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ノーサイド
北原巖男
記 憶 |
今年も12月!
この時期になると、「光陰矢の如し」、「少年老い易く学成り難し」といった名言を思い出します。特に口惜しいのは、アッと言う間に過ぎ去って行った日々の記憶が、ほんの一部を除いて定かでないことです。歳のせい?ゾクッとする底知れぬ不安が頭をよぎります。
現役の自衛隊員の皆さんそして「防衛ホーム」の愛読者の皆さんは、いかがでしょうか?「それでいいんじゃないの」とか「同じだよ」と苦笑しながら頷いてくだされば、安心するのですが…。
思えば昨年末、大きな本屋さんに所狭しと並んでいた様々な日記帳の中から、これは立派だ、これなら書き続けることが出来る、と確信して購入した日記帳。いつの頃からか開かれることもなく、ピカピカな姿のまま机の上に鎮座しています。来年は令和として新年からスタートする初めての年。東京2020オリンピック・パラリンピックの年。今度こそ日々の思いや記憶をきちんと書き留めて行こうと決意しています。しかし、なかなか新たな1冊を選ぶ決断がつかず、日記帳コーナー巡りが続きます。
ところで今年も台風や集中豪雨等の忘れ難い大規模自然災害が頻発しました。そうした中にあって、日本中の誰もが鮮明に記憶していることは、5月に天皇陛下がご即位され令和の時代を迎えたことでしょう。
11月10日には、ご即位に関する最後の国事行為である祝賀パレード「祝賀御列の儀」が行われました。多くの犠牲者・甚大な被害をもたらした台風19号の惨禍に配慮して、即位礼正殿の儀が行われた10月22日から延期になっていました。
当日は、雲一つ無い穏やかな日本晴れ。およそ11万9000人の皆さんが沿道に駆け付けました。笑顔で国民に寄り添い手を振り続ける天皇陛下と皇后陛下に、日の丸の小旗を振って親しみと祝福の歓声を送っていました。テレビの前でパレードの様子をご覧になられた全国の皆さんも、復旧作業に毎日懸命に取り組んでいる被災地の皆さんも、しばし等しく同じ気持ちを抱かれたのではないでしょうか。
この日、パレードの沿道となった国会議事堂前には、日の丸の小旗配りに汗をかいているボランティア集団がいました。東京都隊友会の松下事務局長をリーダーとする女性を含む約40名の皆さんです。かつて儀じょう隊員として活躍したOBもいます。次から次へと警察の厳重な検問を通過して来た皆さん一人ひとりに、「おめでとうございます!」と日の丸の小旗を渡していました。小旗を手にした皆さんは笑顔で応えながらも、すぐお目当ての観覧ブースに向かって走り去って行きます。しばらくして、こんなアナウンスが流れました。「全ての観覧ブースはいっぱいになりました」
大丈夫でしょうか。まだ検問を待つ太い人の波はどこまで続いているか分からないほどです。でも、皆さんは静かに整斉と並んで検問を待っていました。そして幾重にも重なり密集し、壁のようになった人々の後ろ姿の頭が、急に無数の日の丸の小旗の波に飲み込まれたのです。歓声も、一段と大きくなりました。
驚いたのは、その時まだ検問を終えていない沢山の皆さんから自然発生的に挙がった「バンザーイ!バンザーイ!」。ここからでは、パレードは全く見えませんし、今通過したのかどうかさえ定かではありません。そんな中での人々の力いっぱいの祝福。何かジーンと来ました。
日記を要しない、永く記憶に残る一日。
北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事 |
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軍事山岳上級課程 2名の隊員が留学
<冬季戦技教育隊> |
冬季戦技教育隊(隊長・山口尚2陸佐=真駒内)の戸板1陸尉及び升川1陸曹は、令和元年8月1日〜15日までの間、米国アラスカ州ウェインライト基地及びブラックラピッズ訓練場において米国アラスカ陸軍が実施する、軍事山岳上級課程(Advanced Military Mountaineering Course(AMMC))に留学した。
