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   2005年1月1日号
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防衛関係費は1%減
平成17年度予算財務省原案
3年連続の減少は初めて
「新たな脅威」対応は増える
 政府は12月20日午前の臨時閣議で、平成17年度予算の財務省原案を了承、谷垣禎一財務相が各省庁に内示した。一般会計の総額は16年度当初比0.1%増の82兆1,829億円。しかし、公共投資など政策的経費に使う一般歳出は0.7%減の47兆2,829億円となり、3年ぶりに前年度を下回った。
 防衛関係費は、対前年度比1%減の総額4兆8,563億円で、3年連続の減少は初めて。新たな「防衛計画の大綱」に沿った▽弾道ミサイル攻撃への対応(BMD)▽ゲリラ・特殊部隊の攻撃等への対応▽核・生物・化学兵器による攻撃への対応▽大規模・特殊災害への対応▽より高度な情報通信態勢の構築▽イラク人道復興支援活動への対応▽教育訓練の充実(訓練費、燃料費、修理費等)などは前年度を上回ったものの戦車・火砲等主要装備品は大幅に削減された。
 また、防衛施設庁関連では、施設の借料、補償経費等を除いた基地周辺対策経費、在日米軍駐留経費負担、人件費等全てが前年度を下回り、総額でも5,400億円を割る5,344億円が内示された。
 なお、今後、各省庁は財務省との復活折衝を行い、正式に政府案が決定される。

アテネ五輪銀メダリスト
女子シンクロ日本代表ら
阪神基地隊を訪問
 海上自衛隊阪神基地隊(司令・袴田忠夫海将補)は11月7日、アテネオリンピック女子シンクロ日本代表(井村ヘッドコーチ、銀メダリスト立花、武田、米田各選手)及び井村シンクロクラブ(各コーチ及び小中高生)に対する基地・艦艇見学を実施した。
 これは、同クラブの阪神基地隊プールを利用した水泳練習の機会に合わせて、計画されたもので、阪神基地隊(阪基)は、阪神淡路大震災以前から、訓練プールを持たない同クラブに、主として土曜日、日曜日にプールの利用を提供しており、立花、武田、米田各銀メダリストも10年以上にわたり阪基プールでの練習を経験している。
 日本代表チームの井村ヘッドコーチと銀メダリスト各選手は、当日午前のシンクロクラブ員の練習を指導した後、袴田阪基司令を表敬訪問(写真)し、これまでの阪基の支援について感謝するとともに、アテネオリンピックでの銀メダル獲得に至るまでの練習の話題に花が咲いた。井村コーチからは、阪基司令にオリンピック日本代表選手団水泳チーム全員のサインが入った記念大皿が贈呈された。
 その後、井村コーチと各選手は第42掃海隊(「おぎしま」「くめじま」「つきしま」)に移動し、艇内を見学した。各選手と今回練習に参加したシンクロクラブの小中高生は、海上自衛隊の艦艇に乗るのが初めてであり、乗員の説明を熱心に聞くとともに掃海艇について盛んに質問していた。また、銀メダリストからメダルを見せてもらった隊員もおり、ギリシャ語が刻まれた本物のメダルの輝きと質感を確かめる隊員の姿も見られた。
 退艦に際しては、舷門の当直士官と艦艇乗員に元気なお礼の挨拶をするなど、秋晴れの下でのさわやかな艦艇広報となった。

