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インド洋で任務遂行中 |
護衛艦「まきなみ」 |
留守家族に『アットホーム』開催 |
《佐世保地方隊》 |
217人がアトラクションなど楽しむ |
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佐世保地方隊(総監・香田洋二海将)では2月4日午後1時から、海上自衛隊平瀬体育館で、現在、テロ対策特措法に基づく協力支援活動のため、インド洋方面に派遣させている護衛艦「まきなみ」の留守家族に対する説明会(アットホーム)を開催した。
このアットホームは、留守を預かる乗員家族に対して派遣隊員達の任務、勤務状況、艦内生活等を説明して少しでも現地の状況を知っていただき、また、親子で楽しい一日を過ごしてもらうために計画したもので、当日は、69家族、217人が参加した。
アットホームの開催に際し、自衛艦隊監理主任幕僚(鈴木1佐)による派遣部隊の現状説明、連絡事項、質疑応答などが行われたあと、佐世保音楽隊(隊長・竹内弘美1尉)によるミニコンサートが行われ、ディズニーの曲やテレビ・映画主題歌が披露され、会場は歓声で包まれた。
また、「まきなみ」から送られてきたビデオレターの放映や写真展示なども行われ、写真を希望する家族にはプレゼントし、写っている隊員の姿を見て笑みを浮べていた。一方、会場の別室では、家族相談や家族からのビデオレターの撮影が行われた。ビデオレターは家族からの手紙とともに隊員のもとへ送られる。
今回は、節分の翌日ということもあり、「豆まき」を行い、隊員2名が赤鬼と青鬼に扮し、子供達から豆をぶつけられていた。小さい子の中には鬼を見て泣き出す子や、固まっている子もいた。
その他にも、ポップコーンや綿菓子、ソフトドリンクのコーナーや、お手紙コーナー、ストラックアウトなどのゲームコーナーで元気に走り回る子供の姿があった。
家族にとっては、とても有意義な一日となった。 |
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弘前雪灯籠まつり |
大雪像が完成 |
《39普連》 |
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弘前市の冬を彩る「第31回弘前城雪燈籠まつり」が2月9日開幕し、弘前駐屯地(司令・長谷川光成1佐)から第39普通科連隊・本部管理中隊長・田村準人3佐以下68名(第9偵察隊を含む)が、まつりの主役となる大型雪像、大型滑り台やキャラクター雪像を製作し、まつりを盛り上げた。
9日、弘前公園内の「四の郭」で行われた開会式では、長谷川司令が相馬弘前市長へ雪像の目録を引き渡した後、開会式参加者でテープカットし開幕を祝った。
今年は、昨年の豪雪から一転し、例年にない暖冬になり製作作業は難航したが、協力隊が一丸となり高さ5・5m、幅20m、奥行き10mの旧弘前偕校社をモデルにした見事な大雪像を始め、高さ5mの大型滑り台や来年度青森県で行われる全国スポレク大会のマスコットキャラクターの雪像を完成させた。
まつり初日は、好天に恵まれたこともあり大雪像の前や大型滑り台の前には、多くの市民や観光客が集まり記念写真を撮影したり大型滑り台で楽しんだりして賑わっていた。 |
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「あきらめないで」 |
故江藤文男師団長夫人 |
41連隊激励旗を寄贈 |
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平成18年10月8日、元第4師団長の江藤文男氏が逝去された。江藤元師団長は、師団長を勇退された後も地元大分の企業に勤務しつつ、機会ある毎に駐屯地に足をお運びになり若手幹部の教育や駐屯地諸行事への参加など、引き続き第41連隊を力強く支援していただいた。それだけに突然の訃報は連隊にとって悲しい出来事であった。
葬儀は、生前の人柄と活躍を偲ぶ多くの会葬者が見送るなか居住地である別府市内で執り行われた。この際、第41普通科連隊からも約150名の隊員が葬儀に参加するとともに、出棺にあたっては別府駐屯地に多くの連隊隊員が整列して元師団長に最後のお別れを行った。このことに喪主である江藤富子さんが感激し、何か隊員皆様にお礼がしたいとのことから、隊員を励ます意味を込めた「あきらめないで」の連隊激励旗が寄贈されることとなった。
励ましの言葉は元師団長が生前に好んでよく使用していた言葉を奥様から推薦していただいたもので、従来の力強い応援旗とはひと味違ったソフトな表現が特徴となっている。「あきらめるな」の強い表現ではかえって硬くなり、力が発揮できないのではないかとのお考えから「あきらめないで」と女性らしい感性で決定されたものです。
また、この言葉の下に、生前の直筆サインを忠実に模った「江藤文男」の寄贈者名を残させていただいた。平成19年新年訓練始めの各行事以後も、この激励旗を競技会などの応援に活用させていただき、連隊の発展に役立てていきたいと思います。元江藤師団長が引き続き第41連隊を見守っていただけるような気がしています。 (連隊広報記) |
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浅利士長に褒賞 |
交通事故被害を防止 |
《大宮》 |
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1月18日、第32普通科連隊1中隊の浅利友也士長が善行により大宮駐屯地司令・菊川俊広将補から褒賞された。浅利士長は同7日、帰省先の山梨県甲府市の実家前で発生した交通事故を目撃するや直ちに負傷者の有無を確認し、さらに2次災害を防ぐため手信号により交通整理を実施、警察官が到着するまでの間、渋滞を緩和するとともに被害の拡大を防止した。
また、同士長は事故により立ち往生していた親子連れに温かい飲み物を差し出して元気づけるなど細やかな心遣いも忘れなかった。
