防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   995号 (2019年1月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第21回>

「言挙げ」の必要性

 日本文化の大きな特色として、「言挙げ」しないことをあげたい。「言挙げ」とは言葉に出して言い立てることである。日本の社会、文化は伝統的に言葉による強い主張を控える傾向をもつ。
 日本には「奥ゆかしい」という美意識がある。自己の能力や業績を主張するのは、はしたない。控え目をよしとする。日本で「自己主張が強い」という評価は決して称賛ではない。
 日本人は相手の非を論理的につき詰めて攻撃することを好まない。和を好む日本人の感情が理を超える。理は酷薄である、あるいは理屈は浅薄であるといった感情がある。ゆえに日本人は、概ね欧米流のディベートの敗者となる。
 日本人は話すことよりも聴くことが大事だと考える。それを教える比喩として、「口は一つだが耳は二つある」という。松下幸之助は聴くことを最も重視した経営者であった。松下はよく聴くことによって、経営の神様といわれるようになった。古来、日本人が聖者として尊敬した人は、決して雄弁な指導者ではなく、人の言うことをよく聴いて直ちに深い理解をしてくれる人であった。
 言挙げしない日本の国の伝統は古い。古代の歌人柿本人麻呂は詠む。「芦原の瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども言挙げぞ我がする 言幸く さ幸くませと‐」。日本は言挙げせぬ国だが、自分はあえてすると言っている。古代、言葉には呪力があると信じられており(言霊)、むやみな言挙げは慎まれた。
 日本文化に大きな影響を与えてきた禅は、言葉によって真理の伝達が可能だと考えない。禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)である。技術での熟達、正しく生きる術の獲得、創作力といった事柄は、すべて「言葉で伝え難きもの」である。
 武士道も日本文化の形成に力があった。この武士道が多弁を嫌う。特に言い訳を最も嫌った。自己の非を認めた場合、言葉による申し開きをせずに黙って責任をとる(切腹する)のが武士道だった。言い訳をいさぎよしとしない武士道的美意識は日本にまだ残っていると思う。
 日本人は、真の認識は言葉では伝わらないと考えているところがある。そして日本の歴史の中に、「至誠」は言語を越えて通じるという信仰も生まれた。
 このように、言挙げを控える文化をもつ日本は温和で、争いは少なく、住みやすい、よい社会を形成してきた。しかし世界の国々をみると、ほとんどが言挙げする国である。ヨーロッパ、アメリカ、中国、インド、韓国などすべてそうである。言挙げする文化が世界標準であり、日本が異なっている。
 ここに世界の中で生きる日本の最大の問題がある。明治の開国から現在まで、自国が言挙げしない文化のゆえ、日本は諸外国に対して日本の主張をあまり言挙げしないできた。これが日本の国益を損なってきたと思わざるを得ない。
 日本の国益のために、そんなことは国がやるべきだなどと言わずに、国民個人が日本の主張と正当性を、世界のだれもが納得するわかりやすい良識のロジックで、いろんな機会に言挙げしていくことが必要である。そして、これを世界共通語の英語でやる必要があると思う。
(2019年1月8日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


採用年齢改正後初の自衛官候補生入隊式
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東部方面混成団
 平成30年10月、自衛官の採用年齢が改正され、これまで27才未満であった採用上限年齢が33才未満へと引き上げられ、制度改正後、初めての入隊者8名(東部方面混成団第117教育大隊=武山)が冬晴れの12月8日、入隊式を迎えた。
 過去、警察や服飾業を経験した和田自衛官候補生(30才)は「当初は規則正しい生活リズムを送ることがきつかったが、着隊から約2週間が過ぎて、生活にも徐々に慣れてきました。同期たちにも恵まれ毎日、充実しています」と語った。
 入隊式に参加していた母親も「かつて、年令の壁であきらめた自衛官への道が、制度改正により開かれ夢を追いかけることが可能になり良かったと思います。息子の制服姿は立派だと感じました。また、そんな息子を誇りに思います。今後、一生懸命勉強、訓練に励み、立派な自衛官となり国民のために活躍してほしいです。そして将来は陸曹になってもらいたいです」と述べた。
 過去、陸上自衛隊に7年間在籍していた経験のある櫻井自衛官候補生(29才)は義父、妻そして娘に見守られながら入隊式を迎えた。「自衛隊の生活、同期たちとの年令差に対する不安はありません。かつて自衛官であった経験を活かし、同期を引っ張っていける存在であり続けたいと思います」と抱負を述べた。妻は「自衛官の道を自ら選んだ夫の生き方を誇りに思っています。これからの生活に多少不安はありますが、離れていても互いに助け合い支えていきたいと思います」と語った。
 建築業、運送業を経験し採用上限の年令で入隊した片岡自衛官候補生(32才)は、「体力面、特に駆け足が辛いが、自分の異業種での経験を活かし、同期がまとまるよう役に立ちたいと思います。早く一人前の自衛官になって家族への恩返しをしたいです」と抱負を述べた。
 彼らは今後、武山駐屯地で自衛官候補生として約3ヶ月の教育を受け、2月下旬には陸上自衛官に指定され、各部隊に配属される予定である。今後、彼らが採用上限年令引き上げによる入隊者の道標べとなることを期待したい。
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中部方面混成団
 中部方面混成団第110教育大隊(大隊長・藤井鉄也2陸佐=松山)は12月2日、愛媛県自衛隊隊友会・長瀬川紘一郎会長をはじめ、多数の来賓並びに家族を招いて「第3次募集期自衛官候補生課程入隊式」を実施し、75名の新隊員の入隊を祝った。
 本教育は自衛官の採用年齢の上限を26才から32才に引き上げてから初めての教育で、30才以上の隊員10名も10代の隊員と汗を流すことになる。
 式では、新隊員代表井出隆介自衛官候補生ほか全員で、声高らかに宣誓しその決意を式場に響かせた。
 会食では、京都市の中学校で英語教師だった山田自衛官候補生が「西日本豪雨での自衛官の活躍に心を打たれ意を決して入隊を決意しました。困っている人の役に立つため頑張ります」と決意表明した。
 大隊では、「社会に役に立つ人の育成」をコンセプトに新隊員を教え育んでいく。

