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   2007年8月1日号
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寄せ書き
晴海〜パールハーバー訓練所感
遠航部隊実習幹部 2海尉 岡澤 淳一
 遠洋練習航海が始まって数日が経過した。最初の港である晴海を出港する際には、長期にわたる航海への期待と不安があった。しかし徐々に不安は消え、充実した訓練の日々を送っている。海上自衛官にとって「海に慣れる」ということは初歩の初歩であり、これからの訓練を通じて自らの技量を高めていかなければならない。まだ航海は始まったばかりだが、日本に帰るその日まで全力で実習に臨んでいきたい。
 今年の遠洋練習航海は、旗艦「かしま」、随伴艦「さわぎり」及び「しまゆき」の3隻でのスタートとなった。実習幹部が乗員と接する機会が多いことを積極的に利用し、少しでも多くのものを吸収できるよう訓練に臨んでいる。日々の訓練においては、艦艇で勤務するための基本を学んでいるが、その一つの「部署訓練」は、艦が直面するさまざまな状況に即応するための訓練で、火災が発生した時に迅速に対処する「防火」訓練や、衝突等の事故により艦が浸水してしまった時に対処する「防水」訓練等がある。これらの訓練を行うことで、艦に不測の事態が起きた際も速やかな対処が可能となる。また「防火」「防水」訓練においては、それらの人員を指揮する「指揮官」が重要となってくる。実習幹部に必要なのは、今後勤務する上での指揮官としての能力であるので、どうすれば早く確実に目的を達成できるかをよく考えて訓練に臨んでいる。しかしながら訓練で指揮をとってみると、指揮官として行動することの難しさがわかってきた。例えば防火訓練の際には火災発生現場での指揮がうまくいかず、消火にあたっている人員がなかなか火災現場から帰還できないことがあった。このことから、指揮官は自分の指揮によって人を動かすことができる反面、判断を誤ると大変な結果を招くということを実感した。
 その一方で、日々の勤務の基本となるのが艦の各場所での実習である。艦を操艦する「艦橋」や「戦闘指揮所」、エンジンを動かす「操縦室」などで実習を行うことで、艦はどのようにして動かすことができるのか、各場所にはどのような役割があるのか、ということについて学んでいる。晴海を出港してからは、主に艦橋において勤務していたが、遠洋練習航海で身につけなければならないものとして「副直士官」としての勤務がある。これは、艦の運航を行う「当直士官」を補佐する役割があるため、艦橋では副直士官としての仕事ができるように、いろいろな点で乗員の方にご指導を頂いた。まだまだ技量は十分とはいえないが、これからも積極的に実習を行い、自らの技量を高めていきたいと考えている。
農作業を通じて
第303高射直接支援中隊=八戸駐屯地 3陸曹 高杉 俊甫
 私の妻の実家は農業を営んでいます。お陰様で妻の実家へ里帰りをした時や、米や旬の野菜が収穫された時には、我が家にそれらを送ってもらっています。当然ながらそれらはとても美味しくて、家族の箸がよく進みます。
 そんな美味しいお米や野菜を頂いている感謝から、妻の実家へ里帰りした時には、農作業を手伝うようにしています。最近では2歳になったばかりの娘も積極的に手伝いをしてくれています。農作業を手伝うようになってから、自分の携わったものが成長し、収穫を迎えて食卓に並ぶことになんとも言えない喜びを感じるようになりました。何かを育てるという経験がこれまでほとんどなかったためか、とても楽しく手伝わせてもらっています。
 この気持ちを娘にも感じてもらえればいいなと思いながら、これからも楽しんで農作業を手伝っていきたいと思います。
糧食勤務をして
第9後方支援連隊武器大隊=八戸駐屯地 3陸曹 西 憲剛
 私は5月7日から八戸駐屯地で初めての糧食班勤務をしています。駐屯地の食堂は5月から改装工事をしており使用できないので、5月から10月までの間は野外炊事車を使って食事を作っています。
 約1ヵ月間勤務をしてみて、朝4時という早朝からの勤務や汁物の味付けの難しさ、揚げ物やカレーを作った後の釜洗いの大変さ等、色々とやらなければならない事がたくさんあり驚きました。勤務する前までは、糧食勤務の人たちがこんな大変な仕事をしていたとは思いもせず、時々軽い気持ちで「今日の食事はイマイチだな」と思ったりしていた自分が恥ずかしく、申し訳ない気持ちになりました。
 残り約1ヵ月半の勤務ですが、多くの人たちに「今日の食事は旨いな」といってもらえるように味付けを勉強し、毎日自信をもって食事を作ることができるよう頑張っていきたいです
初めての出産
第5高射特科群第319高射中隊=八戸駐屯地
3陸曹 松岡 智美
 平成19年5月7日、長男「龍樹」を無事出産しました。妊娠がわかってから現在まで、何もかもが手探りで新しいことへの挑戦でした。妊娠中の10ヵ月間は、つわりや情緒不安定で辛い日もありましたが、今考えると一心同体だったので、産まれてからよりも身軽で楽だったのかもしれません。
 産まれてからは体力を消耗した自分と、痛いことや空腹等を泣くことでしか表現できない赤ちゃんとの戦いです。夜泣きで寝られない日々が続きますが、何より無事に元気で産まれてきてくれたことに感謝する毎日です。そして一番に感じたことは、産めば母親になるのではなく、日々子供と一緒に成長し子供に教えられて段々と母親になっていくのだということです。
 これからも未知の世界ですが、日々勉強して頑張っていきたいと思います。

