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彰古館所蔵資料研究論文が医科器械史賞を受章 |
《衛生学校》 |
陸自初の専従学芸員も配置 |
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5月25日、東京国際フォーラムで開催された第82回日本医科器械学会大会で、陸上自衛隊衛生学校(学校長堀口紀博陸将補)に設置されている彰古館所蔵史料に関するの研究論文「旧陸軍軍医学校所蔵史料による医療史の再検証」が第15回医科器械史研究賞を受賞した。 日本医科器械学会は大正12年(1923)設立の医療機器の進歩と医療環境の整備を目的とする歴史ある学会で、日本医学学会第34分科会である。また、医科器械史研究賞は、財団法人日本医科器械資料保存協会の研究助成事業の一環となっている。 選考に当たっては「彰古館往来」で紹介されている彰古館所蔵史料の「鰯屋の切除器」「赤一文字の医療背嚢」「臨床最古のX線装置」「乃木式義手」なとの既発表論文が対象とされた。
授賞式の後、日本医学史学会常任理事であり順天堂大学医学部医史学の酒井シヅ客員教授の座長で、彰古館担当学芸員による受賞特別講演が行われ、旧陸軍軍医学校由来の彰古館収蔵品の数々の紹介に、学会員は歴史保存の重要性を再認識していた。 彰古館は、この4月から陸上自衛隊初となる専従の学芸員(博物館法による国家資格取得者)を配置しており、今後の調査研究活動に期待が高まっている。その矢先の、思い掛けない受賞に関係者一同、決意を新たにしている。 |
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YOKOSUKA国際交流フェスタ |
帆舟パレード支援 横須賀警備隊 |
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横須賀地方隊横須賀警備隊所属の特務艇「はしだて」、水中処分母船3号、港務隊(大型YT)、水中処分隊(処分艇2艇)は、5月12日に東京湾横須賀市沖で行われた「帆船パレードよこすか2007」において、先導及び警戒等の支援に当たった。このイベントは横須賀市制100周年記念シンボル事業「YOKOSUKA国際交流フェスタ」の一環であり、「日本丸」「海王丸」など帆船4隻、ヨット約30隻が集結し横須賀沖でパレードを披露した。
浦賀港沖に集結した帆船は、正午、長一声の汽笛を合図に、「はしだて」を先頭に、帆船4隻はそれぞれ500ロ間隔で一列に航行し、ヨットグループはその後方300ロを、監視船に周囲をガードされつつ終始安全航行に努めた。
当日は、天候快晴、南風5ロと絶好の帆走日和であり、浦賀沖から猿島沖までの往復10マイルを平均速力5ktで航行し、各変針ポイントを定刻どおり通過し、無事、帆船パレードを終了した。
「はしだて」には本部役員と招待者(咸臨丸会)43名が乗艇し、五月晴れの青空に白い帆が映え、優雅に航行する帆船の姿に大きな歓声を上げていた。また、主催者側からは多数の遊漁船の中を見事に誘導した支援部隊に対し感謝の意が述べられ、帆船パレード成功に対する喜びの声が聞かれた。 |
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新隊員25キロ行軍を父兄会が激励 |
《24普連(えびの)》 |
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えびの駐屯地の第24普通科連隊(連隊長・兒玉健二郎1陸佐)では5月25日、前期教育中の新隊員264名が25キロ徒歩行進訓練を実施した。
この日はあいにくの雨だったが、早朝から西諸地区父兄会・えびの女性部会等の激励、慰問を受けたあと、午前7時35分から各区隊10分間隔で行進を開始した。
降り出した雨にもめげず、軽快な足取りで元気に正門を出発した新隊員達も、大休止地点に到着した頃にはマメに悩まされていた。
区隊長・班長等の適切な指導のもと、各区隊毎の不撓不屈の精神を発揮してゴールを目指し、父兄会・女性部会や駐屯地隊員の見守る中、元気な声で挨拶をしながら、午後3時25分、最終区隊が駐屯地に到着した。 |
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《彰古館 往来》 |
陸自三宿駐屯地・衛生学校 |
シリーズ 64 |
第一次世界対戦の記録(1) |
仏軍衛生部写真集を新発見 |
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彰古館から、また新たな史料の発見がありました。第一次世界大戦(1914〜1918)時のフランス軍衛生部の記録写真集です。
第一次世界大戦といえば、主戦場はヨーロッパで、日本としては青島でのドイツ軍との交戦が、唯一の係わり合いでした。
この写真帖は、当時のフランスで、恐らくは公文書館で閲覧を許された軍医が、衛生に関係する写真を抽出してプリントを依頼したものだと考えられます。その証拠に、写真の裏面にはフランス政府のスタンプが一枚一枚押されています。
写真帖は2冊からなり、全数で130枚以上の写真が添付されています。その内容は最前線に於ける患者の収容から始まり、戦地包帯所、野戦病院、患者輸送、定地病院、トリアージ、内地への後送、パリ陸軍病院、リハビリテーションと時間を追って紹介されています。
最近この写真帖を見たフランス軍医総監は「これらの写真は、第二次世界大戦時の戦災によってフランス国内に現存している可能性は低い。もし残っていたとしても恐らく整理はされていないと思う。少なくとも私は見たことが無い」と驚きを隠せない様子でした。
第一次世界大戦時に自動車の量産が始まり、軍用車両として各国に採用されています。写真帖にはいわゆる患者輸送車に始まり、X線自動車、手術車といった初期の衛生自動車が多数写っています。それどころか歯科治療車や、なんと洗濯乾燥車まで装備されていたことが分かります。
フランスに限らず、連合軍のアメリカやイギリスの衛生車両の姿も見えます。
当時は大正三年戦役と呼ばれていましたが、現在の我々には、あまり身近な印象がありません、しかし、当時の陸軍軍医学校にとってフランスからの情報を入手することは極めて重要でした。つまり、それまでの陸軍のお手本であり、医学情報の入手先であったドイツが、この大戦では敵となったということです。
ドイツからの情報が途絶した当時、航空機や毒ガスといった最新兵器の情報はいうに及ばず、それらの兵器による負傷者の治療、衛生部隊の運用、衛生資材の改良といった医学情報は得がたいものだったのです。
埋もれていた明治から昭和に繋がる大正三年戦役の、写真帖の解析は、まさに今始まったばかりです。 |
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〈訂正〉5月15日号(第715号)の「防衛省・自衛隊高級幹部等名簿」の中に誤りがありましたので訂正するとともに関係者の方々にお詫び致します。正しくは次のとおりです。
▽防大人文社会科学群教授・廣瀬佳一▽同・松浦一夫(追加)▽防大応用科学群教授・遠藤晴巳(削除)▽同・小泉俊雄(名前が二つあるため一つ削除)▽同・土屋雅大(追加)▽防大電気情報学群教授・(兼)山田武夫▽大臣直轄部隊▽海自自艦隊司令部研究開発主任幕僚・鷺巣謙2佐▽海自開発隊群(船越)〒2730076横須賀市船越町7の73 電話046・861・8281▽海自補給本部補給計画課長・福田慶藏2佐▽空自南警隊南西防空管制群司令・石川均1佐▽札幌病院長・西川博陸将▽空自4空団基業群司令・門田和也1佐
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