本教育の目的は、選抜された兵士に対し、小部隊・班を高難易度、危険な山岳地形で先導する際に必要とされる技術を付与することであり、主力通過を容易にする任務が求められる。本課程はアメリカ合衆国からBMMCを修了したアメリカ軍人6名(レンジャー学校の下士官教官2名、空挺隊員4名)と自衛官留学生2名を含む8名の隊員に対し約2週間行われた。
本留学は、冬戦教で実施される各種教育、特に幹部・上級陸曹特技課程「冬季遊撃」における山地潜入の指導能力及び安全管理能力の向上を目的として実施され、留学した2名は、昨年8月、軍事山岳基礎課程(Basic Military Mountaineering Course(BMMC))に留学し、良好な成績で修了した後、上位課程への留学となった。
現地における主要な教育内容は、軍事山岳登はん・下降技術及び山岳救助技術であり、基礎訓練及び各種の技能判定をクリアした隊員が、1夜2日の総合訓練において、山岳器材等の必要資材(約20kg程度)を携行し、緊急露営を含む、約20km、標高差1400mの行程で実施された。当月のアラスカ州の平均気温は15度、山岳地帯には氷河が残り、白夜の影響で、22時になっても昼間とほぼ変わらない明度であり、1日の大半が明るい環境で実施された。本課程における山岳技術指導法は安全であることを主眼とし、山岳技術の理屈(物理)を理解させ、応用力・発想力を進展させる教育内容であった。
本課程留学生2名については、留学目的を達成し、向上した指導能力・安全管理能力を発揮し、来たるべく冬の教育に臨む。 |
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習志野駐屯地ラグビー場秘話
グランドは道場だ! |
令和元年9月、ラグビーW杯日本大会に先立ち、9月11日から国際防衛ラグビー競技会(IDRC)が、朝霞駐屯地・習志野駐屯地・柏の葉公園総合競技場で開催された。自衛隊チームは、ラグビーの技術だけでなく、組織を強くするためのコミュニケーションや様々なことを学んだ。4年後のIDRCでトーナメント本戦での勝利を掴む姿を早く見たい(10/1号・10/15号既載)。
今回決勝戦は、柏の葉公園総合競技場で開催される予定だったが強風でポールに支障が出てしまい、急遽、習志野駐屯地ラグビー場で開催されることになった。習志野駐屯地ラグビー場を本拠地とする陸上自衛隊習志野ラグビー部は昭和32年発足、空挺団ラグビーとも言われ、自衛隊ラグビーの発展を支えるだけでなく、日本を代表する名選手をも多数輩出してきた。
そんなラガーマンを見守ってきたのが、習志野ラグビー場である。昭和50年代までは、試合も降下塔広場などで開催、練習は駐屯地内の広場で行なっていた。昭和55年頃までは現在のBグランドで活動、その後、現在のAグランド地域を新設した。Aグランドが出来ても、グランドを維持・整備・育成していくのは部員たちの役目。下士官たちは芝が定着すると今度は、草むしりをしてグランド整備をする必要がある。7月8月は3日に1回は芝を刈る必要があった。時間のある時は常に、グランド整備をしていた。監督やコーチもグランド整備に参加していた。グランドはラガーマンの道場、大切に心を込めて、磨き、育てていった。芝についての研究をしている民間から「芝のノウハウ」を聞き、工夫を重ねて作り上げてきたAグランド。平成3年には、グランドに初めて「水源」が出来、シャワー室だけでなく、待望の水飲み場が出来た。平成30年になり、今回のIDRCの会場となるため、クラブハウスを新設し、現在に至っている。
国際大会の決勝戦を行うまでになったこのグランドには、ラグビーを愛する男たちの練習だけでない汗が沢山染み込んでいるのだ。
ラグビーの力を国を守る力に! |
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