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MCAP07開催 |
アジア太平洋地域17ヵ国、9組 |
相互理解と信頼醸成図る |
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陸上自衛隊は8月27日から9月1日までの間、「国際平和協力活動における軍民協力」をテーマに第6回アジア太平洋地域多国間協力プログラム(MCAP07)を開催した。これは、アジア太平洋地域を中心とする関係各国から実務者を招へいし、国際協力に関する陸軍種に共通の課題討議を通じて相互理解と信頼醸成を図ることを目的に行われたもので、今回、オーストラリア、ブルネイ、韓国、カンボジア、インド、インドネシア、ラオス、マレーシア、ニュージーランド、モンゴル、パキスタン、フィリピン、ロシア、シンガポール、タイ、アメリカ、ベトナムの計17カ国と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)など9組織が参加、基調講演や国際活動教育隊研修、ワークショップを行うとともに8都県市総合防災訓練を見学した。 |
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2万人来場 |
開隊50周年祝う |
《八戸航空基地》 |
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海上自衛隊八戸航空基地では9月1日、開隊50周年記念イベントとして、基地一般開放「八戸航空基地メモリアル50」を開催した。
朝方、雨模様だったが、昼頃から天候にも恵まれ、例年を大きく上回る約2万人が訪れた。
午前9時からのオープニング・セレモニーは第2航空群司令・重岡海将補の開会宣言に引き続き、来客挨拶、航空基地祭ポスターに応募した中学生への記念品贈呈、航空基地祭ロゴマーク作成者表彰式の後、「八戸華炎太鼓」の演奏、「下総マリンブルー」のドリル演技が行われた。
飛行展示はP―3C、UH―60J及びAH―1Sと続き、航空自衛隊のF―2、米軍のF―16が迫力ある飛行展示を実施した。飛行展示の最後は、航空自衛隊のブルーインパルスが白煙を引きながら華麗な飛行を行い、観衆を魅了した。
エプロン地区では、陸・海・空自衛隊と米空軍機の機種が展示され、大勢の見学者が機体を取り囲み盛んにカメラのシャッターを切っていた。
また、基地内に設けられたお祭り広場では、当基地の女性隊員による「八戸華炎太鼓」と陸自八戸駐屯地の「八戸陣太鼓」による和太鼓の競演、地元各団体による郷土芸能等やバンド演奏などが行われ基地祭を大いに盛り上げた。
基地開隊記念行事に伴う基地一般開放を通じて、多くの地元の方々との交流を図り、自衛隊及び八戸航空基地に対する理解の促進を図ることができた一日であった。 |
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《論陣》 |
世は21世紀であるぞ |
相撲界は徹底的に改めよ |
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青雲の志を抱いて上京した17歳の関取の卵が、親方や兄弟子らの「しごき」という悪しき暴力で尊い命を落とした。本人と両親の無念はいかばかりであろうか。こんなにも恐ろしい行為が、まだ相撲界にこびりついていたことに被害者のみならず1億2000万人の国民が驚いている。外国人は、国技に前近代の慣習が存在していることに驚愕している。こんなことでは、過去から決別できない一部日本を連想されかねない。それにしても、親方の「しごき」がビール瓶で無抵抗の青年の頭部を殴打する場面まであったというのだから、これは小説か映画の世界が現実化したもので、断じて容赦するわけにはいくまい。
犯罪である。捜査当局は厳正に対応しなければなるまい。確かに、いまでは相撲を国技と思えなくなっている日本人も出てきている。外国人相撲の様相を呈して久しいのだから。弱い日本人関取を1年に何度も見せ付けられるほうはたまらないだろう。不人気を挽回させる手立てをしているであろうNHKの関係者も苦労しているだろう。だからといって親方のビール瓶の殴打で決着がつくものではない。
なにゆえの「しごき」だったのか。捜査とその後の公判で判明しようが、17歳の青年が生き返るわけではない。この事件を契機にして相撲界のドブさらいをしたらいい。さまざまな疑惑はマスコミでも騒がれ、裁判沙汰にもなっている。八百長疑惑についても徹底して洗う必要があろう。
プロレスが八百長だらけ、という話を聞いたことがあるが、ことが相撲となると首をかしげる市民は筆者を含めて多いはずだ。「真剣勝負の世界」と信じさせられてきたわけだから、果敢なメスを入れたらいいだろう。
今回の事件は人間の命を相撲界、広くはスポーツ界がどう認識しているのか、という重大な問題を突きつけているように思えてならない。
命を軽く扱ってきたという点では、戦前の軍隊である。筆者の亡くなった父が、酒に酔ったさい、ふと漏らした一言は衝撃的であった。「理由もなく丸太ん棒が飛んでくるんだよ。痛いのなんのって表現できない」と。先輩兵士からの暴力だけを体に染み込ませて帰還した。生きていてくれたことで、自分の今日があるのだが、そうしてみると暴力はこの国の文化の一つかもしれない。
人命の軽視である。戦後に、根本から改められた暴力の否定である。人命尊重だ。「一人の人間の命は地球よりも重い」という有名な言葉を繰り返した総理大臣もいた。戦前の悪しき文化・価値観を否定してみせたのである。
数年前、中国のマスコミ人とおしゃべりしていた時、意外な言葉に驚いたことがある。かの文化大革命のころのことで、多くの知識人が自殺した。だが、彼はそうしなかった。「自分は昔軍人だった。朝鮮戦争にも志願した。中国の軍人は命を大事に、粗末にするなと教えられてきた。命が一番大事なものである、という元軍人精神によって自殺を回避した。同じ職場では、何人もの先輩記者が自殺したが、自分は生きながらえて今日がある」と。
軍人は一番命を粗末にする人間集団と思ってきたが、そうではないのである。危険な職場ほど命を大事にするものである。自衛隊員も同じはずである。「命あってのものだね」「死んではおしまいよ」は社会の真理であろう。自殺などもっての他、誰も同情などしない。
市民を電車事故から守るために殉死した警察官がいた。人間誰しも、市民に奉仕する、国民に奉仕するという大義に殉じたいものである。たかが相撲で、それも晴れの土俵ではなく、閉ざされた闇の「しごき」なのか、訳も判らずに将来ある命を奪われた青年の無念を無駄にしてはなるまい。 |
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