4月30日平成の時代が終わった。平成の世を顧みて人々は、天皇陛下が立派な人で良かったと思うのではなかろうか。天皇は、無私、誠実の極にあるような人で、「陛下のご君徳」といったありきたりの言葉では言い表せない人格と識見の持主だったと私は思う。
世界史をみて、国の統治形態は立憲君主制が最も良いと私は思っている。日本の天皇は世界で最も古い歴史をもつ君主で、こうした皇室の存在自体が、世界から敬意を払われているが、さらに、その地位にある象徴としての天皇が人間的に立派であることは、日本を大きく裨益するものである。
退位された天皇のご人格について考えるとき、皇太子時代の師だった小泉信三のことを我々は思い出す。
小泉信三(1888-1966)は福澤諭吉の高弟・小泉信吉を父として生まれ、慶應義塾で学んだ。経済学を専攻し、マルクス主義を強く批判する自由主義経済学者として知られるようになる。1916年慶應義塾大学教授となり、1933年(昭和8)から戦争をはさんで1947年(昭和22)まで慶應義塾塾長。1949年(昭和24)、強く請われて東宮御教育常時参与に就任。皇太子の教育全般を担う役職についた。皇太子のお妃選びにも深く関与し、1959年(昭和34)正田美智子さんとのご成婚となった。1966年(昭和41)、心筋梗塞により急逝した。
1976年(昭和51)、明仁皇太子は記者会見で、子供の教育に関し、「私の場合、小泉(信三)先生、安部(能成、学習院)院長、坪井(忠二、東大教授)博士と三人いました。小泉先生とは常時参与という形でーーーー。私はその影響を非常に受けました」と語っている。
小泉は、将来の君主である皇太子に対して、君主の「人格その識見」は自らの国の政治に影響し、勉強と修養は日本の明日の国運を左右するものであると説いた。
小泉は『ジョオジ5世伝』をテキストに選び進講した。イギリスの王ジョージ5世(在位1910-1936)はエリザベス2世の祖父。彼は英雄でも天才でもなかったが、謹厳実直で、立憲君主制における君主のあり方の奥義を身につけた名君であった。国民はジョージ5世が王位にあることによって堅固と安全を感じた。第一次世界大戦後、激変するヨーロッパで、立憲君主国イギリスの安定はきわだっていた。
小泉信三は自由主義者であった。マルクス主義が時流の学会にあって、一貫してこれを批判し続けた。資本主義から共産主義への発展、社会主義計画経済、剰余価値説、唯物史観などに関する小泉の批判を今読むと、小泉がいかに当たり前の正しいことを言う、良識ある学者であるかがわかる。
日本が独立を回復する1951年のサンフランシスコ講和条約で、小泉は自由主義諸国との間で講和し、できるだけ早く独立を回復する単独講和を支持した。当時、南原繁東大総長をはじめ、ほとんどの知識人が共産主義国との講和を含む全面講和論を展開した。私はここに小泉の「学者バカ」ならぬ良識をみる。
小泉信三は勇気ある自由人だった。氏は福澤諭吉と同様、武士的な道徳的背骨をもつ、最高レベルの知識人だったと思う。(5月1日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。 |