自衛官の夫と娘
第305基地通信中隊=八戸派遣隊 三浦志津子

 私たちは2005年3月に結婚し、同年10月に娘を持ちました。その娘も今や1才8ヵ月になり、日々成長していく姿を夫婦ともに楽しんでいます。
 夫が夜勤の時は娘も寂しいようで、洗濯物の迷彩のTシャツを見ては「パパ!」靴を見ては「パパ!」と叫んでいます。夫も休みの日には娘の面倒を見てくれたり、散歩に連れていってくれるので助かります。(…と、ここでは書いておきましょう…)
 私はできるだけ、娘と一緒に夫の出勤の見送りをするようにしています。またこの間は、自衛隊八戸駐屯地の駐屯地記念日にも連れて行きました。そのパパの頑張っている後ろ姿を見てのちに娘も「パパがんばっているなぁ」と実感してほしいものです。


「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
現状にしっかり向き合う
鹿追町役場 堀田 武志
堀田氏は平成18年4月、第5戦車隊を3陸尉で定年退職。55歳
 平成18年4月、36年間の自衛隊生活を終え、無事定年退官することができました。この間、想像すらできなかった出来事が我が身を襲いました。
 平成15年11月「急性骨髄性白血病」の宣告を受け余儀なく闘病生活を強いられました。「移植」、この言葉を聞いた時、自衛隊生活の終わりを宣告されたと思い、一時は挫折感と葛藤の繰り返しでした。しかし多くの先輩・同僚・後輩、そして自衛隊を通じて知り合えた多くの地域の人々、病院の先生・看護師の方々の励ましを受け、1年半の療養を終え何とか復帰することができ、現在に至っております。
 現在は鹿追町役場で臨時職員として、夏季は商工観光課「しかおい道の駅」において観光案内、冬季は町民課で防犯・防災関係の職場で勤務しております。
 特に「しかおい道の駅」においては、町が観光産業に力を注いでいる関係もあり、多くのイベント等があり全国から様々な人が訪れます。その人々のニーズはこれまた様々であり、同じ答えはありません。町内の観光地・施設はもとより各商店、飲食店の特色、特産品の味、近隣市町村との観光関係に至るまで、来訪者のニーズはたくさんあります。一方でその人たちとの出会い、会話に楽しみもあり、今はその人たちがまた「しかおい道の駅」のみならず再度「鹿追町」に来て頂けるべく、何が大切で、何ができるかなど勉強中であります。
 再就職に際し、資格を有していることは大きなメリットであり、現在は色々な資格(認定)試験が溢れています。しかし資格を有しているだけではどうにもならないものがあります。その一つに人間関係があります。自衛隊の先輩・同僚・後輩はもとより地域の人々との人間関係など、様々な出会いや経験が必ず役に立ちます。次に「健康」。これもまた様々な予想外のことがあります。日頃の健康管理に十分心がけるとともに仮に病気になってしまった場合でも、いたずらに落ち込むことなくしっかりとその病気と闘い、向き合うことが大事です。定年・再就職を迎える皆さんが、健康で希望に満ちた、新たな気持ちで再スタートできることを念願しております。

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