「和魂洋才」は、我が国固有の精神をもって西洋の学問、知識を学ぶことをいう。もともと我が国固有の精神をもって中国伝来の学問を吸収することを意味する「和魂漢才」という語があったが、明治になって西洋文明に先進性を認めた日本人は、「和魂洋才」の精神で西洋に学び始めた。
明治以来、日本近代化のモットーとなった「和魂洋才」の精神は現在まだ死んでいないと思われるが、ここで今後の日本を考え、「和魂洋才」について、歴史的な反省を含めて今一度改めて考えてみたい。
「和魂洋才」という語は、西洋に学ぶにあたって日本人の本来の精神や心持を忘れてはならないとの意を含み、日本本来の精神をより根本的な「魂(コン)」と見て、学ぶべき西洋の文化、文物を「才」と見ている。幕末の先覚者佐久間象山は、和魂洋才のあり方を「東洋道徳、西洋芸術」と説いた。ここで芸術とは今でいう芸術ではなく、技芸、学術のことで、主として技術や科学を意味する。学ぶべき西洋のすぐれた文化は技術や科学であり、それは「才」であって、より根本的な「魂」である道徳は東洋の伝統的道徳を良しとした。
しかし、学ぶべき西洋の文化、文物を「洋才」ととらえるとらえ方は、不十分だと私は思う。「洋魂」を理解する必要がある。明治の日本人は西洋で発達した科学を「洋才」ととらえたが、科学は実は「洋魂」と言えないか。あくまで事実に立脚し、徹底して合理的に思考し、実験で確認し、物理(モノの理)を数学的に表現する。こういった近代科学精神は「洋魂」ととらえるべきではなかろうか。また、西洋で発達した自由、民主主義、人間の尊厳、法の支配といった精神も「洋才」ではなく、「洋魂」である。
「和魂洋才」の含意する、西洋に学んでも和魂を失わないとの精神は非常に良いが、日本の歴史の中で和魂(=大和魂)が強調されて、日本精神の独善的な優位性の主張になることがあった。日本が対外戦争をしていた頃、軍隊で「防御する鉄板の薄さは大和魂で補う」などといった主張がなされたりした。敗戦後大和魂という言葉はあまり使われなくなったが、近年スポーツ界などでまた聞かれるようになった。
「和魂洋才」は異文化理解と受け入れに関する、条件付きの良きスローガンと見なしたい。日本文化は独自であり、西洋人は理解できない、日本人も西洋文化を理解できない、という思い込みは弊害を生む。同じ人間であり、理解が可能で、その上で自国の文化を失わない、といった精神が大切だと思う。ドナルド・キーンは日本文学を日本人以上に深く理解し、日本文学が世界の人々の理解できない特殊なものではなく、世界の普遍的な文学の一つであると主張した。そして、外国人は日本文化を理解できないと思っている日本人は多いが、それは偏見に過ぎないと言っていた。また、今年三月死去した世界的指揮者小澤征爾は、「中国に生まれ、日本に育った僕がどこまで西洋音楽を理解できるか、一生をかけて実験を続けるつもりだ」、「東洋人と西洋人は違う。だけどどっかでつながっているんだと思う」と言っていた。小澤征爾は西洋音楽を完全に理解し、世界の音楽をリードし、世界の音楽文化に貢献したのである。
異文化理解と交流は新たな創造をもたらすという主張があるが、これを私は信奉したい。異文化との接触は軋轢となるが、それは新たな創造の源となる。異質な文化と接触し、自国文化を失わず、より高度の文化を生み出す。こうして日本と世界は新たな文化を生み出していくと信じたい。
(令和6年6月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |