公益社団法人隊友会機関紙「隊友」(8月15日付け第796号)の「読者の庭」コーナー。札幌地方協力本部南部地区隊の木村太郎3等陸曹の寄稿文「あの日の声をわすれるな」が目に留まりました。
木村3曹が取り上げていたあの日とは、早や半世紀以上前の1968年(昭和43年)7月2日に、当時の少年工科学校「やすらぎの池」で生起した生徒12期生13名の殉職事故のことでした。
木村3曹は、現在の高等工科学校で毎年行われている慰霊式で流れる歌「13の吾が友」の中にある「俺達にはまだ愛国心なんてわからない、でも国を守る先頭に立つんだ」という歌詞が今でも思い出され、あの当時の悲劇が心に語りかけてくると述べています。
そして自身も生徒12期生であり現在は募集相談員を務めている佐々木正美氏から無言で渡された一冊の本「武山・やすらぎの池の絆」を紹介。最後に次のように締めくくっています。
「我々現職自衛官が今後の自衛隊を担っていく上で、人の死という代償で安全管理の重要性を学ぶことがないように、あの日の13人の犠牲を語り継がなければなりません。初夏になると、「もう俺ら以外に犠牲はいらない」と、あの日の声が今も私の心に語りかけてくるのです。」
自衛隊に与えられた任務の特性上、任務完遂に向けた訓練や行動には、常に様々な困難や危険が伴います。
しかし、事故等によって国民の生命や財産に被害をもたらすような事態は、何としても避けなければなりません。更に、自分たちの仲間・同僚隊員を失うことは、耐えがたい悲しみであることは言うまでもありません。
「やすらぎの池事故」を始め、様々な事故が発生した都度、防衛省・自衛隊では事故原因の徹底究明に努め、再発防止策等を講じて来ています。残念ですが、悲劇は止みません
令和2年度「防衛白書」は、1950年(昭和25年)に警察予備隊が創設されて以来今日まで、任務遂行中に不幸にしてその職に殉じた隊員は、1900人を超えていると述べています。そして令和元年度の自衛隊殉職隊員追悼式では、新たに12柱(陸自4柱、海自4柱、空自3柱、機関等1柱)の顕彰が行われた旨を記述しています。
筆者もかつて部隊葬等に参列したことがあります。悲しみをこらえ凛とされた奥さまと残された無邪気な小さな子供達が、お父さんの遺影に向かって花を手向け、頭を下げている後ろ姿には涙を禁じ得ませんでした。
精強な自衛隊員一人ひとりの皆さんは、同時に、かけがえのないお父さん(お母さん)であり、夫(妻)であり、息子(娘)であり、可愛い孫でもあります。
全ての隊員の皆さん、部隊指揮官の皆さんには、事故防止・安全管理のため、改めて最善の努力と注意の徹底をお願い申し上げます。
正に木村3曹が言われるように、「人の死という代償で安全管理の重要性を学ぶことが無いように」。
しかし、事故等にひるんでなるものか。
言うまでもなく、国民の皆さんが期待する自衛隊は、常に国民と共にある国民の為の「精強な自衛隊」です。
そんな自衛隊を担い・担って行くのは、安全管理を徹底しつつ、同時に、自らの任務遂行に決して臆することの無い「精強な自衛隊員一人ひとり」なのです。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事 |