福澤諭吉が明治時代に説いた「独立自尊」は、開国165年となる現在、日本の人と国のあり方として、ますます重視されるべき価値になっていると信じる。
福澤の生きた幕末・明治の時代、国際環境は苛酷であった。科学革命と産業革命を経て強大化した西洋列強がアジアを侵略し、アジア諸国は次々と植民地化された。日本がそうなってはならない、この強い思いが福澤のすべての活動の源泉となった。
福澤は日本が独立国として生きていくためには、西洋並の文明国になるしかないという明確な結論に達した。福澤の旺盛な啓蒙・教育活動は、常に日本の独立のためにという思いがあった。福澤は主著『文明論の概略』で、「文明は人間の知徳の進歩であって、至大至高、人間万事この文明を目的とせざるものなし」と説くが、同著の終章で「国の独立が目的で、文明はこれを護るための手段である」と結論する。福澤はこれほど国の独立が至高であるとしたのである。
福澤は、「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較して見るに、東洋になきものは、有形においては数理学(科学のこと)、無形においては独立心と、この二点である」と、西洋文明の中核にある精神を看破。西洋人の旺盛な独立心が国の独立を支えていると見抜いた。
そして福澤は「一身独立して一国独立する」と言う。国民一人ひとりが独立不羈の気力をもち、個人としての独立を達成して初めて一国の独立が達成される。福澤の『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」で名高いが、この書は一身独立の達成を目的とした実学を奨める啓蒙書に他ならない。
福澤は日本の歴史を顧みて、日本が今まで独立してきたことに関し、「我が日本に外人のいまだ来らずして国の独立したるは、真にその勢力を有して独立したるにあらず。ただ外人に触れざるが故に、偶然に独立の体を為したるのみ」と『文明論の概略』で述べる。そして、「余輩のいわゆる自国の独立とは、我が国民をして外国の交際に当たらしめ、千磨百錬、ついにその勢力を落とさずして、恰もこの大風雨に堪ゆべき家屋の如くならしめんとする趣意なり」と、今後の独立の維持が重要であると述べる。
その後日本は富国強兵の道を歩み、苛酷な国際社会で独立国として歩むことができたが、ついに日米戦争に突入。敗れて米国に占領支配され、独立を失った。1951年の講和条約により独立を回復したが、同時に日米安全保障条約を締結し、米国に軍事を依存する国として国際社会に復帰した。
その後改正された安全保障条約に定める軍事協力を核とする日米同盟は、今日まで日本の国の存立基盤であり続けているが、こうした日本をどう評価するか。まともな軍事力をもたない国は独立国と呼べないという考えは十分あるが、私は日本が日米同盟の中、独立国としての責任と誇りをもって国家を運営するとき、立派な独立国であると言ってよいと思う。そして、安全保障条約はあくまで手段であり、自国は自ら守るという当たり前の国民の意識が決定的に重要である。
現在、日本を取り巻く国際環境は、福澤の時代に似てきている。日本は絶対に独立を維持しなければならない。福澤が唱えた「独立自尊」は、一国独立をもたらす一身独立の精神として、その価値がなお色あせることはない。
(令和元年12月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |