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   2007年12月1日号
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砕氷艦「しらせ」最後の航海へ
昭和基地で南極観測を支援
乗員家族ら約600人が見送る
盛大な見送りを受けながら出港する「しらせ」
 海自砕氷艦「しらせ」が11月14日、第49次南極地域観測協力のため晴海埠頭から出港した。派遣されるのは艦長・品川隆1海佐を指揮官に乗員約170名で、昭和基地への人員・物資の輸送とともに艦上・野外観測や基地作業などの支援を行う。「しらせ」は来年8月に退役する予定で、今回が最後の航海となる。
 出港に先立ち、出国行事が「しらせ」飛行甲板で行われた。吉川榮治海幕長は壮行の辞の中で、「諸官はこれから厳しい自然環境のもと、日頃の訓練の成果を十分に発揮し、輸送や支援作業等、広範多岐にわたる業務を限られた期間内で完了するということを求められている。南極の気象、氷の状況等の自然環境は千変万化であり、さらに孤立無援の条件下のうちに任務を完遂するためには周到な準備と的確な情勢判断及び緩急自在な対応が必要である。困難な局面に際しても、最後まで忍耐強く沈着冷静な姿勢を堅持し、一人ひとりが海上自衛官の真価を発揮してもらいたい」と述べた。正午、見送りのため集まった観測隊や乗員家族、自衛隊OBら約600人が見守るなか、「しらせ」はゆっくりと出港した。
 「しらせ」は晴海を出港したあと、豪州フリーマントルに寄港し、観測隊員54名と約879トンの物資を昭和基地まで輸送する。南極で約3ヶ月間活動した後、来年4月12日に帰国する予定で、151日間にわたり約3万7000キロを航行する。「しらせ」後継艦は京都・舞鶴において建造中で、09年の第51次南極地域観測支援から任務を引き継ぐ。名称は11月13日、南極地域観測統合推進本部の総会で、先代と同じ「しらせ」に決定した。

創立57周年を祝う
《豊川駐屯地》
 豊川駐屯地(司令・藤田穣1陸佐)57周年記念式典が10月27日、訓練場で約4000人が参加して盛大に行われた。
 整列隊員約1200名、車両約200両、 模擬戦では、火砲、戦車などの空砲も高らかに響きわたった。隊員は約30分前から訓練場に整列した。来賓を初め、地域住民等の来場者は、雨のなか微動だにしない隊員の整列した勇姿を目の当たりにして、感動を隠せなかった。式典では、藤田司令が式辞の中で「国民の安全のために任務を果たす決意」を述べ、地元の国会議員、首長らが自衛隊の活動に期待を寄せた。この後、観閲行進により部隊の精強性をアピールし、音楽隊演奏に続き、模擬戦闘訓練が行われ、隊員たちは雨の中でも日頃の訓練の成果を披露して見せた。
 駐屯地内では、装備品等展示、野外売店、作品展示、体育館では、音楽隊の演奏、駐屯地太鼓部「三河陣太鼓」の演奏(=写真)、地元の高校生等のダンス、チアリーディング、仮面ライダーショーなどにより、訪れた見学者を大いに楽しませた。

雪月花
 アメリカ海兵隊の創立記念式典が先ごろ、東京・南麻布のニューサンノーホテルで行われた。このホテルは米軍や家族専用だから建物も警備も売店のスタイル、品物まで何もかもがアメリカン、早めに行ってブラブラするのも楽しかった。招待客の日本女性の多くは和服だし、会場入り口では儀仗兵が出迎えてくれる、黒地に赤と金色の礼服がなんとも華やかで気分が高まる。しかし式典が始まると一転、宣教師の祈りや日米両国の国旗入場、国歌の演奏で荘厳な気持ちにさせられる。さらに、よく見ると会場の一つのテーブルには黒いクロスが何人分もきちんとセットされている。司会者の説明によると、本来なら当然出席したであろう海兵隊戦死者の席なのだそうだ。どこで何人が犠牲になったのかは聞かなかったがこのテーブルでは空席のままローソクが最後まで燃えていた。米海兵隊は、1775年に創設され、ことしは第232回目の記念日となったが、その誇りはよく引用される第13代海兵隊総司令官のJ・A・レジューン将軍のメッセージにも現れている。「わが海兵隊の歴史は世界史上最も高名なる軍隊組織の歴史に匹敵し並び称されるものであり、歴代の海兵隊員は両半球と七つの海の隅々にいたる戦闘の中で歳を重ねたものである」。またキャンプ富士司令官のケネス・X・リスナー大佐は「倒れた回数の多さより立ち上がった回数の多さが重要だ」とすごい挨拶をした。長い歴史と多くの犠牲の上に培われたこれがアメリカ魂であり自負なのだろう。

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