防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   988号 (2018年10月1日発行)
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近間から遠間から
〈桑沢 慧〉
小松
 ゲートを一歩入ると見えるのも聞こえるのも全て英語。闊歩する米軍人たち、第七艦隊旗艦ブルーリッジや、空母キティーホークの威容を見上げていると、外国の軍港にいる緊張感からか、私はつい「ここが昔は横須賀鎮守府だったのか…」と独り言ちた。
 平成12年11月26日、日曜日。米海軍横須賀基地に停泊するイージス駆逐艦ジョン・S・マケインで催されたサンクスギビングのパーティーに参加した私は、友好的なムードを楽しみながらも、もやもやした気持ちをぬぐい切れぬまま基地を後にした。すると、パーティーに招いてくれた元防大教授が、予定にはなかったある場所へ私をいざなった。
 横須賀基地からさほど離れていない米が浜通り沿いにある、古めかしい旅館のような木造二階建ての建物。入り口には「料亭小松」とある。行き先を知らされていなかった私は思わず目を見張った。ここが日本帝国海軍の歴史を今に伝える海軍料亭「小松」か。雲を踏むような足取りで庭先を進み玄関をくぐると、和服で端然と座して迎えてくれたのは二代目女将の山本直枝、御歳91歳。小松に通った名だたる提督たちと交誼を結んだ、伝説の女将だ。二階の大広間は大勢の和装のご婦人で茶会の最中だったが、我々を快く受け入れてくれた。
 小松の開業は横須賀鎮守府が開設された翌年の明治18年で、初代女将は山本コマツ。旧名は悦。皇族の小松宮彰仁親王からその名を賜り、これが屋号の由来となる。横須賀が軍港として整備が進み日清、日露戦争を通じ軍艦と軍人の行き来が激しくなるにつれ、小松は海軍士官たちで大繁盛した。総理大臣、海軍大臣などを歴任した山本権兵衛、日本海海戦の連合艦隊司令長官、東郷平八郎などが常連となった。東郷は三日も居続けた揚句、コマツに「一度お艦にお顔を見せてまた出直していらっしゃい」と言われ渋々帰ることもあった(海軍料亭小松物語・かなしん出版刊)。
 昭和2年、コマツは養女にしていた甥の娘で当時18歳の直枝に女将を継がせる。古参女中のいじめに陰で涙するなど、直枝が苦労を重ねて一人前の女将に成長した30代の頃、日本は三度目の戦争に突入していた。
 「あの三人のお陰で、今の日本があるんですよ」直枝が言う三人とは、山本五十六、井上成美、米内光政のことだ。海軍左派トリオと呼ばれ、三国同盟にも反対したこの三人と直枝は特に親しかった。山本五十六は下戸だったが、小松での宴席にはよく訪れ、若い人を楽しませるのが上手だった。「気持ちの優しい方で、女性には本当にもてましたね」。
 昭和17年、連合艦隊司令部がトラック島へ進出した年、小松は同島に支店を出す。松の字にちなみ「トラック・パイン」と呼ばれた支店で翌年、山本長官が幕僚の壮行会を開くと知った直枝は軍用機で現地に赴くが、着いた時には山本長官はブーゲンビル島へ飛び立った後だった。一ヶ月以上後にその戦死が発表されると直枝は虚脱感に襲われながら、連合艦隊司令長官が死ぬようでは今度の戦争は容易なことではない、と確信したという。
 19年3月末にトラック・パインは空襲で跡形もなくなり、4人の従業員が犠牲となった。昭和20年の終戦時の首相で海軍大将の鈴木貫太郎をはじめ、海軍大臣の米内光政、次官の井上成美など、終戦への道を開くため尽力した提督たちの多くが小松と縁があった。同年11月、横須賀鎮守府廃止。小松は鎮守府の残務処理関係者の宿舎となった後、占領軍の指定料理店となり芸者の踊りを披露したり敷地内にサロンを作りバンドを入れたりしたが、直枝はそれ以外のことには応じなかった。
 その後も海上自衛隊や在日米海軍、財界人などに利用され、帝国海軍在りし日と変わらぬ佇まいで在り続け、昭和60年には創業百年を迎えた。だが平成16年に直枝が95歳で亡くなり、その12年後の一昨年5月16日、小松は原因不明の火災で全焼。先に逝った時代の後を追うように、忽然と消えてしまった。
  