第18次ゴラン高原派遣輸送隊
<シリーズ>
4大マーチ制覇!!
3空曹  猪谷将司
 日本のみなさん、こんにちは。
 ゴラン高原で勤務して3カ月余りが過ぎました。その間、地獄の4大(オースバット・コヨーテ・スコーピオン・ワジ)マーチが行われました。それぞれのマーチの特徴として、オースバットマーチは険しい山道を2日間かけて歩く最も過酷なマーチと名高く、コヨーテマーチは平坦なコースではあるものの全マーチ中、最長距離というのが特徴です。また、スコーピオンマーチは比較的起伏が少ないので歩きやすく、ワジマーチは平坦な大地に突如現れた地球の割れ目のような渓谷を歩くマーチで、風通しと足場が悪く、オースバットマーチに匹敵する過酷さが特徴です。
 オースバットマーチとはオーストリア大隊が主催するマーチで、2日間に渡り実施されました。1日目は、距離21km、標高差400mの行程で足に大きなマメができた者もいましたが、全員無事完歩しました。2日目は、距離24km、標高差1,500mの険しい山肌、酸素が薄い場所を歩くため非常にきつく、到着後は嬉し涙なのか何なのか分かりませんでしたが、自然に涙が出てきました。本当に達成感と充実感を味わうことができました。
 この4大マーチを完歩した者は、日本隊43名中、14名。その中の1人が私ですが、体力・気力とチームの和がどれだけ大切なものかつくづく思い知らされました。
 最後に、このゴラン高原に来て日本隊の仲間に出会い、また他国の仲間と出会い、本当の絆の大切さを知りました。残り4カ月、さらに絆を増やし日本に帰りたいと思います。
 皆さんもゴラン高原に来て、仲間と一緒に汗と涙を流してみませんか…?
車両競技会で優勝
空士長  福田 将一
 私は、11月1、2日に開催された車両競技会(大型の部)に出場しました。この競技会は、車両を安全に運行することが目的であり、派遣間において日本にいるときから優勝を狙っていた競技会の一つでした。他の隊員の期待を感じながら2週間という短い訓練期間で、先輩から指導を頂きながら練習を積み重ねていきました。
 さて、競技会は2日間にわたり大型、小型に分かれて実施され、初日は筆記試験、故障探求が行われました。筆記試験では日頃の勉強の成果が出て平均点を上回る得点を取ることが出来ました。次に、故障探求では審判が他国の派遣隊員のため、答え方は全て英語でした。英語能力の低い私は笑顔で「This!」「Here!」と簡単な単語の連発でした。しかし結果は満点であり、これはもしかしたら…と心に余裕が持てました。
 2日目はいよいよ実技試験。初日とは雰囲気が全く違い、戦場と化していました。私の順番は最後から2番目であり、他の隊員が障害物に接触する姿を見てコースの難易度の高さを感じました。「ここは平常心でいなければならない」とは思っているものの、不安と焦りで余裕などありませんでした。しかしそんな時にとっさに頭に浮かんだのは派遣隊長方針である「和」という一言でした。日本人らしく、自分らしくいつもどおりのことをすれば結果はついてくると思い実技に挑みました。
 その結果、個人優勝を手にすることが出来ました。また、個人優勝だけではなく、大型の部優勝、そして日本隊総合優勝を勝ち取ることが出来ました。
 この優勝は私だけの力ではなく、日本隊の皆さんが支援、応援をしてくれたお陰であり、日本隊全員で勝ち取ったものであると思います。
 最後に、この優勝を「自信」と「誇り」にし、残り3カ月の任務を無事故で、また元気な姿で日本へ帰国したいと思います。

防衛ホーム 俳句コーナー
 どんづまり団平舫ふ運河冬  御手洗敬子
 今日の日よさよならと言ひ落葉踏む  浅倉サカエ
 泊り客共に餅搗く山の宿  神濱 桜枝
 七福神詣一句も授からず  西村 爽風
 初泣の隣の子等の名を知らず  川端 初枝
 田畑守るほかは知らずに鍬はじめ  佐藤 泰之
 いつ見ても睦みいつもの寒雀  滝澤 緋沙
 曲りぐせ直らぬままに筆始  菊池 緑
 ねんねこの小さき瞳の満ち足りて  鶴間 俊子
 元朝の富士に敬礼七十九  井手南想子
 島裏の寄り合ふ家に初日射す  畠中 草史
 寒晴の田にわが影を濃く落す  長尾 花子
 風の子の街から消えしお正月  青木 敏夫
 病む母の手鏡に見る初御空  棚橋 弘子
 あどけなき巫女より破魔矢授かりし  西澤 桃園
 梅の香の屋根にもの干す蜑(あま)の路地  山田 れい
 すみれ日を少し分けてもらひし冬菫(すみれ)  和田 渓山
 幸せと思ふ幸せ初湯かな  清家はるみ
 地吹雪にたてがみ凍てし寒立馬  晴山 雅之
 初空へぐんぐん伸びる凧の糸  馬場 美雪
     選者吟
 初鏡人を欺くことをせず  保坂 伸秋
     (「栃の芽」誌提供)
 「栃の芽」誌をご希望の方は<栃の芽会連絡先=仙台防衛施設局総務部・畠中草史氏電話022・295・1281内線3100>へご連絡下さい。

