【それは、一人の陸軍中尉の日記から始まった】
著者である工藤智恵がこの本を書こうと思いたったきっかけは、「航空56期生」の将校の一人である進藤俊之中尉の実妹美代子さんから頂いた一冊の日記からだ。美代子さんは毎年、兄の命日には著者が神職を務めている松江護國神社にお参りに来られており、著者はよくそこでお兄様の想い出話を聞かせていただいていた。平成25年3月、その日も命日のお参りに来られていた美代子さんから、「兄の士官学校時代の日記を私がまとめて本にしたものなの」と一冊の本をいただく。「若桜」と題するその本には当時の国を守る将校の心情が細かく記されていた。その日記に感銘を受けた著者は「進藤中尉の様な立派な方が、私たちが今幸せに暮らしている故郷を護って下さっていたこと。そのことを地元の人たちにも伝えたい」との思いに至る。
ただ知れば知るほど当時の資料が不足していることを痛感した著者は美代子さんに相談、「判らないことがあったら、航空56期会の代表梅田春雄さんに聞いてみるといいでしょう」と紹介され、平成26年4月、梅田代表に初めて連絡をとる。それからは毎日のように梅田代表から航空56期の事を教えていただくようになり、数か月後の平成26年の7月、代表から「私が保管している56期の資料をあなたに託したい」と、特攻隊長達の素顔が解るこの貴重な資料をいただいた。そして著者は、これらの資料を基に本書「留魂」の制作に着手する。
【比島レイテの空に散華した若き特攻隊長たちの心情が読者の心に突き刺さる】
本書第1巻では、若き青年将校10名が登場し、父母兄弟への手紙や友人たちの話しを通し、幼少期から特攻に至るまでの心情や行動が逸話として見事に纏め上げられている。その一部を本書から抜粋、紹介させていただく。
「もし私に、万が一のことがあっても絶対に泣かないでください。…支那大陸の大空にいつまでも生き続けて日本を守っています」 -進藤俊之中尉の家族あての手紙から
「あの剛毅な敦賀中尉が、下宿のおばさんに涙を見せた。これはまったく初耳であったしショックでもあった。…」ーー常陸教導飛行師団特攻記録より
56期生達は、近い将来大空に散華することを覚悟して、それぞれに決意のほどを「留魂録」という本に書き記し、各自大切に持ち歩いていた。この象徴すべき名称は本書のタイトルにも引用されており、若き特攻隊長たちの当時の心情が生の声を通して読者の心に突き刺さる、まさに珠玉の一冊である。
【本土防衛戦、沖縄戦で生き残った同期生たちの雄叫びが聴こえる】
「留魂」第1巻は関係者から大きな反響を得た。神職としての役割の一端を果たしたと安堵していた著者は、反面その責任の重さも感じていた。航空56期生の愛国の叫びが聴こえてくる「留魂録」はじめ梅田代表から託された貴重な資料をもっと活かさねば。現代では知られていない「航空将校達の真実の姿」をもっと広く伝えなければ、との思いに駆られ、第1巻が発行されてから3か月後の平成29年3月、第2巻を書き始める。本書は第1章で昭和20年の本土防衛戦、沖縄戦を中心に56期生7名の当時の心情が綴られており、第2章では、本書制作に際し貴重な資料となった会報「紫鵬会通信」の中から、重点企画として連載されていた「大東亜戦争・生死の分かれ目 あの時あの瞬間の記録」を取り上げ、当時の実戦の記録を、戦火に散った彼等の最後の雄叫びとして伝えている。
第1巻・2巻を通し、全編に流れる「生の記録」は、著者である工藤智恵の「我が国の永遠の平和を願った」渾身の一冊であることに間違いない。(松江護國神社松江護國神社崇敬会・刊) |