後日、この親子から浅利士長の一連の勇気ある行動に心打たれたとの丁重な手紙が大宮駐屯地司令宛に届き、この善行が明らかになった。浅利士長は「自衛官としてはもとより社会人として当然のことをしたまでで、褒賞をいただいたことに大変驚いています」と話していた。 |
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予備自補、緊張の中、ヘリボン体験 |
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武山駐屯地第1教育団第117教育大隊(大隊長・室坂2佐)は2月7日、冬季予備自衛官補招集教育訓練の参加者に対して、ヘリボン訓練を実施した。
今回、ヘリボン訓練に参加した予備自補たちは、支援を受ける東方ヘリ隊の機長から安全教育を受けた後、班長を先頭にUH1ヘリに乗り込み、三浦半島を望む約10分間のフライトを体験した。
着陸後、ヘリから飛び出すと戦闘訓練場まで低い姿勢で前進。その後、ほふく前進しながら移動し、緊張と興奮の中、突撃を開始した。
気迫のこもった突撃で目標を奪取し、無事に訓練を終えた予備自補たちは、ヘリからの眺めの素晴らしさと、レベルの高い訓練の体験に満足した様子だった。 |
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隊員の声 |
34普連「弁論大会」 |
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闘争心 |
本部管理中隊 士長 榎田 翔 |
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自分が格闘に興味を持ったのは、まだ小さい頃でした。初めて格闘技の試合をテレビで見て胸が熱くなったのを今でも覚えています。おそらく、その試合を見ていた人のほとんどは、キレイな流れの試合に目を奪われたのでしょう。そのときの自分も同じでした。しかし、その後もっとおもしろく熱くなれる試合を見ることが出来ました。
その試合とは、互いの選手が攻撃を受けたからといって退くのではなく、相手より多くの攻撃を出そうと必死になっており、まるで獣同士戦っているかのようなヒヤッとした空気が流れていました。自分は、あの時なぜこんなにも互いの選手が熱くなったのか分かりませんでした。
高校に入学して3年間バスケットボール部で活動していた自分は、なかなか結果が出ず、自分には何かが足りないと思っていました。
その後、自分は自衛隊に入り、中隊において勤務をしておりました。そんな時、自分に足りないもの、手にいれられそうなものを見つけたのです。
それは、徒手格闘です。初めて訓練隊で練習をしたのは、突きや蹴りの基本の訓練でした。先輩方の繰り出す突きに比べて、自分の突きは、ぎこちなく、そのため突きのスピードも遅かったのです。どうして自分の突きは遅いのだろう。先輩よりも速い突きを出したい。そう思い続けるうちに、強い感情が自分の中に湧き出してきました。まさに、それが闘争心でした。今まで自分に足りなかったものが分かった気がしました。
現在も、自分は訓練隊において日々汗を流しています。闘争心なくして向上心は、ありません。この先の自分の人生、闘争心をもって頑張りたいです。 |
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私が入隊した理由 |
本部管理中隊 1士 三ツ石直己 |
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私が入隊した理由は学生時代から交際している女性と将来結婚し、幸せな家庭を築くためには、まず身体的にも精神的にも自分を成長させる必要があり、安定した収入が必要であり、自衛隊はその両方を求める私にとって最適な場所だと考えたからです。
この時、私は唯一つ心に決めた事があります。それは「絶対に辞めない」です。単純で当たり前の事ですが私には絶対に叶えたい夢があり、それがそのまま入隊した理由でもあります。ですから、それを叶えるには他でもなく辞めない事が最も大事なことであると私は思います。
将来、幸せな家庭を築くためにどんなに辛くても情けない思いをしても「絶対に辞めない」という決意を決して忘れる事なく、この先の人生にどんな事があっても常に前を向いて胸を張って頑張っていきます。 |
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和をもって尊しと為す |
第1中隊 3曹 小林康一郎 |
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どの部隊にも「使えない隊員」(以下α)と言われる人がいると思う。自分は、そのような隊員を避ける部隊にはいたくない。なぜなら、自分がαとなるかもしれない危険が、自衛隊という職業にはあるからだ。
今年1月、防衛庁がようやく省への昇格を果たした。これに伴い、海外派遣が本来任務となり、今までより危険な任務が多くなる事だろう。という事は、怪我やストレス等によりαとなる確率も高くなるという事だ。危険な任務に就き、何らかの原因でαとなり、原隊に戻ってくる。その時、周りから冷たい視線を浴びせられたらと考えると、ゾッとする。国の名を背負い帰ってきた者に対する態度がαであってはならないし、普段からαの存在を作るのもいけない。自分がそうなるかもしれない所で職務に邁進できるわけがない。
自分は、部隊(特に中隊、小隊)を家族だと考えている。小六法の言葉を借りるならば、一致団結、人格を尊重、情愛、敬愛、親和、融和等の考えをもった人たちの集まりだ。そこにαの考えをする者はいない。αがいても家族みんなで助け合うからαにはなりえない。こんな温かい原隊があれば、どこにストレスを感じるのか。帰るべき家族があるからこそ、職務を遺憾なく遂行できるのではないだろうか。 |
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