桑沢 慧(くわさわけい)
 明治神宮武道場至誠館剣道科出身のフリーライター。これまでセキュリタリアン(防衛弘済会)、歴史群像(学研)などに執筆。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
自衛隊秋田地方協力本部 牧野 力
牧野氏は平成22年3月に秋田駐屯地業務隊を1陸尉で定年退職。61歳(記事作成当時)
 私は、平成22年3月の定年退職後、自衛隊秋田地方協力本部援護課地域援護センター援護係に非常勤隊員として採用されて以来、早いもので8年目になりました。
 私は再就職に際し、通勤距離や勤務形態をまず優先し、自衛隊で培った気力・体力・経験が活かすことができる会社での再就職を考えていた矢先、秋田地本の非常勤隊員の求人があることを聞いた瞬間き、突然、感電死する位の電流が全身にビリッ・ビリッ・ビーンと走り「私の転職はこれだ!」と直感しました。
 それ以来、私は「キャリアカウンセラー」や「キャリアコンサルタント」の資格に挑戦・取得し、更に駐屯地の各種援護会同等に積極的に参加する等、再就職業務に関する知識・能力を深めて逐次準備を進め、平成22年度非常勤隊員採用試験を受験、晴れて合格し採用となりました。
 その後の契約更新のための試験も、当初1年毎でしたが、その後3年毎となり、少しは安堵したものの、何度やっても緊張感全開です。
 私の主な業務は、任期制隊員の就職援護です。隊員と面談し、本人の希望する業種や勤務地、給与といった様々な希望を聞き、求人のある企業とマッチングさせることです。
 そのためには、隊員の心情を包み隠さず掌握する必要があり、当然、隊員の服務に関することも漏らさず確認するため、相互の信頼関係の構築が必要不可欠です。
 隊員と面談する際は、隊員の緊張をほぐすためコーヒーを出し、明るい笑顔で接し、世間話に多少の冗談も混じえ、リラックスさせることを常に心がけています。また、企業の人事担当者との連絡・調整を迅速・綿密にし、お互いの知りたい情報のパイプ役として採用に至るまで十分な配慮をしながら業務を進めています。
 就職後、隊員から「お陰様で、元気にやっています!」と明るい声を聞いたときや、企業の人事担当者の方から「いい隊員が入社してくれた。次回も自衛隊から採用したい!」とのお話をいただいた時は無上の喜びや達成感を感じます。
 今後とも更に企業開拓をしながら人事担当者の方々とのお付き合いを大切にし、信頼される援護係を目標に日々精進して参ります。そして、今現在も秋田駐屯地で勤務できることを無上の喜びとして隊員の幸せのために尽くせることを幸せに感じております。
 最後に、誠に恐縮ではございますが、これから就職される隊員の皆様へ何より大切なことは健康だと感じます。早期受診、早期治療に専念し、笑顔満点で就職が出来るよう心からお祈りしますと共に皆様のご活躍とご多幸をお祈り申し上げます。

HOME's English Class(防衛ホーム英語教室)
Don't rush into the train!
ドント ラシュ イントゥ ザ トレイン
駆け込み乗車はやめて!

Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。急に気温が下がり始めました。雨の日も多くなりました。最近は、秋霖(しゅうりん)前線とか秋雨(あきさめ)とかあまり会話で使わなくなりました。気象情報もデジタル化され、刻々と天気予報が伝えられるようになり、その時々の予報で物事を判断するようになったからでしょうか?3時間後に雨という予報なら、傘を携帯するといったように時間単位で情報を更新していく時代になってきました。その中でいつまで降り続くかわからないような、「しとしとした長雨」は、生活にマッチしないのかもしれません。それが季節の情緒なんですよね。

 さて、今回の表現は、"Don't rush into the train!"「駆け込み乗車はやめて!」です。都会では、公共交通が発達し、運行スケジュールも分刻みで、緻密に構成されています。下車すると、そのホームで乗り継ぎ電車が待っていることもあります。筆者は、急いでもいないのに、電車に駆け込むことが常です。(笑)rush into〜は、〜に駆け込む、急いで中に入るという意味です。大学入試でよく出る前置詞の問題です。受験英語はほとんど日常では使わない単語を記憶することですから、地下鉄の注意書きにこのフレーズを見つけた時には思わずほくそ笑んだ記憶があります。ゆっくりと安全に乗降車するように心がけようと思っています。

 すでにインフルエンザが流行りだしているそうです。急に寒くなると体調を崩しやすくなります。少しでも不調を感じたら、大事をとってゆっくりなさってください。秋はこれからです。一日一日を大切に、陽気でストレスの少ない日々をお過ごし下さい。それでは、皆さん。See ya!
<スワタケル>


防衛ホーム俳句コーナー
ポスターの褪せし晩夏の港町   田中 雅巳
太刀魚を氷の山へ並べ糶る    藤井 功風
弾けたる稲架豆拾ふ老女かな   井戸田盛男
演習の白煙上がる芒原      勝又 哲子
雲海に礁めく嶺々天高し     工藤 青樹
菊育てそだていつしか白髪に   石黒誠一郎
仕来りの団子供へし月見かな   佐藤 玲美
赤とんぼ止りブランドめく帽子  棚橋 弘子
屋根の猫背伸びしてゆく秋うらら 西田真由美
ユーモアの交じる説教秋彼岸   原 つたえ
露天湯の岩に凭れて虫を聴く   川端 初枝
秋うらら待たるる稚の産着干す  古賀 芳川
澄む水のほどには澄まずわが心  藤岡 孝子
拾はれてどんぐりの旅始まりぬ  折口 桂子
さくさくと踏みし砂丘の星月夜  丸岡 泥亀
女坂四つ目垣より昼の虫     杉山ふく美
柿たわわ棚田のなかの一軒家   山岡仁美子
ぼた山の風に揺ぎし彼岸花    田中あやめ
選者吟
万緑に染まりゐ何も考へず    畠中 草史
(「栃の芽」誌提供)

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