防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   983号 (2018年7月15日発行)
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防災訓練

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仙台駐屯地
 仙台駐屯地(司令・權藤三千蔵将補)は、6月12日、『市民防災の日』に仙台市が実施する市民参加型訓練に各部隊等毎参加した。参加人員は約3500名。
 東日本大震災から7年が経過し、教訓の風化も懸念されている。6月12日の『市民防災の日』は、昭和53年の宮城県沖地震をきっかけに定められ、市民が一斉に災害への備えを確認する日となっている。
 市が想定する訓練の概要は、6月12日午前9時、太白区長町-利府線断層帯を震源とする都市直下型地震が発生。マグニチュードは7・5、仙台市内における最大震度は6強を観測。津波警報等の発表はなし。
 駐屯地業務隊と会計隊は、合同で訓練を実施。地震発生の放送により、「まず低く、頭を守り、動かない(机の下に潜る。塀を避け頭を保護しつつしゃがむ等)」安全行動を実施した。その後異状の有無の確認、掌握及び報告訓練を実施。駐屯地所属隊員の防災意識の向上を図るとともに、地域との一体感の醸成に寄与する訓練となった。
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14普連
 第14普通科連隊(連隊長・梨木信吾1陸佐=金沢)は、5月26日、石川県能美郡川北町の手取川河川敷で行われた、川北町、石川県、国土交通省北陸地方整備局等が主催する、「平成30年度手取川・梯川総合水防演習」に参加し、大規模水害時における関係機関との連携要領の確認と地域における信頼の獲得に努めた。
 石川県では10年ぶりとなるこの水防演習は、国土交通省北陸地方整備局が、梅雨や台風で河川が増水しやすくなるこの時期に管内で毎年開催しており、石川県知事をはじめとした関係首長、自治体、消防等68機関、地域住民、陸上自衛隊、航空自衛隊等の約1300名が参加した。
 連隊からは、梨木連隊長及び第1中隊長・中島和智3陸佐以下14名が参加し、災害派遣要請連絡、孤立者救助、炊き出しの各訓練、装備品及びパネル展示を行った。
 演習は、想定される最大規模の降雨により、県内主要河川である手取川が増水、これに伴い洪水危険レベルが上昇、河川氾濫、堤防決壊等の対応をタイムラインに沿って訓練する方式がとられた。
 午前9時10分、金沢地方気象台の大雨洪水警報発表から演習は開始された。
 自治体、関係機関等は洪水危険レベルに応じた各種対応を行う中、手取川上流の白山麓地域で、斜面崩落のため主要道が通行止めとなり登山者が孤立、事態を受けた石川県知事から自衛隊に災害派遣を要請する訓練が本部席で行われ、知事の派遣要請を梨木連隊長が受諾する会話が携帯電話を通じて、リアルタイムで会場内に放送された。
 孤立した登山者の救難救助は実働で行われ、陸上自衛隊第10飛行隊(明野)所属のヘリコプター(UH-1J)1機が、孤立者を航空自衛隊小松基地から会場前の手取川中洲まで空輸した。中州には陸上自衛隊第372施設中隊(鯖江)が81式自走架柱橋で輸送路を構築しており、14連隊の高機動車がその輸送路を使って孤立者を会場まで移送した。
 被災者に対する炊き出し訓練では、野外炊事車を使用して炊飯を行い、川北町女性協議会、赤十字奉仕団等と連携し、約600名分の食事提供を行った。
 各種訓練に併せて、車両展示コーナーに軽装甲機動車、高機動車等を展示するとともに、パネル展示コーナーに今年1月の石川県輪島市の凍結した水道管破裂による断水、同年2月の福井県豪雪に伴う災害派遣、北陸3県の各種防災訓練に関する写真等約50点を展示した。
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47普連
 第47普通科連隊(連隊長・高山博光1陸佐=海田市)は、6月17日、防災関係機関等(消防、警察、自衛隊、海上保安庁、医療機関等)95機関、約1700名が参加して山口県消防学校等で行われた「2018山口県総合防災訓練に第13旅団隷下である第17普通科連隊、第13飛行隊とともに参加した。連隊からは常備自衛官14名の他、山口県在住の即応予備自衛官19名が各種訓練に従事した。
 本訓練は、内陸の活断層(大原・佐波川)を震源とした大地震(最大震度7を観測)が発生し、道路等のライフラインの寸断、建物倒壊等が発生という状況下で行われた。担任する第2中隊は、避難者に対する炊き出し訓練及び警察、中国総合通信局、山口県産業ドローン協会等と連携し土砂災害により通行不能となった道路をドローンにより上空から確認し、重機により道路啓開活動を実施した。
 即自の雇用企業主は、今回初めて、防災訓練で活躍する自社の社員を目の当たりにし、「災害招集時に、自社社員が従事する活動を理解できた。自主防災が重要であると認識した」との感想を述べた。今後も連隊は、訓練を通じて常備・即応予備自衛官一体となり地域住民、防災関係機関との連携強化に努める。
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16普連
 第16普通科連隊(連隊長・南野延寿1陸佐=大村)は、5月20日、諫早市本明川河川敷で実施された長崎県防災訓練に参加した。
 訓練は、県と諫早市、大村市の主催により大雨や地震で、大雨・洪水警報と土砂災害情報が両市に発令される中、橘湾を震源とするマグニチュード6・8の地震が発生、家屋の倒壊や地滑り、多数の負傷者が発生するとともにライフラインが被害を受けた想定で行われた。
 現地状況の偵察、各種機関と調整、引き続き倒壊家屋からの救出、後方では炊事車による炊き出しを実施した。また、長崎地本と協力し、広報ブースでは、各種災害派遣の写真の展示、オートバイと軽装甲機動車の装備品展示を行った。
 本訓練には、県や市、陸上自衛隊及び海上・航空自衛隊、警察、消防など車両約90両、ヘリなど6機、69機関、約1000名が災害時の対応や連携、臨時災害放送局の設置、安全な場所への避難、初期消火などを確認し、刻々と変化する状況の中、訓練を実施した。