話題の新刊
日本人のための核大事典
日本安全保障戦略研究所・編著
 日本の核戦略とは何か。これまで日本は、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核3原則により、米国の拡大核抑止に依存しつつ、あえて言えば核抑止戦略には触れることなく、日本は核について目をつぶってきたのではないだろうか。
 この明らかにされてこなかった日本の核抑止戦略の疑問に応えるのが本書である。核兵器の脅威、欧州先進国の核戦略の紹介、日本が取りうるオプションについて述べ、核兵器については正しく大事典としての内容になっている。国際連合や国際法についても触れており、核兵器とその周辺についても網羅している。
 また、日本が将来的に核兵器をもつ場合のオプションまでをも提示している。いずれも実現の可能性があり、現行国際法との折り合いの付け方、そして国内法の順守の下での提示に努めている。この際、本大事典が一貫して維持している姿勢として、現実的な核施策、核抑止戦略の提示に努めていることである。
 著者は、5人とも防衛省自衛隊出身者である。力むことなく、冷静に平易に、図解による説明など、客観的表現を維持している。核兵器に関する内容としては、読みやすい文章になっている。
 事典という形で、やや高額ではあるものの、その金額にふさわしい内容であることは間違いない。(小川清史、高井晉、冨田稔、樋口譲次、矢野義明・著 国書刊行会・刊 4200円+税)

祝 20周年
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海上自衛隊補給本部

 補給本部(本部長・大島孝二海将=十条)は12月7日、創立20周年記念行事を開催した。功績のあった隊員に対する表彰式、補給本部長の訓示のあと、元宝塚歌劇団星組トップスターの北翔海莉氏を講師にお招きし、記念講話を実施した。
 北翔海莉氏は、「譲る愛と受け継ぐ心」と題して講話され、宝塚音楽学校に当時、倍率40倍の超難関を突破して入学したものの、宝塚音楽学校に入学する前に、他の同期生と異なり、歌やダンスなどの習い事をしていなかったことから、入学後は授業についていくのに大変苦労をしたことなどの経験談を紹介された。また、常に周囲への感謝の気持ちと他人への気遣いを忘れず、何事にも向上心を持って、地道な努力を重ねていくことの大切さ、トップスターとなって自らの後を受け継ぐ後進を育成することの重要さをお話された。講話を通じて、宝塚音楽学校の校長には海軍兵学校出身者もおり、「海上自衛隊の教育と相通ずるもの」を強く感じるとともに、特にこれからの海上自衛隊を担う若い隊員にとって、「困難を克服するためのパワー」をいただいた。
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舞鶴 造修補給所 弾薬整備補給所

 舞鶴造修補給所(所長・木村雅樹1海佐)および舞鶴弾薬整備補給所(所長・赤尾信哉2海佐)は、12月8日、開所20周年を迎えた。冷え込みは厳しかったものの晴れ間も見える天気に恵まれ、開所記念行事を実施した。
 舞造補所長訓示においては、平成10年の後方部隊改編に至る経緯から紐解き、厳しい安全保障環境下、所長指導方針「前へ」の旗印のもと所員一丸となって課題を克服すべく心を新たにした。舞弾補所長訓示においては、部隊改編以降の日本を取り巻く環境の変動および技術革新による新たな戦闘環境へ対応するべく、所長指導方針「精強・即応」、「勇猛果敢」の旗印のもと弾薬後方支援の適時適切な実行および、業務の改善に向けた意識を再確認した。
 夕刻からは舞鶴地方総監、元所長臨席で舞鶴造修補給所、舞鶴弾薬整備補給所合同の祝賀会を催し、平成24年に当時の舞鶴造修補給所長・鈴木学氏によって制作された所歌を造補所参加者で合唱し、大いに会が盛り上り、より良い後方支援の実施に向け前進することを期してお開きとなった。

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