出光佐三(1885-1981)は、出光興産の創業者。1911年門司で機械油を扱う出光商会として設立した出光興産を、現在従業員約9千人を擁する大会社に育て上げた。
出光佐三の事業経営の基本は、徹底した人間尊重にあった。それは、社員を家族とする究極の日本型経営であった。佐三は、一に人、二に人、三に人であるといい、資本は金でなく、人であるとした。この経営の信念は、終戦直後出光の最も苦しい時にも発揮された。
戦前、戦中出光は海外事業に進出していた。敗戦ですべてを失い、外地から引きあげてくる社員850人、これに内地勤務者150人を加えた千人の社員を養う仕事は、出光にはなかった。しかし佐三は社員の一人も解雇しなかった。これは驚くべき決断で、人は出光社長が正常な判断を失ったと思った。
出光は、農業、醤油の生産、ラジオの修理、販売などあらゆる仕事に手を出した。全国8か所にある旧海軍の貯油タンクの底油をさらう仕事も引き受けた。これはGHQの指示で商工省が業者を募ったが、とてつもない困難な作業が予想され、出光以外に応募する業者はなかった。出光の社員は毎日タンクの底に降り、体を真っ黒にしてドロドロの廃油をさらった。この難事業を経験した社員は、今後いかなる困難にも耐えられる思いがした。
1955年、佐三は渡米し、ガルフ石油と長期原油供給契約を結んだ。佐三は昼食時のスピーチで、「あなた方は、アメリカが民主主義の国であると自ら信じ、誇りにしておられるが、あなた方の民主主義は偽物である」と言った。驚いてなぜかという質問に対して答えた。「民主主義の基礎はお互いを信頼し尊敬し合うところにあると思う。ところが貴国に初めて来て、どこの会社にも入り口にタイムレコーダーを備え付けてあり、オフィスでの中では机が同じ方向に並べているのに驚いた。タイムレコーダーで社員の出勤や退社の状況をチェックし、社員を背後から上役が監督しなければならぬようなところに、どうして人間の信頼や尊厳があるというのか。信頼できぬ人間が、どうして民主主義を本当に実行できるのか、不思議でならない」。
誰も反論できず、場内は静まり返った。一人の「それではあなたの会社はどうなのか」との問いに対し、「私の会社にはタイムレコーダーはない。机も同じ方向を向いてはいない。私は社員に全幅の信頼を置いている。45年前の創業時から出勤簿もない。首もない。定年制もない。労働組合もない」と、佐三が普段の考えを諄々に説き終わると、場内から一斉に拍手が沸き起こった。
出光佐三の経営は、以上述べたような人間尊重にとどまらない。徹底した消費者本位の経営であり、自由な市場と自由な経営を信奉し、常に国家への貢献を考えるものだった。
佐三は晩年「日本人にかえれ」と説いた。佐三は深い思想と哲学をもった、真に偉大な経営者であったが、彼は、「僕が日本人として育って、日本人として当たり前のことをやっているだけだ」と言った。出光佐三のすばらしさは、日本の伝統にある普遍的な道義と正義を自覚し、それをたゆまず実行して成功をおさめたところにあると思う。(2018年7月9日)
神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。 |