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スペーサー
自衛隊ニュース   1082号 (2022年9月1日発行)
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知恩報恩<11>
株式会社 小松製作所 特機事業本部 柴田昭市
露軍参謀総長が観た陸上自衛隊の戦車射撃

 私は昨年4月から、陸上自衛隊の榴弾砲や戦車砲、重迫撃砲用の弾薬製造、および各種装甲車両の整備を担任するコマツ(株式会社小松製作所)の特機事業本部の顧問として勤務しています。コマツは建設機械メーカーとしてご存知の方が多いとは思いますが、昨年で創業100年を迎え、旧軍時代から国産ブルドーザーの元祖とも言われている小松1型均土機を海軍に納入し、また、朝鮮戦争時には大阪陸軍造兵廠枚方製造所の払い下げを受けて米軍向けの砲弾の生産を開始しています。1960年代には当時の防衛庁から60式自走106mm無反動砲や60式装甲車、61式戦車の90mm砲弾等をはじめとする各種防衛装備品を受注し、それ以来、日本の安全保障を支える防衛産業の一員としても永く歩んできました。

 現在、政府においては国家安全保障戦略等の、いわゆる戦略3文書の改定作業が鋭意行われており、その中では日本の防衛産業が抱える問題や今後のあり方等についても活発な議論がなされているものと承知しています。6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太の方針)」では、「装備品の取得に関し、国内の防衛生産・技術基盤を維持・強化する観点を一層重視するとともに、基盤強化のために装備移転に係る見直しを含めた所要の制度整備を行うなど、より踏み込んだ取組みを検討する」と記述されています。
 長期化の様相を見せているロシアのウクライナへの侵略戦争を見ていても、防衛力の中心に位置するのは優れた防衛装備品であることが改めて実感できるのではないでしょうか。日本と周辺国との情勢が極めて厳しい中で国が主導する多次元統合防衛力の実現のため、防衛生産・技術基盤の維持強化は、待ったなしの日本の死活的利益と捉えることができると考えます。

 以上のような認識のもと、私にとっては忘れがたい、日本の防衛産業が製造する優れた装備品に関わるエピソードを一つ紹介したいと思います。
 私が2017年の第1師団長在任時に、現在もロシア軍の軍人トップであるゲラシモフ参謀総長が、河野統幕長(当時)との防衛交流で来日しました。来日直前に、戦車職種の軍歴を持つゲラシモフから戦車射撃を視察したいとの要望があり、第1師団が富士教導団の戦車教導隊(現:機甲教導連隊)の協力を得て戦車射撃の展示を担任することになりました。
 射撃部隊である戦車教導隊や第1戦車大隊は富士総合火力演習にも参加する強者(つわもの)部隊ですが、戦車職種出身のロシア軍トップに日本国を代表して戦車射撃を展示するということはかなりの緊張感があったと思います。結果としては、両部隊は90式戦車、10式戦車、16式機動戦闘車の機動性能を遺憾なく発揮して、ほぼ全弾命中という見事な射撃を展示してくれました。私は射場の天幕内でいやがるゲラシモフに無理やり鉄帽をかぶらせ、彼の横に座って通訳を介して一連の戦車射撃について説明をしました。彼からは戦車の砲の口径、速度や重量、使用する弾薬の種類や装備が国産かどうか等、職種の専門家らしい熱心な質問がなされましたが、陸自の戦車射撃の練度の高さ、また完全な国産装備品である10式戦車の性能の優秀さには大変驚いている様子を肌で感じることができました。
 射撃視察終了後の統合幕僚監部内でも、防衛交流としてのゲラシモフへの戦車射撃展示は大きな評判となりましたが、優れた装備品を持ち、そして高い戦技練度を保持することは、まさに防衛力の核心であることを、自衛官として改めて実感させられる貴重な機会ともなりました。

