで、仙台駐屯地で陸曹基礎英語課程、8月から11月までは小平学校での陸曹普通英語課程に入校しました。
 英語課程を希望したきっかけは、今から4年前に参加したPKO東チモールです。現地で一緒に働いた人々や、国連休暇で行ったオーストラリアで出会った人と英語が話せたら、もっと仲良くなれたと後悔したからです。
 仙台、小平学校とひたすら座学はストレスとの戦いでしたが、プライベートでは仲良くなった外国人の友達と飲みやビリヤード等、とても充実した日々を過ごすことができました。また米軍基地の研修を通して、制度や生活に少しでも触れ良い経験をしました。
 これからは近くに米軍三沢基地があるので、英語の勉強を続けると共に、訓練以外にももっと日米交流が深まるのを願っています。

悪気はないんだけれど
久居駐屯地業務隊 管理科長 中川 重紀

 金沢での単身赴任を終え、3年ぶりに我が家での生活が始まった。ある日の朝のこと「お父さん、これ見て」と女房から差し出された『何でもランキング、夫に言われて傷ついた一言』の新聞記事。第1位は「君も太ったね」第2位は、体調が悪いのに「ごはんはないの?」第3位は「家にいるんだからヒマだろ」であった。結婚して28年目、そういえば心当たりがないではない…。
 反対に『うれしかった言葉』については、第1位は「おいしいね、ごちそうさま」第2位は「家のごはんが一番おいしい」など手料理に対する評価や感謝は好感度が高い。3位は「いつもありがとう」「がんばっているね」などなど。いつも心では思っていても?なかなか口には出せない言葉が多い。どうですか、皆さんは心当たりがありませんか。このランキングをぜひ参考にして、奥さんとハッピーライフを過ごしましょう。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ

(株)関東電気保安協会 本橋 薫
本橋氏は平成18年10月、館山航空基地隊を准海尉で定年退職
仕事は「一期一会」の心で

 私は館山航空基地援護室のご尽力により(株)関東電気保安協会に再就職し、半年が経とうとしています。所属は千葉事業本部館山事業所調査課です。
 電気保安協会は、公益法人で北は北海道から南は沖縄までの各電力会社単位にあり、(株)関東電気保安協会は東京電力株式会社の電力供給管内になります。
 業務は保安管理業務(高圧の電気を取り扱う第3種電気主任技術者以上の資格が必要)及び調査業務(低圧の電気を取り扱う第2種電気工事士以上の資格が必要)と広報業務(広く電気の安全を周知する)の3本柱で構成されています。
 その中で私は、4年に一度皆様のご家庭を訪問し、電気設備の安全点検や漏電の検査を行う調査業務が仕事です。冷たい雨や風の中、一軒一軒のご家庭を訪問するのはとても辛い時もあります。しかし「ご苦労様、ありがとう」の言葉と笑顔に励まされ、寒さも忘れ「電気を安全にお使い下さい」との言葉を残し次のお客様の所へ…。
 入社してから当協会で多くの自衛隊OBの方々が頑張っていることを知りました。私が勤務している館山事業所でも、私を含め自衛隊OBが数名働いています。 私は自衛隊での特技は「気象・海洋」で電気のプロではありませんが、入社後の約1ヵ月の研修と実務経験を通した先輩の温かいご指導により、仕事にも慣れ毎日充実した日々を送っています。事業所長以下総員が電気のプロとして寸暇を惜しみ黙々と仕事をこなしていますが、仕事が終わればあちこちで笑い声が聞こえ、人間関係を含めとても良い職場環境です。
 定年を前にすると自分を年寄りだと思うことがありましたが、いざ就職してみると、自分が若造であることを改めて知らされました。
 昨年11月に保安協会に入社した同期12名、それぞれ年齢も前職業も様々で最年長は62歳、これから新たな職に就くエネルギーには頭が下がります。
 今改めて自衛隊生活を振り返ってみますと、今の私があるのは、先輩に導かれ後輩に教えられ、自衛隊に育てて頂いたお陰であると感謝しております。私は自衛隊生活においても、現職場においても「人」に恵まれていると思っております。
 私が最後に勤務した館山航空基地隊司令の指導方針の一つに「まぁいいかの排除」がありました。自分に甘えず「電気」のプロとして、この言葉を守り続け「一期一会」の心で第2の人生を旅していきたいと思います。


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