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   2005年8月1日号
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寄せ書き
〜幸せ新婚生活〜
結婚
3普連本部管理中隊 3陸曹 橋本英樹
 私が、妻と出会ったのは3年前の平成14年1月26日でした。出会った瞬間は、テレビとかでよく言われるような「ビビビッ」と来たとか「電撃」が走ったという感覚はまったくありませんでしたが、何となく付き合いが始まりました。しかし、遠距離だったため、なかなか容易には逢うことができず、またお互いの仕事の都合でよく逢えなくなることが多かったのです。自分自身も、教育や、訓練、演習等で逢えなくなることが多く非常に申し訳なく思っていましたが、3年間の交際期間を経て、平成17年3月13日に入籍をし、同年5月21日に挙式、翌々日の5月23日から5月28日までハネムーンでハワイに行きました。まだまだ、結婚生活も浅くこれからだとは思いますが、2人でいっしょに生活をするうえで決めたことがあります。それはお互いに「感謝」をすることです。
 感謝の気持ちであれば、自然と心も広くゆとりを持って生活していくことができるからです。そうすれば、おのずとお互いを信頼し素晴らしい家庭が作れると思います。だから自分は、「感謝」の気持ちを持って生活をしていこうと決めました。
 これからは今まで逢えなかった分を取り戻すくらい思い出を作って、明るく楽しく、そして「感謝」の気持ちを持って人生を歩んで行きたいです。
結婚までの道のり
3普連本部管理中隊 沖田俊幸2陸曹の妻
沖田 綾
 私たちは2年の交際を経て、昨年10月に入籍、今年4月に結婚式を挙げました。
 交際中、夫は連隊長ドライバーをしていたので忙しく、私は時間が不規則な仕事をしていて、2人の休日もあいませんでしたが、出来る限り会う時間を作って、旅行にも行き、お互いの事を十分知ることができ、自然と結婚相手はこの人しかいないと思うようになりました。
 しかし、結婚を意識し始めた矢先、夫のイラク派遣が決まり昨年の2月イラクへ旅立ってしまいました。それから私は仕事の合間に結婚式のためにドレス作りを始め、不安な気持ちを紛らわしていました。そして、5月に夫が帰国した時はとても嬉しく、夫への気持ちが前よりも大きくなっていました。この3ヶ月のおかげで2人の絆が前よりも深まりました。
 その後、夫はドライバーが終わり小隊に戻り、入籍し営外者となり、生活がとても変わりました。結婚式準備も忙しく、お互い疲れケンカすることもありましたがお互いの状況を理解し、思いやることが出来ました。そして、とても良い結婚式を挙げることができました。
 これからは自衛隊の仕事をもっと理解し、夫を支えていこうと思います。この先いろいろな事があるとは思いますが、お互いのことを思いやり協力し、いつも笑っていられる家庭を築いていきます。
我が家の新上官?