イラク派遣を終えて シリーズ
空自第8航空団 基地業務群通信隊 空士長 池上 要
 私は、イラク復興支援派遣輪送航空隊第3期後段要員として7月中旬〜10月中旬までの間、航空自衛隊が本拠地とするクウェート国(アリ・アルサレム空軍基地)において勤務しました。
 現地に赴くまでは、砂漠しかなく木も生えていない国で、建物も煉瓦で出来ているのかな?なんて思ったり、イスラム教を中心に回っている世界なので、仏教を信仰している自分達は、どんな扱いを受けるんだろうか?など、複雑なイメージと心境でした。
 私の職務は通信員です。指揮管理データ通信網及び頼配信系という2つの通信系の運用に従事していました。その勤務の中で一番困った事は、パソコン等の電子機器の機能維持です。現地は砂漠のど真ん中に基地があり、基地内も建物以外は砂しかないという状況で、時には、砂嵐が発生して視界が10m程になる時もありました。その為、通信室の窓や扉、エアコンの送風口等、あらゆる所から大量の砂が入ってくるため、パソコンドライブのクリーニングや拭き掃除、エアダスターによる砂の除去を1日でも怠れば、器材が故障してもおかしくない状況でした。ですから1日2回、上番下番時には通信班員全員での清掃を実施しました。しかし、ウエットティシュ等の清掃用具の絶対量が少ないため、補給物品受領後1カ月を過ぎた頃にはそれらが不足し、濡れ雑巾を使うこともありました。通信員である我々の扱っている器材が故障するということは、通信所だけでなく派遣部隊全体にも多大な影響を及ぼすため、非常に神経を使う作業でした。
 次に生活環境についてですが、私が派遣された期間は、冒頭にも述べたように7月中旬〜10月中旬という、クウェートで最も暑い時期です。クウェートの地に降り立った時(現地時間06:00)には、事前教育で聞いていたのとは違い、正直なところ「日本と変わらないな」と思いました。が、現実はそんなに甘くありませんでした。日中、正午に近づくにつれて、どんどん気温は上昇し45℃は当たり前、派遣期間中の最高記録は52℃をマークしました。舗装面上に至っては72℃という、日本ではあり得ない非常に過酷な環境でした。ですが、外を徒歩で歩く事はほとんどなく、移動にはエアコン付きの車を使用しますので、派遣候補者の方はあまりご心配なく。車は左ハンドルですので最初は違和感がありますがすぐに慣れます。また、宿舎で困ったことは、洗濯機及び乾燥機が隊員数に比べ少なく、常日勤者は使用時間に工夫が必要でした。自分は幸いにもシフト勤務だったので夜勤入りや夜勤下番時に使用していたため、そこまで不便には感じませんでした。
 次に自分が派遣前に一番気にしていたことが『食事』でした。聞いていた話ではアラビア料理が出るという事だったのですが、自分達が着隊した時には、すでに空自の食堂が出来ており、日本食が普通に食べられました。味も良く、納豆が出た時や餅が出た時には少し感動しました。特に嬉しかったのが本邦(6空団)から送られてきた、ふりかけ「ゆかり」は皆に好評で、1週間ほどでなくなってしまい自分は2膳しか食べることが出来ませんでしたが、クウェートの地で食べる「ゆかりご飯」は格別でした。メニューも豊富で、問題なく日本食が楽しめます。あまりに美味しかったので、私は運動時間の制限と、おいしい食事のおかげで5kmも太ってしまい、今は減量の日々です。
 今回の派遣において、一通信員として勤務し、海外勤務ならではの苦労を体験しましたが、それも今となっては自衛隊生活での貴重な経験になっています。派遣期間の3カ月間の勤務を全うできるかという不安と、家族への心配を乗り越えて、先輩方や周囲の人に見守られ、助けられ、何とか無事に任務を完遂し帰国出来たことを嬉しく思います。本当に有り難うございました。機会があればこの経験を生かし、国際平和維持活動など他の任務での海外勤務を希望したいです。
 私の経験が今後派遣される隊員方の参考になれば幸いです。

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