読史随感
<第9回>
出光佐三の「日本人にかえれ」
神田 淳

 出光佐三(1885-1981)は、出光興産の創業者。1911年門司で機械油を扱う出光商会として設立した出光興産を、現在従業員約9千人を擁する大会社に育て上げた。
 出光佐三の事業経営の基本は、徹底した人間尊重にあった。それは、社員を家族とする究極の日本型経営であった。佐三は、一に人、二に人、三に人であるといい、資本は金でなく、人であるとした。この経営の信念は、終戦直後出光の最も苦しい時にも発揮された。
 戦前、戦中出光は海外事業に進出していた。敗戦ですべてを失い、外地から引きあげてくる社員850人、これに内地勤務者150人を加えた千人の社員を養う仕事は、出光にはなかった。しかし佐三は社員の一人も解雇しなかった。これは驚くべき決断で、人は出光社長が正常な判断を失ったと思った。
 出光は、農業、醤油の生産、ラジオの修理、販売などあらゆる仕事に手を出した。全国8か所にある旧海軍の貯油タンクの底油をさらう仕事も引き受けた。これはGHQの指示で商工省が業者を募ったが、とてつもない困難な作業が予想され、出光以外に応募する業者はなかった。出光の社員は毎日タンクの底に降り、体を真っ黒にしてドロドロの廃油をさらった。この難事業を経験した社員は、今後いかなる困難にも耐えられる思いがした。
 1955年、佐三は渡米し、ガルフ石油と長期原油供給契約を結んだ。佐三は昼食時のスピーチで、「あなた方は、アメリカが民主主義の国であると自ら信じ、誇りにしておられるが、あなた方の民主主義は偽物である」と言った。驚いてなぜかという質問に対して答えた。「民主主義の基礎はお互いを信頼し尊敬し合うところにあると思う。ところが貴国に初めて来て、どこの会社にも入り口にタイムレコーダーを備え付けてあり、オフィスでの中では机が同じ方向に並べているのに驚いた。タイムレコーダーで社員の出勤や退社の状況をチェックし、社員を背後から上役が監督しなければならぬようなところに、どうして人間の信頼や尊厳があるというのか。信頼できぬ人間が、どうして民主主義を本当に実行できるのか、不思議でならない」。
 誰も反論できず、場内は静まり返った。一人の「それではあなたの会社はどうなのか」との問いに対し、「私の会社にはタイムレコーダーはない。机も同じ方向を向いてはいない。私は社員に全幅の信頼を置いている。45年前の創業時から出勤簿もない。首もない。定年制もない。労働組合もない」と、佐三が普段の考えを諄々に説き終わると、場内から一斉に拍手が沸き起こった。
 出光佐三の経営は、以上述べたような人間尊重にとどまらない。徹底した消費者本位の経営であり、自由な市場と自由な経営を信奉し、常に国家への貢献を考えるものだった。
 佐三は晩年「日本人にかえれ」と説いた。佐三は深い思想と哲学をもった、真に偉大な経営者であったが、彼は、「僕が日本人として育って、日本人として当たり前のことをやっているだけだ」と言った。出光佐三のすばらしさは、日本の伝統にある普遍的な道義と正義を自覚し、それをたゆまず実行して成功をおさめたところにあると思う。(2018年7月9日)

神田 淳(かんだすなお)
高知工科大学客員教授 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。


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