3普連本部管理中隊 3陸曹 岩井龍也
 私は昨年まで自衛隊阪神病院で行われていた27期准看護師課程を無事に卒業し、北方の重鎮、第3普通科連隊に転入となりました。
 北海道での勤務は初めてで、自然の恩恵、ツーリングの聖地、新しい人との出会いや、知り合い皆無の地、教育中乗れていない大きなバイク、実家の祖母の健康状態、そして阪神病院に置き去りにしてきてしまった上級陸曹が一人…。
 複雑な思いを感じつつ、期待と不安を胸に北海道の名寄に辿り着きました。
 名寄に来て、連隊の方々には大変お世話になり、北方部隊のノウハウや、衛生科隊員としての基礎的なことをしっかりと学ぶことができました。
 名寄に来て、時は経ち私はかねてから交際している方と3月に入籍しました。
 妻との出会いは、とある飲み会、とある顔見知りでと、ありきたりのシチュエーションですが、特記事項として、同職業であったことでしょうか。自衛隊病院の看護部といった、一般部隊の方とは環境が異なった場所に勤務しています。
 私自身も一般部隊のままでしたらご縁はなかったのでしょうが、准看護師合格といったいきさつがあり、現在にいたります。
 妻は手術室の看護師として、来院した隊員や家族が安心して手術を受けられる看護行為を行っています。
 数年頑張ってきた妻ですが、一緒の生活を考慮し、退官を選びました。
 知り合い誰しもが「もったいない」や「お前が主夫をしたほうが」など厳しい言葉を頂きます。
 1等陸曹の階級をつけた妻を3等陸曹の私が退官に追い込み、ある意味国家的な損失?を招いた私は、夫婦生活同様、職務にも充実した日々を送らなければならないとおもいます。
 妻が退官後は、家庭に入り、家でも看護師で培った能力を生かし、家庭の支えや私の補助(私が補助?)になってくれるのではないかと思います。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
KTパイオニアグループ  佐々木 壽
佐々木氏は平成14年3月、名寄駐業隊を1陸尉で定年退職。55歳
 「KTパイオニアグループ本部」営業開発室参与として就職できたことに、関係者の皆様に改めて感謝を申し上げます。当時は駐屯地創設来の最多の再就職希望者数に加えて、求人倍率も0.36という厳しい援護環境でした。このような援護状況を予測して名寄市近郊への就職を視野に、近隣市町に、援護協力基盤を確立していたのですが、定年者の殆どが地元名寄志向のため、当時はなかなか歯車がかみ合わなかったことを思い出します。
 さて、弊社を紹介させて頂きますと、主にホテル、レストラン等のサービス業で旭川以北に10の企業・店舗を有しています。私はこのグループの本部にあって、分掌は業務内容・商品の把握、各企業の宿泊・宴会・冠婚葬祭等の補完的営業、仕入先見直し業務、新商品・事業の開発等々ですが、月1回、営業監査事項も含めて本部会議で報告することになっています。
 従って、当初、仕事に苦労より不安がありましたが、これを解決できた糸口は、35年有余、自衛隊生活で培った知識・体験を企業的に置き換えたことでしょうか。
 例えば、「営業開発」という漠然としたものでも、《状況判断要領・任務分析要領により思考する》とか、情報に関しても、安全管理にしても、過去自衛隊生活で経験したことです。苦労したことといえば、官公庁等への書類の申告です。これは理解しておくべきだったと後悔しています。
 最後に、会社は一般的に仕事・業務を個人で管理・処理する事が多く、その成果が会社に寄与するという仕組みを、まず念頭におき、仕事に対する意欲と健康維持が必要かと思われます。

防衛ホーム 俳句コーナー
 杖つきて戦死の父の墓洗ふ  川村トモ子
 花野から街のホテルに活けられて  中里桂子
 炎熱や一日生きるに一日の苦  箸方えい
 目覚めれば家すっぽりと蝉時雨  林雪
 白玉の母のやうには出来なくて  御手洗敬子
 底知れぬ闇の深さに蝉の穴  小野道子
 蝉の穴数へてゐたり草田男忌  山崎照子
 ねむさうに客待ち顔の発山馬  小向青穂
 藤村の泊りし宿の涼しさに  遠藤風琴
 燕帰る東京生れの子を連れて  清水春生
 蛍飛び闇の深さの動きけり  脇田忠俊
 何事もなかりしやうにゐて涼し  砂川芳枝
 火の島の水平線と雪の峰  三川明美
 過労死の話を聞きつ蟻を見る  ジョンス美加子
 砂に足捉られし島の盆踊  山地里水
 海の家の話の好きな管理人  清家はるみ
 花名荷昔のことはよく覚え  鶴たけし
 万緑や嬰に会ふたびに言葉増え  馬場美雪
 迎火に孫の手花火添へにけり  中矢岳子
 単身の部屋開け放ち冷奴  坂元順一
     選者吟
 廃嘘めく街いづかたも風死して  保坂伸秋
     (「栃の芽」誌提供)
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