 コマツも優れた装備品を製造する、日本を代表する防衛産業と自負していますが、自衛隊を退職したOBは社内の様々な部署・場面で活躍しています。業務内容としては、防衛事業の今後の経営判断に直接影響を与える、安全保障政策に関する政府・防衛省の最新の考え方や装備品に係る官側のニーズを分析して社内に情報提供するとともに、社員に対する勉強会等での講話や発表を通じて、顧客である防衛省・自衛隊についての理解を深めることにも努めています。
 また、現職時の実務経験を活かして防衛装備庁や補給統制本部、弾薬や整備車両等を納入する部隊との業務調整や完成装備品の検査業務を担任して、防衛事業の実務にも貢献しています。
 日本の防衛産業を取り巻く環境の厳しさは危機的な状況と言っても過言ではありません。年末に日本国として重要な戦略3文書が改定される予定ですが、優れた装備品の製造で日本の安全保障を支える防衛産業にとって、将来の充実・発展につながる大きな成果が出ることを心から願ってやみません。

(著者略歴)
 1985年防衛大卒、第1師団長(練馬)、防衛装備庁装備官(陸上担当)


読史随感
神田淳
<第108回>

重光葵の苦闘

 昭和20年(1945年)9月2日、太平洋戦争に敗北した日本は、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号上で、アメリカ等の連合国に降伏する文書に調印した。調印式には日本政府を代表して外相重光葵(しげみつまもる)が、軍を代表して参謀総長梅津美治郎が出席し、これをもって太平洋戦争が公式に終結した。大任を果たしてほっとし、その夜ホテルでこれから寝ようとする重光に、松本次官以下外務省の幹部がやっかいな情報をもたらした。占領軍総司令部が日本に軍政を布いて行政部門を統括するため、布告を発したというのである。これでは日本政府はなくなり、日本は占領軍による直接の軍政下に置かれることになる。重光は明朝早く横浜の総司令部に行き、マッカーサー総司令官と直接交渉する決意を固めた。
 9時半総司令部に着いた重光は総司令官室に入り、マッカーサーと対談。重光は、「占領軍総司令官が日本に軍政を布くとの報道を得たが、これは日本の現状に適さないので、撤回していただきたいと思い参上した」と言い、その理由を述べた。「終戦は国民の意思を汲んで、天皇直接の決済に出たもので、ポツダム宣言の内容を最も誠実に履行するのが天皇の決意であり、それを直接実現するために、特に皇族内閣を立てた。ポツダム宣言は、日本政府の存在を前提としており、日本政府に代わる軍政をもってすることを予見していない。日本の場合はドイツと異なる。連合軍がポツダム宣言の実現を期すならば、日本政府に拠って占領政策を実行するのが、最も賢明の策と考える。これに反して、占領軍が軍政を布き、直接行政実行の責任をとることはポツダム宣言以上のことを要求するもので、それは混乱をみることとなるかもしれない」と。
 マッカーサーの態度は固かったが、次第に重光の主張に理解を示した。最後に「よくわかった」と言い、軍政の施行を中止することを承諾し、その場でサザランド参謀長に命じて直ちに布告を取り下げる措置をとらせた。
 こうして日本は敗戦したとはいえ、直接軍政となる最悪の事態を避けることができた。今日重光葵を知る日本人は少なくなった。しかし、敗戦した日本の最も苦しい時期に、勝者に対して堂々と所信を主張して認めさせ、日本を救った重光葵の功績を、我々は忘れてはならないと思う。
 重光葵は1911年(明治44)外務省に入省。上海総領事、中国公使、外務次官、ソ連大使、イギリス大使、中国大使、東条内閣および小磯内閣の外相を歴任した。軍部が政府を支配し、軍部主導の戦争が日本の国の信頼を損ない、国際的に孤立していく昭和の時代にあって、日本が信頼を得て各国と良好な関係を維持しようとする重光の外交努力は困難を極めた。重光は絶望的な環境にあっても、最善の選択肢を得るべく渾身の努力を傾注した。
 重光葵は小村寿太郎に比肩する希有な外交官だったと評価される。私は重光の人間力は小村を上回るのではないかと思う。重光は明晰な頭脳と良識をもち、常に世界情勢の認識を誤らなかった。勇気と胆力をもって所信を実現しようとした。重光をよく知るイギリスのハンキー卿は、重光を高潔さと善良さのオーラが漂うと評した。
 重光葵を知ることは日本の近代史の真実を知り、困難な時代を生きた日本の先輩たちの苦闘と叡智を知ることである。それは困難な将来に立ち向かう我々の勇気の源泉となるだろう。
(令和4年9月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


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